「里海(さとうみ)」という言葉が近年注目されている。人里近くにあり、人々がマキ拾いをしたり、キノコ採りを楽しんだりできる「里山」を海に置き換えた考えだ。親子連れが潮干狩りを楽しめるような浜辺を思い描いてもらえばよい。環境省が今年度から3カ年計画で里海創生支援に乗りだし、初年度は2500万円、来年度も2100万円の予算が認められた。この機運を生かし、豊かな海を実現するため市民も積極的に参画していきたい。
今年は兵庫県・赤穂海岸や長崎県・大村湾など四つの支援海域を選定。市民団体などによるアマモ増殖や自然観察会などの活動をサポートしながら、他地域でも役立つマニュアルづくりを進めるという。
里海づくりは何も昔懐かしい海岸風景へのノスタルジーからではない。瀬戸内海や東京湾、伊勢湾など閉鎖性の高い海域は水質汚染の影響を受けやすく、漁業生産の低下も深刻だ。このままでは生物の多様性が失われる恐れもある。こうした海域の環境を改善し、健康な海を取り戻す有効な手だてになると期待されているからだ。
この言葉を1998年に最初に提唱した九州大学の柳哲雄教授(沿岸海洋学)は「人手が加わることにより、生産性と生物多様性が高くなった沿岸海域」と定義している。赤潮の発生メカニズムなど瀬戸内海の環境を長年研究するうちにたどりついた概念だ。
具体的には何が必要なのか。それは山から川、川から海へと続く物質の滑らかな流れを保つことだ。森林や里から溶け出した栄養分が川を通じて海に流れ込み、プランクトンを養い、それを魚や貝が食べる。この食物連鎖が断ち切られると赤潮の原因になる。海中に酸素がほとんどなくなり、生物が死んでしまう貧酸素水塊も発生する。海のメタボリック症候群だ。
自然海岸をコンクリート護岸で埋め尽くし、ダムで川を寸断すると滑らかな循環は守れない。稚魚が育つ藻場や、水質を浄化する働きのある貝類のすみかとなる干潟を埋め立てでつぶすこともご法度だ。公共事業による埋め立ては極力抑制し、港湾の改修などに際して護岸を自然海岸に近いものにし、生物が生息しやすくすべきだ。
豊かな森を守ることも欠かせない。「森は海の恋人」の合言葉で宮城県のカキ養殖業者らが山で植林を始めて20年になる。これを見習う漁協の動きが全国に広がっている。漁協が行う植林や海岸清掃、藻場づくりに一般市民が参加しだしたことは心強い限りだ。
一方で瀬戸内海の海ごみの多くは河川を通じて都市から流れ込んだものだ。都市住民が海の汚れに無関心では環境改善などおぼつかない。里海づくりは市民が海を身近に考えるチャンスととらえたい。
毎日新聞 2008年12月24日 東京朝刊