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4度のがんで大手術…俳優・山内賢の“自分を信じる”

山内賢(クリックで拡大)

 自らを「病の百貨店」という俳優の山内賢(65)。5年前に右肺がんを宣告され、その2年後に食道がんの疑いで手術。同時に左肺にがんが発見され、今年7月に再発した。計4度の大手術を乗り越えながらも、精力的に舞台に立ち続ける山内。その強靭な精神を支えたものとは?

 【ついに来たか…】

 「ちょっと胃がもたれるなと思って病院に行くと、念のために撮ったレントゲンの右肺上部に影が見つかり、転移を恐れてリンパ節ごとごっそり切り取りました」

 肺がんが発見されたのは5年前の夏。医師の告知は妻と共に聞いた。

 「頭の中が真っ白になり、ついに来たか! という思いで、体が震えた」

 原因は言下に「タバコですよ」と、はっきりと言われたという。山内は1日20本以上吸うヘビースモーカーだった。

 【筑紫さんと同じ】

 その2年後、ものを飲み込むときに食道に違和感を覚え、がんの疑いがあると手術を受けたが、結果はシロ。実はがんは密かに左肺を蝕んでいた。

 「新しい原発のものでした。しかもそのがんは、このまえ肺がんで他界された筑紫哲也さんと同じ小細胞がん。急速に大きくなるがんなのですぐに切りましょう、と言われ、胸腔鏡手術で切り取りました」

 発見時には米粒大だったがんが、「手術時にはあっという間に7、8ミリに成長していた」という。

 【再発】

 そして今年7月、過酷な試練が再び山内を襲った。左肺がんの再発。

 「手術後の9月から3カ月間、入院しながら連続で抗がん剤の投与を受け、毛髪はみごとに抜け落ちました」

 だが山内は、新たな試練と直面するたびに何度も折れそうになる心を奮い立たせてきた。右肺手術後も、食道手術後も仕事を降板することなく、ひとり病室から抜け出し屋上で、発声練習や振り付けなどのミュージカルの稽古を積み、舞台に立ったという。足腰を鍛えるため毎日、階段の上り下りも繰り返した。

 【和泉雅子とコンビ復活】

 左肺がん再発の手術後には、約40年前に『二人の銀座』でデュエットした和泉雅子とのコンビも復活。「この世の最期の置き土産」と思いつつ、全身全霊で新曲のレコーディングに挑んだという。

 山内は言う。「どんなに辛くても、自分に負けてなるもんか! と思い闘ってきた。自分に負けたら、すべてがおしまい。病気と闘い、絶対仕事を成し遂げるんだという目標をもって、自分を信じて頑張ってきた」と。

 【緒形さんのように】

 さらに、故・緒形拳の生き様に憧れを抱いているという。

 「彼は、自分が肝臓がんだとわかったときに、残された体力、限りある命の時間をすべて知って、計算ずくで仕事と向き合ってきたのだと思う。そして、最後のドラマ撮影が終わった瞬間、崩れ落ちるように床につき、71年の役者人生をまっとうして逝った。僕も願わくば、同じ役者として、そんな死に花を咲かせたい」

 ■山内賢(やまうち・けん) 1943年、東京都出身。55年映画「あすなろ物語」で子役デビュー。その後、日活映画に数多く出演。60年代の純愛、青春スターとして活躍してきた。66年、和泉雅子とのデュエット曲「二人の銀座」が大ヒット。近年はミュージカル出演や旅番組、グルメ番組のリポーターとしても活躍。和泉雅子との新曲『おとなの銀座』が好調。

ZAKZAK 2008/12/25

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