頂いたメールへの応答の中から、共通の関心事と思われるものを抜粋して掲載しています。
原文のまま掲載していますが、固有名詞はアルファベットなどに置き換えてあります。
また、冒頭・末尾の挨拶やテーマに直接関係ない部分は省略してあります。
【目次】
(04/06)《本を読もう》を拝見して
(04/06)本を読もう
(04/06)マスメディアの罪
(04/05)「悪」がないと物語にならない
(04/05)聖書への姿勢
(04/05)メキシコ軍用機のUFO遭遇と軍による公式発表
(04/05)障害を持つ我が子とのコミュニケーション
(04/05)「悲哀中毒症候群」の克服
(04/06)《本を読もう》を拝見して
(Q)昨年末に、Aさんのセッションを受けました。
私はそれまで自覚がなかったのですが、エネルギーに敏感な人間らしく、色々な物の持つエネルギーが「明暗」で感じられる人間のようです。
本も、手に持ってみると自分に向いているかいないか位は分かります。
ですが、さすがにアマゾンなどで本のタイトルを見るだけでは判断がつきかねます。
住んでいるところが田舎なので、そうそう読んでみたい本が本屋に並んでいるわけもなく、困っています。
私は、セッションで見た自分の過去世が古代日本人で、巨大な石の守をしていたことから、古代日本や、巨石文明、幾何学のような勉強も少しづつしていきたいと思っています。
もし、お勧めの本などあれば、あつかましいのですが教えて頂きたいのですが・・・・。
小松さんが薦めておられた「超能力開発法」を読んでいませんので、表現方法が分からないのですが、「超能力」は開発できるのですか?
しかし、今まで、精神世界と呼ばれるものに、いやおうなしに関わってきて思うのは、「特別な能力なんか要らないのでは・・・」ということです。
超能力を求めること=権威を手に入れることだと思う人が多く、特にネットの世界では、すぐに暴走したり、争いになったりしています。
頭がズキズキするようなことを平気で言い始めたりするのを、先日も見たばかりですので余計にそう思います。
精神世界の中で、安全運転で暮らしていく方法を、既に「ガイア・アセンション」の随所で教えていただいているのですが、ガイドラインになるようなページがありましたら、もう一度教えていただけると幸いです。
(A)古代日本について書かれている本のほとんどは、著者自身が混乱しており、「独断と偏見」で書いたとみられるものがほとんどです。
けれども、『日本超古代文明のすべて』(日本文芸社)は、現存する事実を中心に編集されているので、参考になるところが多いと思います。
巨石については、Jean-Pierre Mohenの“STANDING STONES”という古典とも言うべき良くまとまった著作があり、何年か前に邦訳されているのを本屋で見かけましたが、タイトルや出版社を覚えていません。
[ジャン-ピエール モーエン 巨石] などで検索すると見付かるかもしれません。(注)
『超能力開発法』は、元々は『テレパシー 〈無言の会話術〉』という本でした。
かの地で、アダムスキーはどう思っているでしょうか。
それはともかく、テレパシーは、素質や選んでいる環境の影響もありますが、その気になれば開発できるものだと思います。
精神世界で安全運転する方法は簡単です。
誰かが、何かが、上昇(アセンド)させてくれると思わないこと。
自分自身が「神」であることを信じ、自分の外に「神」を求めないこと。
人工的なグッズのたぐいに癒しを求めないこと。
感性を磨いて、感覚的に受け入れられないものや人に近づかないこと。
ネットサーフィンをしないこと(掲示板を見ないこと)などでしょう。
ワナに嵌まるケースのほとんどは、「欲をかく」こと、または自分の努力を棚上げにして安直な答えに飛びつくことのようです。
「仕掛ける人たち」も一生懸命に生きている私たちの同胞ではありますが、「統合」へのプロセスは単純でなく、時には「離れて見守る」ことも思いやりの1つと考えるべきででしょうね。
(注)アマゾンのサイトで、[巨石] をキーワードにして「和書」を検索すると5番目に出てきました。
ジャン-ピエール・モエン『巨石文明の謎』(2000/7)創元社
(04/06)本を読もう
(Q)ご返事いただき、まことにありがとうございます。
いましがた、「アマゾン」のサイトでアダムスキー氏の『超能力開発法』を注文しました。
その際、他にもなにやらアダムスキー氏の本がお勧めであると出ていましたので、参考になる気がしたのでついでに注文しました。
『21世紀・生命の科学』
『21世紀の宇宙哲学』
この2冊です。
ご返事で精神世界の本を読むようにと書かれていたので、この本ならいかがでしょうか?
「Q&A04c」で、テレパシーによる会話を加速するとのことを読みまして、やはり気になり、結局買うことにしました。4040円。
これらの本を読み進めることで、自分の精神性が磨かれていくのでしょうか?
それとも他の本を探す必要があるのでしょうか?
精神世界の本と聞いても、怪しく難しく容易に立ち入ってはならないという意識がずっと続いているのですが、そろそろその壁を乗り越えるときがきたということなのでしょうか?
そのあたりのことにつきましてもご指導・ご解説願えれば助かります。
(A)「Webの海」から珠玉の知見を引き出すことは至難の業で、その前に、ほとんどの人は、安直なネットサーフィンによって情報汚染され、更なる混乱に陥るのが関の山でしょう。
あなたの場合も、ネットサーフィンで断片的な情報に引っ掛かる度に、驚いたり感心したりするよりは、まず基本的なことを勉強して、総合的な判断力を磨くことを優先させた方がいいと感じたわけです。
一般論として現状では、書物のレベルは、Webの情報をはるかに凌駕しています。
アダムスキーは、古典かつ入門書として結構だと思います(しかし、現行の邦訳は、タイトルが不適切に改題されている点に不満があります)。
アダムスキー情報は、具体的なファクト(金星人など)については正確でない部分があるので、ディテールをそのまま受け取ることをせず、一貫して流れている思想または精神を吸収するようにするといいでしょう。
それほど古くない本の中から、入門書として1冊だけ挙げるとすれば、エリック・クライン著『クリスタルの階梯』でしょうか。
しかし、アセンションのプロセスは刻々変化しており、この1冊で万全という本はありません。
どんな本でも、ファクトの部分は読み流すようにするのが無難です。
したがって、精神世界の分野で、ファクトに片寄っている本には特に注意してください。
(04/06)マスメディアの罪
(Q)最近とみに、貴殿の新春メッセージの内容どおりに世界が動いているのを感じています。
米軍によるイラク人やアフガニスタン人虐待が明るみに出たり、マイケル・ムーア監督の作品がカンヌで賞を取ったり、はたまたブッシュの支持率が低下する等々、直接的にも間接的にも、着々とアメリカ没落への道筋が出来上がりつつありますね。
メディアは、事件のある一部だけを強調して取り上げ、視聴者はその端的な情報を前後関係もわからぬまま鵜呑みにして過剰反応する・・・。または、一種のエンターテイメントとしておもしろがっているようにも見えます。
そこには、事件被害者やその家族に対する「愛」は感じられません。
貴殿が年頭におっしゃったように、マスメディアから距離を置かないといけませんね。
さもないと、自分の「心の平和」がかき乱されるだけだと、改めて思いました。
でもこういった、権力に対し奴隷的思考を持つ人達や、他人の苦悩をエンターテイメントとして喜んでいる人達のことも、究極的には「許し」、1人1人が「統合」を意図することが必要なのでしょうね?
遅々としてアセンションが進まない状況にある(ように見える)この国に苛立ち、自分の周りに同じ志の人間が少なくて時折悲しくなることもありますが、結局のところ、まずは自分自身がアセンションを意図して、前向きに取り組んでいくしかないんだな、というところにいつも戻ってきます。この繰り返しです。
全人類が一刻も早くアセンションを意図するようになることを「意図」する次第です。
(A)拝見しました。おっしゃる通りだと思います。
現実が着実に動いているので、救いがあるわけです。
(04/05)「悪」がないと物語にならない
(Q)小松様のHPを、三年くらい前に「2ちゃんねる」と言う掲示板で発見して楽しく見させて頂いております。
暫く考えてから、小松様が世界の情勢の底流を見抜いていると確信しています。
三年ほどの間にも、このHPで電力、畜産など問題視されたものは、やがて世間を騒がすようになるのを見てきました。
愛に溢れた意識や行動が自分自身を健康と直感に優れさせ、物事をうまく運ばせる事も感じました。
しかし、最近自分で小説を書くようになり思うのです。人の物語は愛だけでは成り立たないのです。
愛を表現するのに必ず悪が必要なのです。どうしても私には、悪を抜きに愛と多様性を語れる想像力が無いのです。
今、自分が想像出来るアセンション後の人の姿はどうしても、悪を下請けに出して美味しいところだけ頂くエリートの様なものになってしまうのです。
光と闇二つ合わせて人の物語だとしたら、アセンション後は光だけ、多様性は落ちてしまうのでしょうか?
人の物語はつまらなくなってしまうのでしょうか?
(A)文明の存立基盤がまるきり違うので、この世界のあり方に慣らされた者が先進文明を想像することは、たとえ感覚的にでも簡単ではないでしょう。
コミュニケーションの基本はテレパシーです。
お互いの心の中も、その気になれば分かります。
情報は、宇宙からまたは集合意識から、必要に応じていくらでも取り出すことができます。
創作物の価値は、それが全体の波動の上昇に、どれだけ寄与するかで測られます。
「すべてが一体」であるなかで、波動的に上位の世界が無限にあることを誰もが理解していて、全体の波動レベルを高めていく(アセンドする)ことが集合としての共通目標になっているのです。
その中にも、それぞれの個性があり、多様性があります。
「悪」が無ければ個性や多様性が無くなるということはありません。
と言っても、現在の地球ほどの多様性がある世界は珍しいでしょう。
「悪」の仲立ちによって多様性が生まれ、誰もが多かれ少なかれ蒙っている「情緒不安」と引き換えになっているわけです。
それには「好み」の問題もあり、現状では、二極分裂と言えるほどの大きい個人差があります。
しかし、大きくみれば、創作物の傾向は、(こちらでも、あちらでも)「需要」に対応しているといえるでしょう。
この地球での「需要」の中味は、こういうことです。
私たちは、「悪」で色付けされた作品や報道から、「善」について学ぶのではなく、「悪」についての自分の認識を単に確認しているのです。
そして、自分が今のところ、その苦難に浸っていないことで、つかの間の満足を得ています。メディアの報道が「事件」に片寄るのは、その「需要」に応えるためです。
また、ヒマを持て余している人には、一過性の刺激を楽しむ、よすがになっています。
これらは、「上昇(アセンション)」のためには、全く必要がないものばかりです。
けれども、創作物として、「光の量の多いものほど価値がある」ということは、宇宙の不変の原理です。
そして、時代の流れは間違いなく、それを取り込む方向に向かっています(「悪」の「最後の悪あがき」が、それを見えにくくしていますが---)。
したがって、現在の「需要構造」の中でも、あなたが、「光」をたくさん含む作品を目指すことは、無意味なことではありません。
その過程で、創作物に対する「審査員の模索」が当分続くでしょう。
それは、個々の審査員が持つ個人的なバックグラウンドと、時代の大きいうねりとの間の、相克ともいえます。
ちなみに今回、マイケル・ムーア監督の『ファーレンハイト 9/11(ナイン・イレブン)』がカンヌ映画祭の最高賞(パルムドール:Palme d'Or)を受賞したことは、そうした文脈で捉えることもできます。
カンヌ映画祭はドキュメンタリーに冷淡なことで悪名が高く、《審査対象》として選ばれたノンフィクション作品が50年間に(当作品を含めて)3作品しかなく、しかも、アメリカ人が多数を占める審査員構成(アメリカ:4、イギリス・フランス・ベルギー・フィンランド・香港:各1)の中での最高賞の受賞だからです。
(Q)あなたは、新約聖書についてどの様にお考えですか。
旧約、もしくは新約聖書を読んだことはありますか。
(A)拝見しました。お名前は無いのですか?
ご質問に対する答えは、ホームページの随所に書いてあります。
いずれにせよ、聖書自体や「教会の教え」を盲信せず、あなたの感性によって内容を判断して、選択的に吸収することをお勧めします。
ちなみに、あなたは、旧約の「レビ記」([1.焼き尽くす献げ物]〜[27.献げ物])から、何かを得ましたか? (献げ物を喜ぶ神が居るなら会ってみたい)
あるいは、新約の「ヨハネの黙示録」から、何かを得ましたか?
(確定していない未来の1断面の幻視を、貧弱な語彙で表現)
こうしたものの意味を考えるヒマがあるなら、『神との対話』でも読んだ方が、よっぽどマシです。
もっとシンプルにするなら、「Q&A'04b」で紹介している、『出水兵児修養掟』です。
いずれ、「これが唯一の教えであり、教えはこれに尽きている」とする、すべての宗教が持つ閉鎖性が、この世界の混乱と軋轢の源になってきたことを、すべての人が悟る時が来るでしょう。
(Q)以下のサイトの記事によると、メキシコ空軍がUFO群の映像を正式に公開したそうです。
http://x51.org/x/04/05/1215.php
私自身が現場で直接目で見て確かめるわけにも行きませんので、100%の確証はないのですが、それでも国家の公的機関が正式にUFOの存在を認めるというのは、未だかつて無い記念すべき事ではないでしょうか。
日本の一部のニュース番組でも、取り上げられたそうです。それでも、その他の多くの「まとも」なメディアは、「常識」のふるいに掛けて黙殺しているようですが…。
それでも、この事件が人々の記憶から消えないうちに、アメリカ政府もこのような情報を公開し始めたら……。世界の認識が文字通り一夜にして激変するかもしれませんね。
小松様はこの件について、どう思われますでしょうか?
(A)(少しずつ人類の目を開かせていく銀河同盟の「作業」の一環のようですが)そうした「事件」は、これまでに何度も起こっていますよ。
そもそも、ロズウェル事件自体が、最初は地元の警察が「正式に」発表して、地元のメディアが大々的に報道したわけですが、結果はご存知の通りです。
宇宙情報の「元締め」のNASAが(実質的に)隠蔽の先頭に立ち、メディアがコントロールされているかぎり、UFOや異星人を取り巻く状況は急には変わらないでしょう。
しかし、そうした事に関係なく、ガイアや人々の意識はどんどん変わっています。
地球や世界の動きを感性で捉えて、そのピッチの速さを感じるようにしてください。
そして、「その時」が来るまでは、その種のことへの関心は、ほどほどにすることをお勧めします、その前にやることがいくらでもあるでしょうから。
(注)この件の詳細は下記にあります。極めて客観的な、迫真のレポートと言っていいでしょう。
(麻薬輸送機の監視・取締りで連携関係にある)アメリカの言いなりにならず、軍と民間のユーフォロジスト(UFO研究家)との共同調査を経て発表した点で、「アメリカの没落」を反映する新しい潮流を感じます。
http://www.rense.com/general52/deff.htm
(Q)長くなりますが、私の個人的な体験を聞いていただきたく、よろしくお願いします。
私は1990年代に子供を生みました。
妊娠中順調だったのですが出産のときになって急変し難産となり、緊急帝王切開にて子供は仮死状態で生まれ、重度の障害を持つこととなりました。
その時、私自身も麻酔が効くか効かないかの時にお腹を切ることとなり、このような状況に突然陥ったことへのパニック、耐え難い痛みで気が変になっていた・・・と家族は思っていたようですが、手術中とその後数日間、不思議な体験をしました。
手術中のこと。
痛い!痛い!激しく叫んでいる人がいる・・・と思ったら、それは自分だということに気がつきました。
そのうち自分が伸び縮みする長い棒のような状態になり、高いところを目指して伸びていくような感じがしました。
高いところはとても安らかな気持ちになれる場所で、わたしはどこまでもそちらの方向に向かって伸びてゆきたかったのです。
しかし、このような状況にさせられた(とその時は被害者意識でいっぱいでした、今はそうではありませんが)病院や医師に対して悔しい恨みがましい気持ちになると、私の意識は縮んで下の方に落ちて(身体に戻って)激しい痛みに襲われました。
このとき私は自分は死ぬのかなと思っていました。死ぬのはそんなに苦しいことではなく心地よい場所にいけるようだから死んでもいい、今までの人生は結構がんばったのだからと思いました。
けれど、生まれた子供と夫はどうなるのだろうと思ったら、一気に下のほうに引っ張られて戻ってきてしまいました。鋭い痛みと共に。
そして死ぬ時は恨みをもって死んではいけない、死ぬ時は感謝の気持ちで死んでいかなければならないのだとその時思いました。それに2つのこと、「愛こそ全て」「全てのことはつながっている」というメッセージを受け取ったような気がしました。
術後のこと。
麻酔のせいなのか、痛みで一晩中眠れないなかでいくつも幻想のようなものを見、現実と幻想の間を行ったり来たりしていました。
精神状態は不安定でこのようなことになって情けない気持ち、自分が悪い人間だったからこんなことになったのだ、生まれた子供は助からないに違いない(子供は救急車で搬送され別の病院で治療を受けていました)、こんな人生やり直したいという気持ち、混乱のきわみにありました。
気持ちが正しくなったりおかしくなったりし、葛藤していました。
生きなければならないという気持ち、死んでしまおうという気持ちが交互にやってきて危ない状態でした(信じられないことに窓から飛び降りようと思っていました。しかしお腹が痛くて動けませんでした。付き添ってくれた夫が支えとなり我を取り戻しました)。
夢か現つか分からない中で、私は世紀末をもうすぐ迎えようとしている自分がいて、みんなで高いところに行かなければならないと思っていました。だけど時間がないのです。焦っていました。みんなで出発しなければならないのに、周りの人は分かってくれなくて焦っていました。
高いところに行くには心をまっさらにして集中しなければならず、痛みは心を集中させるのに必要な手立てでした。
術後のお腹の痛みを利用して私は気持ちを集中し高みに登る練習をしようとしましたが、集中できずに落ちてしまうのです。
痛みをコントロールするとか家族に言っていたようです。
邪念のようなものが入ると低いところに落ちて戻ってしまうのです。
自分の力を信頼し、集中して、何かを突破するという感覚です。その時はいろいろなことが分かったような気がしていました。
とりとめのない気付きのようなものが断片的にやってきました。大切なのは物質的なものではない、マスコミは信じられないものだ、等。
そのような中で、これからの人生は生まれた子供と夫のため、そして「愛」をテーマに生きようと決心していました。
仕事を辞め、障害を持つ子供との生活に今は専念しています。
これらの体験は何だったのだろうかとずっと考えていました。
臨死体験の本を読みましたが、私の体験は本に書いてあったものより中途半端なように思えました。
障害児を持つことになった意味を知りたくて催眠療法を受けましたが、はっきりとは見えませんでした。
私はあの時、自分が将来的に死ぬときのイメージを見ているのかと最初思っていましたが、なぜ「みんなで飛び立とうとしている」のか分かりませんでした。
このHPにたどり着いたときアセンションということを初めて知り、関係しているのかもしれないとも思いました。
しかし、術後はかなり不安定な状態だったので、今となっては幻想だったのか、麻酔や痛み止めの薬で精神的におかしくなっていたのかわからないのです。
それはそうと、この体験の後にある今の自分は、人並みの人生とは違いますが嫌いではありません。
1人では何もできないわが子ですが、子供に愛を学んでいます。
催眠療法でははっきりとは見えなかったものの、娘は私を成長させるためにこのような姿で生まれてきたのだと、私は自分自身で語っていました。
そしてたくさんのつながりの中にいることに感謝しています。
愛とつながりという、あの時に得たメッセージの通りの今があるとも言えます。そして、アセンションを目指しています。
アセンションとは今の私には決して簡単なことではないと思っています。しかし、意図しています。
その時が来た時、心残りなのはやはり家族との別離です。
今は介護ともいえる子育ての傍ら、食事や健康などあらゆることに配慮し、自分に必要だと思う癒しの力や表現の力を伸ばしたく生活を楽しみつつ日々生きているつもりです。
しかし、重度障害を持った娘、アレルギー疾患に薬漬けの夫とともに目標を達成することは難しいと思います。そしてもちろん私自身も。
もし、その時が来て離れ離れになったとしても(死に別れたとしても)最愛の人とは「ある意味で」また一緒になれるのですよね。そう信じていたいのです。
結果を心配するのではなく今の生活を大切にアセンションに向けて努力しなければと考えています。
このHPを一通り読ませていただいた時、私の体験を聞いていただきたいと思いましたが、この数年間のことを語ることはつらい事もあり自分で整理できない思いもあり文章にまとめることができずにおりました。
しかし、この度思い切ってメールを送らせていただくことにしました。長くなりましたが、ご指導、助言をお願いします。
(A)拝見しました。
あなたは正に臨死体験をしたのでしょう。
苦痛の中では誰でも、いろんな思いが去来するものですが、その多くは一過性のネガティブな想念なので、それらにとらわれないことが大切です。きっぱり忘れてしまうのがベストです。
そして、ポジティブなものだけを、収穫として心に刻んでおけばいいでしょう。
未来のことをあれこれ思い惑うのは、何の意味もありません。
確定しているものは何もないし、未来は単に現在の結果(連続体)です。
現在だけに集中して生きていくことをお勧めします。
お子さんについては、その魂は何の傷も負っていないはずです。
できるだけお子さんの魂とコミュニケーションをとるように努めていくと、いい展望が開けてくると思います。
(Q)お答えありがとうございました。
ずっと気になっていたことでしたが、このように言っていただいたことでふんぎりがつきました。
ネガティブな想念を捨て、ポジティブなものだけを心に刻みます。
また、子供の魂は何の傷も負っていないはずということをお聞きし、救われたような気持ちになりました。
子供の魂とコミュニケーションをとるということについて、もう少し教えていただけないでしょうか。
子供は全く話すことができません。
コミュニケーションらしいことと言えば、笑うとか泣くとかいったことです。
少ない反応を頼りに、今はどんな気持ちで何をしてほしいのかなどと、あれこれ考えて対応していますが、全くわからないことも多く、常々、お話が出来たらどんなによいだろうと無理を承知でも思ってしまいます。
魂とコミュニケーションをとるということは、そういった表面に表れている表情や行動に寄り添い、共に喜んだり共感したりするということなのでしょうか。
これはもうすでにやっていることかと自分では思いますが、さらに努力すればよいのでしょうか。
それとも、もっと違う意味で、子供の奥の深い存在(魂)にどうしてほしいか尋ねたり語りかけたりするということでしょうか。
それとも、またこれらのこととはまた違うのでしょうか?
そして、努力していくならば本当に魂とコミュニケーションをとれるということはあるものなのですか?
すでに亡くなっている人とはそういうこともありうるかと思いますが、現時点で生きている人との魂のコミュニケーションということはどういうことで、具体的にはどのようにしていけばよいのか教えていただきたく、どうぞよろしくお願いします。
(A)夢で答えをもらうという方法があります。
お子さんに対して、例えば、聞きたいことや訴えたいことを話し掛けます。
そして、その答えを夢の中で教えてくれるように頼みます。
その場合、あなたの魂(ハイアー・セルフ)から、お子さんの魂(ハイアー・セルフ)に語りかけるような感じでするのがいいでしょう。それを声に出すかどうかは、本質ではありません。また、本人が目の前にいるかどうかも本質ではありません。
あなたが、感覚的に最もぴったりくると思う方法でやればいいでしょう。
いずれにしても、入眠前に、夢の中で答えが与えられることを意図してください。
同時に、夢を鮮明に知覚することを意図してください。
それを、少しうつらうつらし始めた「変性意識状態」の時にやると、最も効果があります。
場合によっては、ある期間、辛抱強く続けてみる必要があるかも知れません。
また、テーマを1つだけに絞って、その答えを得てから次に移るようにするのがいいでしょう。
お子さんの意識は正常であること、そしてコミュニケーションが可能だということへの信頼を崩さないようにすることが大切です。
(追伸)そのうちに、テレパシーによる会話が当たり前のようになる時が来るでしょう。
それを加速する方法もあります。
この分野の古典的な著作として、アダムスキーの『テレパシー』があります(最近は『超能力開発法』と改題されて販売されているようです。「アマゾン」のサイトなどで中古を見付けることもできるでしょう)。
その前段階として、インスピレーションで答えが得られることもあります。
例えば、入浴中などのリラックスした気分の時に。
インスピレーションを積極的に活用する習慣をつけると、ますますそれに磨きがかかってくるでしょう。
(Q) お答えありがとうございました。
―子供の意識は正常、コミュニケーションは可能―
このことを知っただけでも大変嬉しく、子供を見る目が違ってきました。
私は多分今まで本当にそう信じてはいなかったし、諦めていました。
さらに、追伸を拝見してこんなことも可能なのかと驚きながらも速くそのようなレベルに到達したいと思いました。
いつも子供の息遣い(呼吸状態など)に注意しながら睡眠をとっているので、何かあるとハッと目覚めてしまい、自然に目覚めることが少なく夢の内容は思い出せないことも多いです。
しかし、実践してみて今のところ、子ども自身は夢に登場していませんが、女性の友人が夢に出てきました。
子供と友人がイメージ的に似ている部分もあり、こんな形でメッセージを得る場合もあるのかなと思っているところです。
インスピレーションの活用も併用しながら努力していきたいです。
紹介していただいた本も読んでみます。
(Q)悩んだ末、我慢の限界にも達していましたし、もっと自分らしくのんびり自然に生きたいという決意のもとにパートの仕事をやめました。
辞めて気が楽になったものの、自分は社会に適応できない人間のまま死んでいくのだろうかという思いになりました。
20歳から就職したものの、社会にでるのが物凄く怖いという思いのまま職に就いたので、すぐに仕事にいけなくなりました。
抑うつ症と診断され、入院したり薬物療法をしていました。このころは都会に住んでいました。
5年ぐらい経ち、父の転勤で山奥の町に又戻りました。
(中略)
多少不安はあったものの結婚して、暫くして主人の転勤で市内に住みました。
もともと気が弱いほうでは無かったと思うのですが、やはり挫折をした事が常に自己嫌悪のもとにあり、他人の言う事なすことを気にしたり傷つく事が多くなりました。
2人目を出産した後、近所の人間関係や階下に住む人からの嫌がらせから精神状態がおかしくなりました。
また病気が再発したのかと思い神経科へ行きましたがどこも悪くないとの事でしたが、眠れず食べれず、テレビからは何かのサインが送られてくる気がしました。
(中略)
自然の豊かな所で暮らしたいと今の所に家を建てました。
そして早十数年、色々な事がありましたが、結局また振り出しに戻ってしまったのでしょうか・・・それとも更年期障害というものに入りつつあるのでしょうか・・・自分のことなのによくわからなくなりました。
生きていくのが辛い・・・・かといって自殺する気力も無い・・・ただ消えてしまいたいです。
こんな私でも生きていいのでしょうか・・・親として子供を育てていけるのでしょうか・・・強く生きるとはどういう事でしょうか・・・ましてやアセンションなど程遠いことでは無いでしょうか・・・・どうか教えてください。よろしくお願いします。
(A)あなたの今の状態は、悲哀に恋する「悲哀中毒症候群」みたいなものです。
それによって人の気を惹きたいという、自分では気付いていない心情が根底にあるのでしょう。
悲哀のタネが切れてくると身の置き場がないような気がして、現実であれ幻想であれイメージであれ、自分の悲哀を新たに創らないではいられない。
「登場人物」が自分だけでなく、確かに他者と関わりがある現実であっても、実際は、あなたの「創造力」が引き寄せたものです。
これはあなたのカルマで、克服しなければならない今生での課題なのでしょう。
つまり、すべては「自作自演」なのです。
原因は100%あなたにあるので、その事に気付いて改める気になれば、簡単に治りますよ。
逆に、あなたの親族、周りの人、物的環境または社会に原因があると思って、外に責任を押し付け、外に答えを求めるなら、この先も延々と似たようなドラマを繰り返すことになるでしょう。
(Q)「悲哀中毒」と言われずっと考えてきました。
もともと厭世的だったり悲観的な思いばかりしているからと言う事でしょうか?
自分でも気がつかないうちにしているとなると、意識して変えていくことなのですね・・・正直に言ってカルマとは努力して克服していくものなのですか・・・すべて答えは自分の中にありますよ・・・と言う声が聞こえてくるようですが、あえてお伺いいたします。
(A)何事も、ポジティブに捉えることと感謝の気持ちを持つことが大切です。
例えば、あなたの人生行路で関わりができるすべての人は、表面的にどう見えたとしても、あなたの成長をサポートしてくれています。
したがって、それらの人への感謝の気持ちを忘れないことが大切です。
この場合、俗世間的な善悪の区別や目先だけの利害、または個人的な好みなどに捕らわれないことが大切です。
最終的に、すべてがプラスになる---それに向けて着実に前進している、という感覚を持ち続けることです。
また、成就したいことを具体的にイメージして、それを意図することも併せてやるといいでしょう。《意図の「アセンション・パッケージ」》を参考にしてください。
不可能なことはありません。ひたすら意図してください。ただ、実現までの「懐妊期間」があることをお忘れなく。
これについては、あなたの波動レベルが高くなるにつれて、より速く現実化するようになるでしょう。
(Q)お返事有難うこざいます。
感謝の気持ちを持つと、全てが有難いと思えてくるのが不思議です。
今まで何とマイナスの言葉や思いを自分の心に住まわせてきた事か・・・申し訳ない気持ちで一杯です。
そしてこれからは、自分への恩返しの旅が始まると考えています。そしてひたすら意図すること・・・・・・も。
いま意図することは、全ての人と幸せになる事です。
具体的に何が出来るか・・・今はとにかく明るい気持ちで生きることを心がけていきます。
(A)その調子でいいですよ。
あなたが変わることによって、あなたの周囲が変わっていく---この地球を変えていくのに最も着実な方法です。
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