2008-12-24(Wed)
弾さん、それは詭弁です。
404 Blog Not Found:それって勉強じゃないよ
さっそくの言及ありがとうございました。
しかし、あまりの内容に愕然としました。
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以降の内容を削除します。
b:id:kiichi55さんのおっしゃるとおり、本筋の議論ではないところにずれていくのを助長しても仕方ないので。
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そんな偏見ないですよ
博士がただ民間で使い物にならないだけだからだと・・
といった副次的な現象を記す前に、何故その非対称性が発生するかについてもう少し深く考察されてみてはいかがか。
これはなかなか面白い問題だと個人的には思う。合理性といったものは人間が文化を発展させていく上で非常に大切なものであったので、欧米ではその価値がある程度認められているが、日本ではなぜかそういったものよりも感覚的なものが重視される傾向にある。この話もそのように一般化して議論するべき問題なのではあるまいか。
博士が重用されないのはtopさんのおっしゃる要素に加え、大学のあり方の問題や企業・財界の戦略性の弱さなど複合的な理由があるとおもいます。博士は確かに重用されてないけど、日本の支配構造の頂点には圧倒的に東大卒が多いですよ。
一方弾氏のような素朴な思想も、妬みの裏返しでしょう。思考し創造しつづけることの大切さを知りながら、他方で個人の知の限界を認識し人類の英知の蓄積を淡々と学ぶことへの畏敬を忘れない態度こそ知性を旨とする者の態度だと思います。その点ではエントリに賛成ですね。
一般論になってしまいますが。
勉強も、他のものでもそうだと思いますが、やっている当人は、単に楽しいからやっているだけだったりするのに、周りから評価される時に、なんか捻れたと言うか、ちょっとずれた見方をされる事ってありますよね。
大人なら、ある程度それを客観的に認識して処理出来たりするかも知れませんが(それも程度問題でしょうけれど)、子どもの場合、大変ですよね。なんで? という感じで。
「勉強」の話ですが、自分が小さい頃も、同じような事があったように思います。どのくらい普遍的なのかは解らないですけれど(世代的な違いがあるか、とか)、勉強が好き/出来る(学校で習う知識に関心を持ち、優秀な成績を取る)子は、「もの好き」と見られる場合があったよな、と、こちらを読みながら思い出したのでした。
ありがとうございます。
私が小さい頃、いちばん気持ち悪かったのは、おっしゃるようなダブルスタンダードだったのだろうと思います。
なぜ、そういうものが生まれるんだろう? すぐに答えが出るようなものではありませんが、ゆっくり考えていきます。
とりあえず今日は、ずっと感じてきた思いを表現できて、かなり充実感があります(笑)
>topさん
知っている範囲で言うと、外資系の製薬会社などは博士を積極的に採用していますが、そこから博士は使い物にならないという話は聞きません。
毎年博士枠を設けて採用しているところを見ると、印象はいいのでしょう。食わず嫌いの方が多いと思います。
>bookさん
ありがとうございます。
いずれ考えてみたいと思います。
>fzrさん
「思考し創造しつづけることの大切さを知りながら、他方で個人の知の限界を認識し人類の英知の蓄積を淡々と学ぶことへの畏敬を忘れない態度こそ知性を旨とする者の態度だと思います。」
おっしゃるとおりだと思います。
>TAKESANさん
こんばんはー。思いもかけず注目を集めてびっくりしてます。
自分の感じ方や思いと、周囲の評価がずれることがあるのは、当然と言えば、まあ当然ですよね。
むしろ、いつも一致している! と自己認識してる人がいたら、ちょっとこわいくらいです(笑)
ただ、おっしゃるとおり、子供の場合はほんとうに大変だと思います。
気が強い子や、あまりものごとを思い詰めない子であれば、なんとか乗り切ることができると思うのですが、そうじゃない子は、どれほど傷つくだろうと思うのです。
今はね、私も「もの好き」上等! です。
そうですね。おそらく「努力」をねたんだり、さげすんだりするのかもしれません。
だとしたら、よけいに悲しい・・・。
勉強できる=暗い・つまらないと印象付け、勉強なんてできなくてもいいんだ!と流し、馬鹿が影響を受けている構図ですね。それで充分に説明がつくかと。
勉強できない側の嫉妬やコンプレックスから来る場合もありますが、勉強できる側に攻撃してもよいという社会的コンセンサスもマスコミの影響の1つであると考えれば解りやすいと思います。
中高生の頃、教室ではなく、図書館や塾の自習室へ移って
勉強する事が多かったのですが、何でわざわざ移動していたのだろうって
今考えてみると、「周りがうるさくて気が散るから」ではなく
「また勉強してると思われるのが面倒」で目立たない様に気を遣っていた…
そんな覚えがあります。