中学卒業後はいじめていた人たちと別の高校に入ったので、そこで初めて学校内で逃げなくてよくなって、ほっとしました。ですが、その反動で今まで押し殺していた感情が一気に爆発して親に当たるようになりました。
高校に入ってから、「どうして親は(中学のときに受けていた)いじめに気づいてくれなかったんだろう」って逆恨みのような感情が芽生えてきたんです。例えば制服に靴で蹴られた跡がついていたこともあったのですが、それに気づいてくれなかったり。そんなことも後で思い起こしてすごく腹が立ちました。
だから高校にも登校せず、家出を繰り返すようになりました。高校ではまた裏切られるんじゃないかと思うと、怖くて友達は作れなかったですね。また、自分の居場所・軸となる場所を高校にすると、そこでいじめられたら居場所がなくなってつらくなるので、この学校にいない人間になろうと。だからたまに学校に行っても人とコミュニケーションを取らないようにしていました。浮いた存在になればいじめられないんじゃないかと思って。
家にも学校にも居場所がないので、ライブハウスに入り浸っていました。その頃ビジュアル系のバンドにハマっていたのですが、そのバンドの歌は、破壊的でやたら死や自殺という言葉が出てくる暗い感じの歌詞でした。自分で表現できない衝動を代弁してくれているような気がしたのでハマったのだと思います。また他のファンの子の多くは家庭が複雑だったり学校でいじめに遭っていたりと当時の私と似た境遇だったので、そこで初めて自分と同じ人種に会えたと思ったんです。当時の私の友達は、追っかけをしていたバンドの同じファンの子たちだけでした。
ライブハウスに行った後は家に帰りたくないからそのまま友達と野宿したりしていました。野宿といっても、当時は北海道に住んでいたので冬にはマイナス13度になります。ほんとに凍死するかと思いました。
親は「中学のときのいい子のあなたに戻りなさい」と言うんですよね。でも中学のときの私はかなり死ぬか生きるかのぎりぎりの狭間にいて、精神的にもボロボロの状態だったので、あの頃の私にとって「戻りなさい」と言われるのは本当に「死ね」といわれるのとイコールだったんです。親は本当に私のことを理解してくれないという怒りの感情でいっぱいでした。
その怒りは自傷行為へと向かいました。自分の手首をカッターでしょっちゅう切るようになったんです。でもリストカットは感情が戻ってきた証拠なんですよね。中学時代はリストカットすらもできないほど感情を押し殺していましたから。 |