たとえば30代のフリーターがなかなか正社員として採ってもらえないのは、そもそもその人が生まれた年とか社会に出た年の問題で、それは絶対自分のせいじゃないんですよね。たぶんバブルのときに社会に出ていたら全く問題なく正社員として就職できて、普通に暮らしているでしょう。
就職氷河期の時代って、5脚しか椅子がないのに100人で椅子取りゲームをしているような状態なんですよね。そうすると95人はこぼれてしまう。運よく5人の中に入れた人はラッキーですが、そのためにどれだけの人を蹴落としてきたのかを考えると、こぼれ落ちた人たちを批判する資格はないと思うんです。もっとも、私たちは嫌が応にも競争社会の中で生きていかざるを得ない状況なので、結果的に人を蹴落とすのはしょうがないことかもしれません。ですが、実は落ちたのが自分でも不思議ではないし、そしていつ落ちる側に回るかわからないのが今の世の中です。だからみんながそういうふうに想像できればもう少し優しい世の中になると思うんです。
また、「私はこんなに頑張ってフリーターから正社員になったのだから、フリーターがいつまでも甘えてて権利を主張するのはとんでもない」といった意見もあります。そう言いたくなる気持ちもわかりますし、頑張った人が報われる社会であるべきだとも思います。稼ぎたい人はどんどん稼いで、たくさん使っていい暮らしをするというのは全然否定しないんですが、一方でそうしない自由もあるし、そうできない人たちの生存が脅かされる社会であってはならないと思うんです。
貧困の問題って生存の問題なんです。貧困から実際にホームレス化して生存そのものが脅かされているフリーターが私たちの社会に存在しているということをどう考えるか。もちろんまだ東京中が目に見えてスラム化している状態ではありませんが、このままいけばどんどん若年層のホームレスは増えて、普通に道を歩いていても若いホームレスを見かけるような社会になる可能性が高い。
そして貧困から餓死(※2)する人も増えると思います。今はまだ餓死する前に自殺している人が多いので目立ちませんが、ほとんど餓死みたいな自殺も増えているんです。私たちの社会で貧困から餓死してしまう人が少数でも現実にいるということが問題だと思うんです。
※2 餓死──1995年以降餓死者は急増し、毎年約100人が餓死している。2005年までに餓死した人の数は867人にのぼる(厚生労働省・人口動態調査より)。ちなみに餓死者が急増し始めた1995年は経団連が「新時代の日本的経営」を発表した年で、政財界が結託して推し進めた構造改革の影響が出始めた時期と一致する。
そういう社会は誰だって嫌ですよね。ホームレスを生み出さない社会、また万が一ホームレスになっても駆け込み寺のような施設がある社会の方が絶対みんな生きやすいに決まっています。自分に何かあったときもここに行けば助かるという安心感が逆に生産性を高めたりするかもしれないですし。
だからどんなに躓いてもホームレスにならない、餓死しない社会であってほしい。私が求めているのはそれだけなんですよね。 |