島根県の石西厚生連が破産申告したニュースは、地元だけでなく全国の地域医療に携わる人々に動揺を与えた。時に報じられる都会の民間病院の廃院などとは、インパクトが違う。特に厚生連の経営陣や病院長らは、一様に「対岸の火事ではない」と受け止めている。問題の根の深さを考えると、既に厚生連や病院などの自助努力に頼るには限界を超えている。地域住民の命を守るため、国に政策変更を迫る時にきている。
石西厚生連は、1919年に当時の産業組合が、旧日原町(現津和野町)に診療所を設けたことに端を発して活動してきた。農村医療の原点とも言うべき地であり、全国の厚生連活動の象徴的な存在ですらあった。貧困にあえぐ「農家組合員の命を守る」という理念の下に、度重なる苦難を乗り越えてきた。しかしついに、苦渋の決断を迫られる時を迎えてしまった。
全国に117ある厚生連の病院は、その半数以上が人口5万人未満の医療圏に立地する。石西厚生連もそのうちの一つだ。周辺は中山間地で、高齢化や過疎化が進み、集落自体の存続が危ぶまれるところもある。もし撤退したり、廃院したりすると、無医地区になる可能性があり、不採算ではあっても続けなければならない状況にある。
こうした地域での病院経営は、困難を極める。約7割の厚生連病院が赤字といわれる。残り黒字3割も「診療だけでは赤字。診療外の収入で補っているから何とか成り立っている」(中国四国地方の厚生連病院長)という。
この最大の原因の一つとして、現場は「新臨床研修制度にある」ととらえている。医師自らが研修先を選べるようになったことから、待遇が良く、設備が整う都市部の大病院は人気の的だ。多くの症例に触れることも可能で、技術や知識を得たい研修医にとっては、そちらを選びがちになる。勤務条件がきつい大学に残って研修する医師が減って、大学自体が医師不足になると、これまで派遣を受けていた厚生連病院などからは派遣の引き上げという事態が待っている。
石西厚生連もそうしたあおりを受け、医師が減った。98年に20人いた常勤医がこの12月には8人になっていた。救急指定病院の返上や病床数の削減などを行ってきたが、負の循環に陥ってしまった。
厚生労働省と文部科学省が先ごろ制度の見直し案をまとめた。必修科目の研修期間を短縮するという内容だが、スピードアップにはなっても、現場が求める医師の偏在の解消にはならない。どこか的外れの感がする。
政府が主に進めてきたのは、国民医療費の削減と市場原理の導入であり、その裏で弱い立場の地域医療が窮地に立っている。自らの経営改善もしなければならないが、地域医療を守るための国民運動へ声を上げていこう。