棚機津女

 七夕が何故「たなばた」と呼ぶかについては、

古くは、「七夕」を「棚機(たなばた)」とも表記し、今日に至り、一般的に「七夕」を「たなばた」と発音するのはその名残である。元来、中国での行事であったものが奈良時代に伝わり、元からあった日本の棚織津女の伝説と合わさって生まれた言葉である。

 とあって、この読み方についての起源はわかるのだけれど、じゃあ「棚織津女の伝説」とは何なのか?

 いくつかのサイトで、こういう説明があった。

日本の棚織津女(たなばたつめ)のお話は、村の災厄を除いてもらうため、棚織津女(たなばたつめ)が機屋(はたや)にこもって、天から降りてくる、神の一夜妻になるという話です。旧暦の七月十五日に水の神が天下ると言われ、川、海、池のほとりに棚の構えのある機(棚織=たなばた)を用意して、村で選ばれた穢れ(けがれ)を知らない乙女(棚織津女)が神聖な織物を織って捧げました。乙女は神に一夜仕えることで、災厄と疫霊をお祓いすると信仰されていました。


「棚機」の棚は宛字ではなく、棚にいて機を織る少女が棚機姫(棚織津女)で、古代には夏秋の交叉の季節に、村落を離れた棚の上に隔離されて、海または海に通じる川から来る若神のために機を織っていた。

という説があり、

また、「棚機」とは「川に桟敷を渡し、その先に小屋を建てて、そのなかで機を織る又は神を待つ風習」

があったという説もある。



棚織津女とは、禊ぎ(みそぎ)の行事のひとつで、

巫女が水辺の棚で機織りをして神の降臨を待ち、村の穢れ(けがれ)を持ち去ってもらうといった行事でした。

これは、お盆(7月15日)に降臨する神様の衣をつくるためであったので、

この棚織津女が、乞功奠と結びついたといわれているのです。



本来、七夕は、3月3日の桃の節句や、5月5日の端午の節句や、9月9日の重陽の節句と同様に、中国伝来の暦上の風習である「節句」の一つである。それが、日本神話の棚織津女(たなばたつめ)の伝説と習合したため、「たなばた」と読むようになったのである。棚機津女(たなばたつめ)の伝説は、『古事記』に記されているもので、村の災厄を除いてもらうため、水辺で神の衣を織り、神の一夜妻となるため機屋で神の降臨を待つ巫女に由来するものである。



棚機津女の伝説は『古事記』に記されており、棚機津女という巫女が村の災厄を除いてもらうために水辺で神の衣を織り、神の一夜妻となるため機屋で神の降臨を待つという伝説です。
言い換えれば神への人身御供だったのかも知れませんね・・。

 とあり、だいたいの輪郭は掴める。そしてその記述は『古事記』にある、とも。
 実際、『古事記』にある、との記述はかなり多くのサイトにあった。

 しかし『古事記』にそんな記述、あっただろうか? 記憶にない。

 それに、あったとしたらこのネット社会、あっさりと検索に引っかかりそうなものなんだが......。

 と考えながらまたググってみる。

 すると、こんなサイトに遭遇。

七夕を「たなばた」と訓むのは
http://d.hatena.ne.jp/uumin3/20070707

 ここでは、このネット上の「『古事記』出典説」に疑問を投げかけ、

今のところこの「古事記に記されているとされる棚機津女という巫女の伝説」は無根のものと判断せざるを得ません。

 と結論づけている。

 なんか、胸の引っかかりが落ちた。

 さらにその後、コメント欄で指摘された

「この説の出所は折口信夫。ただし彼が古事記にその伝説があると主張したわけではない」

 というコメントと、その後の「補遺」を含めて興味深い。

 なるほどなあ。

突然食いたくなったものリスト:

  • 純情屋のチャーシュー

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ディスカバリー /FLYING KIDS



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コメント(6)

Momonga :

こんばんは。

 折口信夫の「水の女」ですね。

 最近調べたなと思って確認したところ、ブログに人柱とか機織淵の伝説について書いた時でした。上記のリンク先も見たことがありました。

 私は民俗学(と言うか妖怪・伝説の類)が好きなもので、この手の話にはよく出会います。
 こうした「伝説」の出所としては、折口信夫が多い気がします。どうも彼は用語の使い方や論の進め方が厳密でないようで、根拠がはっきりしないまま何となく流布してゆく“折口説”が結構あると思っています。信奉者も多いようですし。
 折口の語る世界は文章と相俟って美しく、非常に印象深いのですが。

 割と有名なマレビトとか春来る鬼の話も、額面通りには受け取れないと考えています。

 でも、原典に当たらない人って多いんですね。
 まあ、「一切経にあり」なんて書かれたらちょっとあれですが。

管理人 :

>Momongaさん

こんにちは。

折口信夫にしても柳田国男にしても、ビッグネームですしパイオニアでもあるでしょうし、流布しやすく、そして一度流布してしまえばなかなか反証もされにくい分野ですし、そうなりやすいんでしょうね。

私も折口信夫だとか津田左右吉だとかが……とか言われるととりあえずは信じてしまいます。(^^;

>でも、原典に当たらない人って多いんですね。

まあ、たいていの人にとっては「七夕」ってお題で何か書きたくなって、ググったら出てきた……というだけのことでしょうし。(^^;

ところで、もしも御存知なら教えていただければありがたいのですが……。

着物というのはほんの少し前まで質草の王道であったわけですし、大昔だって「服部」というくらいでやっぱり機織というのは特殊な技能が必要な(ということは高級な)ものだったのだと思います。

で、機織りの職人も棚機女なりアマテラスなりで顕著なように「聖化」されたのだとも思うのですが、この職人が専ら女として描かれた理由は、やはり機織りという営みそのものが神事と認識されたからでしょうか?

そして、機織りで出来た布そのものが神格化された事例はあるのでしょうか?

もちろんお答えは気が向いたらで結構ですので。

>まあ、「一切経にあり」なんて書かれたらちょっとあれですが。

それは大いにアレですね。(^O^)

Momonga :

こんばんは。

 私は専門ではないので、間違っているかも知れませんが。

 機織りは古代の先端技術だったと思います。秦氏もそうした技術を持って政権で重きをなしたと言いますし。

 機織りと神事ですが、おそらく布帛が神への捧げ物となるという事があって、それを織る役目が女性即ち巫女に振られたという事なのではないでしょうか。
 そうしたことから、神性を帯びた機織りに携わる人は専ら女性として描写されるようになったのかも知れません。

 ただ、技術としての機織りそのものが特に神聖視されたのか、神への捧げ物を作る過程が聖なるものと見なされたのかは、ちょっと分からないです。

 また、布自体の神格化については、直ぐに思いつくことはありませんでした。やはり幣帛というように、神への捧げ物としての性格が強かったように思われます。
 あとは、八幡の「はた」の如き依り代としての役割でしょうか。例えば、諏訪社の大祝の即位式の際に、御衣を着せ掛けるという儀式があり、大祝のことを御衣着(みそぎ)祝とも言うらしいのですが、これも衣=布が神の依り代と考えられていたことを示すものなのかも知れません。

 歩き巫女が機織りの杼を持っていたという話を聞いたことがありますし、振袖火事の伝説などもそうした依り代としての織物の名残と言えるかもと思っています。

 まとまらない内容で済みません。
 また、何か見つけたら追記したいと思います。

管理人 :

>Momonga さん

こんにちは。

いろいろ教えていただき、ありがとうございます。勉強になります。

> 機織りと神事ですが、おそらく布帛が神への捧げ物となるという事があって、それを織る役目が女性即ち巫女に振られたという事なのではないでしょうか。
 そうしたことから、神性を帯びた機織りに携わる人は専ら女性として描写されるようになったのかも知れません。

 これは結構気になります。
 機織りをする人がどうして「専ら」女性として描かれるようになったんでしょうね。確かに巫女であるというのは1つの理由になるとは思うのですが。

 なんというか、機織りに象徴的な意味合いでもあったのかなあ、とか思いを巡らせてみたり。

 機織りと言えばどうしても「鶴の恩返し」を思い出してしまいますが、妻の神性と「見てはいけない」という禁忌には、どうしても機織りという行為に象徴的な意味を持たせているように思えてきてしまいます。妄想ですが。

また教えて下さい。どうぞよろしくお願いします。m(_ _)m

Momonga :

こんばんは。

 余りまとまってはいないのですが、ちょっと気が付いたことを。

>機織りをする人がどうして「専ら」女性として描かれるようになったんでしょうね。

 単純に考えると、布帛も神饌と同じ神への捧げ物で、それらを調え、神に進呈する事は女性の役割であったという事なのでしょう。
 そうすると、何故神への饗応役が女性であったのかということになるのですが、恐らくこれは祭祀権における女性の優位というあたりに由来するのではないかと思います。
 卑弥呼や天照大神、古代の女帝など見ても、かつては祭祀において女性が主要な役割を担っていたのだと思われます。そうしたことから、時代が下っても神の饗応役は女性とされたのかも知れません。

 禁忌については、柳田國男などによれば、日本の信仰では祭祀者が祭祀対象そのものに同一視されてゆく傾向にあるらしいので、神や捧げ物に対する禁忌がその献上役や製作役に拡大されたことを示しているのではないでしょうか。
 ただ、こうした禁忌の昔話は機織り以外には余り聴いたことがないので(あれを植えてはいけないとか、そういった類の禁忌の伝説は数多くあるようですが)、機織りはやはり特別な意味を持っていたのかも知れません。

 本当は、きちんと専門的な知識を持った方にコメントして頂きたい所なんですが(酷い間違いを犯しているかも知れない訳で)。

管理人 :

>Momongaさん

いつもありがとうございます。m(_ _)m

>>機織りをする人がどうして「専ら」女性として描かれるようになったんでしょうね。
> 単純に考えると、布帛も神饌と同じ神への捧げ物で、それらを調え、神に進呈する事は女性の役割であったという事なのでしょう。

この場合の神は男神なのか、女神なのかというのは、考えれば考えるほどややこしくなってしまいます。巫女と神との同一視と考えるべきか、神と、その妻となる巫女と考えるべきか、と。
そういえば、アマテラスも機織りしてましたね。

>神や捧げ物に対する禁忌がその献上役や製作役に拡大されたことを示しているのではないでしょうか。

なるほど。このあたりが一番自然に解釈できそうな考え方かもしれませんね。

> ただ、こうした禁忌の昔話は機織り以外には余り聴いたことがないので(あれを植えてはいけないとか、そういった類の禁忌の伝説は数多くあるようですが)、機織りはやはり特別な意味を持っていたのかも知れません。

そうなんですよ。どうも機織りの話だけ、特殊な感じというか、浮いた感じがしてしまうんです。あまり知識がないので「どう」特殊であるのかは表現できないんですが。

> 本当は、きちんと専門的な知識を持った方にコメントして頂きたい所なんですが(酷い間違いを犯しているかも知れない訳で)。

誰か、読んでくれてないかなあ。(^^;

いえ、Momongaさんの示唆の1つ1つが刺激的で楽しいです。

おつきあいいただいて、ほんと、ありがとうございます。

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