渡部亮次郎の「頂門の一針」1400
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渡部亮次郎の「頂門の一針」1400号
平成20(2008)年12月19日(金)
どう出る「08憲章」へ当局:渡部亮次郎
テニスの女王胡梛は健在:宮崎正弘
「政治主導」の勘違い:花岡信昭
「日米間の文化の違い」(1):前田正晶
もうひとつの五・一五事件:古澤 襄
話 の 福 袋
反 響
身 辺 雑 記
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どう出る「08憲章」へ当局
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渡部 亮次郎
中国で動き始めた「08憲章」について千里の堤も蟻の一穴から」と見る
ひともいるが、「死に際の猛虎」の凶暴さを見くびるなとの忠告を送る
人もいる。
何しろこれをうけいれたら中国で共産党はメシの食い上げだから死にも
の狂いで取り締まるというのが常識的な見方だろうが、さて。
当局は強硬姿勢、対話より暴力か
中国当局は「08憲章」についてどういう形で対処するか?
中国問題に関する評論や消息筋情報が満載で中国観察には欠かせない、
香港の月刊誌『開放』の編集長にして著名なチャイナ・ウォッチャーで
ある金鐘氏がインタビューに応じた。(2008年12月10日/聞き手:河井森
太郎)
金鐘氏は執筆者の劉暁波氏とも親しく、「08憲章」にもすでに署名して
いる。有数の中国観察家にふさわしく、金鐘氏は「08憲章」の内容に対
する充足感と希望を託す心情を吐露しつつも、「08憲章」が直面してい
る厳しい現実を冷静に分析・解説してくれた。
「中共当局は強硬な態度で臨んでくる、というのが私の見方だ。劉暁波
氏を『刑事拘留』したのは不吉な前兆といえる。2009年は中国の『政治
の年』だ。天安門事件20周年、チベット暴動50周年と、いずれも『多事
多難の年』になることを感じさせる」
「治安系統を統括する周永康(党中央政治局常務委員)は江沢民系の保守
的な人物で、独裁の威力の信奉者だ。劉暁波氏の逮捕を『2009年の鎮圧
を控えたお掃除』だなんて言う者もいる」
「『蘇東波』(ソ連・東欧社会主義政権の相次ぐ崩壊)は中共にとって
の悪夢。連中は『08憲章』が『憲章77』になることを決して許さないだ
ろう。ネット上の規制を強化して『08憲章』が広まるのを封殺するだろ
うね」
「08憲章」とは
◆一党独裁に叛旗!全面的民主化求める異例の檄文である。
中国共産党による一党独裁体制の終結と全面的な民主化を求めた「08憲
章」と題する文書で2008年12月10日、中国の学者や作家、弁護士,新聞
記者など303名の署名とともにインターネット上で発表されたもの。
知識人らの連署による政策批判や政治犯釈放要求は過去にも行われてき
たが、天安門事件以後、全国民がすくむ雰囲気にも拘らず300名以上が実
名を明らかにして公然と一党独裁を批判するのは極めて異例だ。今のと
ころ世界は運動の広がりと弾圧を企図する共産党政府の出方を固唾を呑
んで見守っている。
「08憲章」は著名な反体制評論家・劉暁波氏らが発起人となって起草さ
れたもので、「一党独裁」と明記してはいないものの、「新中国は名義
上は『人民共和国』だったが、実質的には『共産党の天下』だった」
「執政党が政治,経済,社会の一切を独占し」
「その結果数千万人の生命が失われ、国民も国家も極めて惨憺たる代価
を払うことになった」などと一党独裁体制を真っ向から批判。
その一方で多党制、三権分立、普通選挙制,基本的人権の尊重、共産党
色の払拭などといった全面的な制度改革を実現することで中国が健全な
民主国家に生まれ変わることができると主張している
中国当局はこれを「挑戦」と受け止めて強硬姿勢でこ対処するものとみ
られ、すでに劉氏ら複数を8日、「国家政権顛覆煽動罪」の容疑で刑事
拘束。今後も署名者への監視・拘束が相次ぐのは必至だ。
ただしネット上で各所に転載された「08憲章」は現在でも中国国内から
検索することができ、その大半はすでにアクセス不能となっているもの
の、一部のウェブサイトではいまだに全文を読むことが可能。この点は
天安門事件当時と違ういわばネット時代の「反革命」とも言えよう。
これについては署名者が出揃ったところで一斉摘発を行うのではという
見方もある。
しかし「08憲章」に賛同した署名者数は海外在住の中国人も含め,12日
現在ですでに1000名を突破。国内では知識人だけでなく労働者、農民、
企業経営者,プログラマー、大学生などの新規署名が目立ちつつあり、
賛同者が従来の枠を超えて庶民の間にも広がる勢いを見せ始めている。
折しも主要先進国の景気後退を受けて、輸出頼みでやってきた中国経済
は失速中。広東省だけですでに数万社が倒産したとみられ、突然の工場
閉鎖や解雇通告、また経営者の夜逃げで失業者となった出稼ぎ農民たち
が騒いで官民衝突に発展するなど事件が頻発している。
不動産と株のバブルもはじけて原野商法や高利を謳った違法な資金集め
などの被害者による暴動も相次いで発生。一方で中国独特の歪んだ経済
発展モデルが超格差社会という形で行き詰まった状態でもあり、待遇改
善を求めるタクシー運転手が地域を越えて連携し、各地で同時多発的に
ストライキを決行したのは記憶に新しいところだ。
こうして中国社会に不穏な空気が漂い始めた矢先、基本的に書斎派であ
る知識人を中心に発表された「08憲章」が庶民レベルでも受け入れら
れることになれば、事態は意外な展開をみせる可能性もある。予測は全
くつかない。
署名者には耕地強制収用や再開発事業で生活の場を失った農民や市民な
ど被害者に対する救済活動に奔走している人権派弁護士や、エイズ患者
救済活動家なども多数、名を列ねている。すでに半ば組織化されている
被害者経由で一般市民などへのつながりが生まれていけばどのようなこ
とになるだろうか。
あるいは、ネットのユーザー数が2億人を突破し、都市部住民の代弁者
として政府も無視できない存在感を示すようになったネット世論が、
「08憲章」を好意的に受け止めて盛り上がるようであればどうなるか。
果たして当局の取り締まりとやらは可能なのか。
生活に行き詰まって蹶起する事件が多発するなか、「民主化」という悠
長なテーマを掲げた「08憲章」が一般層に受け入れられるかどうかは甚
だ疑問だが、一党独裁体制やその必然的帰結のひとつである党官僚の汚
職や特権ビジネスの蔓延を公に批判する、という凛然たるスタンスが共
感を呼んで火種となり、反体制的なムーブメントが生まれるという「大
化け」の目は無いでも無い。
ともあれ、中共政権に対する「叛旗」、知識人による「宣戦布告」とも
いえる、ある意味歴史的な文書が出現しながら、日本のマスコミによる
報道は遺憾ながら未だ詳細に欠け不十分だ。
金鐘氏へのインタビューも意義はここにある。
「大化け」はやはり、夢で終わるのだろうか?
インタビュー:「08憲章」が中国を変える!――香港誌『開放』編集
長・金鐘氏
■格段に進化した「民主化綱領」
――「08憲章」は事実上現在の中共一党独裁体制を否定し、一方で民
主的国家の成立を目指すと宣言したものとみていいか?
「その通り。中国を日本のような民主国家にするというものだ。ただ
(「08憲章」の文面では)『一党独裁』という言葉は避けているが」
――「08憲章」は長期的ビジョンとしての提案なのか、それとも切迫感
に満ちた「檄文」とみるべきか?
「中国の民主化は長期的な目標。『08憲章』が主張しているものの多く
は短期間で実現できるものではない。だが『08憲章』の発表に踏み切っ
たのは切迫感によるものだ。中国社会の人権、法治、両極分化などとい
った不公正が、社会における様々な対立をエスカレートさせている。
『時代遅れした現行の体制はもはや改める他ないことを、災難のような
収拾のつかない状況が明示している』と『08憲章』の前言にある通りだ。
憲政制度改革への着手は待ったなし、ともいえる。官民ともにそういう
共通認識を持つべきだ」
――1989年の民主化運動〜天安門事件当時と比べて、「08憲章」の主張
する内容には相違点や進歩した点はあるか。
「1989年の学生運動(民主化運動)は、北京の大学生が官僚による汚職
蔓延への反発や胡燿邦の再評価を求めたことに始まり、それが報道の自
由、トウ小平引退を求めるという、国内はもとより世界の民主化運動を
震撼させる圧倒的な動きに発展した。
鎮圧されてはしまったが、その意義は極めて大きい。だがあの運動は、
全体主義体制を根本から全面的に改造するという大方針を最後まで打ち
出すことはなかった」
「当時の天安門広場のリーダーたちは結局のところ、政治的・思想的に
未熟な大学生だったからね。だが今回の『08憲章』はほぼ形の整った中
国改造の民主化綱領で、ここ100年の中国における無数の志士たちの心血
と夢が凝縮されている。だから内容についていえば、『08憲章』は明ら
かに1989年の学生運動よりも遥かに高い見地に立ち、とても成熟したも
のになっている」
■切迫した危機意識が生んだ「08憲章」
――中国国内の知識人たちが「08憲章」を発表した動機は?
「動機は3つあると思う。まずは現実的な切迫感。歪んだ形での発展が、
根深く広範で際限のない悪影響を中国にもたらしているという点だ。そ
れが良識ある知識人の心に重くのしかかっている」
「第2に、ここ20年近くの中国の『国民社会』の発育と成長が、『皇帝
への上書』といった伝統的な考え方から知識人を解放し、社会に直接訴
えかけるスタイルを生み出した。それが今回、わずかな時間で300名以上
もの、しかもその大半は知名度も活動分野もバラバラな人たちの署名を
集め得た要因だ」
「第3点は、外国の経験に学んだこと。チェコの劇作家ヴァーツラフ・
ハヴェル氏が1977年、ヘルシンキ宣言に織り込まれた人権擁護を当局に
対し求めた『憲章77』が、1980年代のチェコや東欧の民主化に歴史的貢
献を果たした。これは中国の知識人たちにとって忘れることのできない
啓示だ」
――「08憲章」の起草作業はいつごろから?
「『08憲章』の起草作業が始まったのが具体的にいつごろかは,私も知
らない。ただ、来年の『六四=天安門事件』20周年と今年の世界人権宣言
60周年という二つの節目を迎えるにあたって、発起人たちの間で話し合
いが行われたとは聞いている。結局12月10日の世界人権デーに今回の文
書を発表することにした訳だが、執筆にはあまり時間をかけていないよ
うだ」
「執筆者の中心的存在である劉暁波氏は、海外の中文メディアでよく知
られている政論家。この20年来北京に居を構えて、中国社会と政治に対
する鋭敏な観察者というスタンスを貫いている。1988年に北京師範大学
で博士号をとり、過去に中国独立作家ペンクラブの会長を務めたことも
ある」
――わざわざこの時期を選んで「08憲章」を発表したことに何か含みは
あるのか?国内の経済・社会状況に混乱が出始めたというタイミングと
の関係は?
「『08憲章』の出現が中国社会の悪化と危機に関係していることは話し
た通りだ。だが今日(12月10日)発表したのは、単に世界人権デーに合
わせただけのこと。もちろんこれは非常に良いタイミングだ。チェコの
『憲章77』も人権擁護の名の下に発表されたことを忘れないでほしい」
■保護者なし。投獄覚悟の孤独な闘争
――中国国内で「08憲章」のようなものを発表するというのは政治的リ
スクが極めて高いものと考えるが?
「そう、リスクがある。12月8日の夜に、劉暁波氏は『国家政権顛覆煽動
罪』で『刑事拘留』された。劉氏は『08憲章』を起草するに際して、投
獄に備えてちゃんと用意をしていたそうだ「77憲章」の。ハヴェル氏も
当時、日用生活品を整えていつ逮捕されてもいいようにしていたという
が、これは全く常人には理解できない、崇高な使命感を有した人の覚悟
だ」
――発起人をはじめ署名した知識人たちは何を拠りどころとしているの
か?後ろ盾はあるのか
「彼らに後ろ盾がいるかだって?人に聞かれたことがあるよ。戊戌の変
法の康有為ら六君子には光緒帝がいて、1989年の民主化運動には趙紫陽
がいたが、いまは誰が『08憲章』のメンバーを保護しているかってね。
私の知識と分析でいえば、『08憲章』には保護者の存在が全く見出せな
い」
――1989年の民主化運動のときは、党中央にも趙紫陽のブレーンなど民
主化を支持する開明的なグループがいたが、現在はどうか?いまの中国
に「08憲章」を支持あるいは保護する政治勢力は存在するか?
「歴史を振り返る必要があるね。あのとき趙紫陽派が学生運動の後ろ盾
だったかどうかはともかく、少なくとも学生運動に同情的で武力鎮圧に
は反対していた」
「1980年代を通じて行われた中国共産党上層部の権力闘争というのは、
国家も国民をも滅茶苦茶にした文化大革命を経て反省の念を深めた胡燿
邦や趙紫陽ら第2世代の指導者と、トウ小平に代表される保守的・伝統
的観念の元老派というべき第1世代との間に発生した調和しようのない
衝突といっていい」
「この衝突は元老派が学生運動を武力鎮圧したことで終わった。以後現
在までの20年間、中共当局は銭ゲバな経済路線を強力に推進して、社会
をまるごと、カネこそ全ての世界にしてしまった。様々な利益でエリー
トの大半を縛り上げて、国家の命脈、中枢部そして痛点を掌握したんだ」
「権力者とエリートが利益共同体となって、貧民たる庶民を圧制の下に
置いた。そうなると1980年代のような党上層部内の対立はもう起こらな
い。連中はどんな反体制的な動向に対処するにせよ、共通した立場にあ
るからね」
「つまり、党中央には『08憲章』を支持する政治勢力が存在することは
ない。たとえ内心では同情していても、ひとつの勢力を形成するには至
らない。民主派・自由派知識分子で党員になっている者は『08憲章』に
間違いなく共鳴するだろうが、その程度の支持で上層部を動かすのは困
難だ」
■大学生より庶民に期待
――現在の大学生は質の面で1989年当時より大きく劣り、社会的な問題
意識も希薄なように思えるが?
「その見方には全く同感だ」
――では「08憲章」が大学生の間で広く支持されると思うか?
「大学生の政治への情熱は20年前とは比べようもない。だから『08憲章』
を支持する学生はいるとしても限定的だろう。内心では支持していても
名乗り出る度胸はないだろうね」
――「08憲章」を発表することで学生運動の再現を期待するという意図
はあるのか?
「1989年の学生運動を再現するには、『08憲章』ひとつだけでは足りないな」
――「08憲章」は広範な庶民の支持を得られるか?
「一般社会での支持度は大学生や知識人たちよりも高くなると思う。特
に基本的な権利すら侵害されている底辺の民衆やネットユーザーあたり
だね。でも彼らの意思表示の方法は制約を受けるだろうな」
――「08憲章」は海外の中国人たちの間で、また国際世論に広く支持さ
れるか?
「海外の中国人は中国本土や香港、台湾よりも強く支持するだろう。国
際世論からも一定の支持を得られると思うが、もちろん1989年のように
熱烈なものにはならない。(『08憲章』は)ただ一片の文書に過ぎない
し、それが運動にも発展していないからね。世界的な経済危機にあって、
多くの国が中国経済の支援に頼っているという側面もある」
「ただ翻って考えれば、当局の強力な鎮圧はより大きな抵抗と社会の動
乱を招くだけだから、賢明な対処法は暴力ではなく対話に他ならない。
そのどちらを選ぶかについて中共上層部では意見が分かれるかも知れな
いが、賢明な意見が大勢を占めるのは難しいと私はみている」
――あなたが「08憲章」に署名した理由は?
「私が編集長を務める『開放』が創刊以来22年間、一貫して守ってきた
政治的理想と原則が,『08憲章』と完全に一致したからだ。それに劉暁
波博士は長年にわたる寄稿者であり、私たちの友人でもある。彼は『開
放』に数多くの素晴らしい政治評論を書いてくれたし、言行一致で深い
内省力を持った尊敬に値する人物だ。だから『08憲章』の推敲中の原稿
が私のところに回ってきたとき、公に彼を支持しようと決意した」
■暁闇に包まれて結実の日を待つ
――現在、中国の経済・社会状況は坐視できない混乱した状況に陥りつ
つあるようにみえるが、今回の「08憲章」の発表は中共政権に対する致
命的な一撃となるか?中国に平和的変革による民主化実現を促すものと
なるか?
「それこそが『08憲章』の起草者,署名者と数多くの署名していない中
国人の願いだ。差し当たってどういう運命をたどることになろうと、
『08憲章』は長期的な影響力を有していると私は確信している。それは
1989年の民主化運動のような勇壮なものではないかも知れないが、種と
して密やかに中国人の心に入り込んで根を張り、いずれ花を咲かせて実
を結ぶことだろう」
「新時代の理性は必ずや暴力に守られた邪悪に取って代わる。アジアに
おいて初めての共和国を成立させた民族は、必ずその栄光を取り戻すだ
ろう」
「しかし、私たちはいま少し黎明を控えた暁闇に耐えなければならない。
著名な余英時氏(米プリンストン大教授、『08憲章』署名者)からは、
死に際の猛虎の凶暴さを見くびるな、と忠告されたよ」
「確かに中国共産党による統治は強大で多種多様であるだけでなく、そ
の手段も極めて巧みで手が込んでいる上に,より緻密なものになりつつ
ある。これが『08憲章』の前に立ちはだかる現実なのだ」
――――
■金鐘氏プロフィール
1980年に中国本土から香港へ転居。1981年に中国情報月刊誌『七十年代』
編集者となり、1987年に中国情報月刊誌『開放』を創刊、編集長として
現在に至る。
1997年からは開放出版社の編集長職も兼任し、『毛澤東鮮為人知的故事』
(2006年)、『趙紫陽軟禁中的談話』(2007年)などのヒット作を刊行。
著書に『トウ小平的中國』『中國的演變』、編著に『共?中國五十年』
『紅朝宰相周恩來』。『趙紫陽軟禁中的談話』と『紅朝宰相周恩來』は
和訳版が日本で発売されている。
1994年に台湾誌『中国通』の特集企画「華人の中国問題専門家はこの10
人」の一人に選ばれる。「08憲章」発起人の中心人物・劉暁波氏は20
年来の知己。1988年に行った劉氏へのインタビューが後に中国当局によ
る劉氏批判の主要根拠となり、香港はもとより中国国内でも話題を呼ん
だ。香港の政論家としては中国政府によって入国を禁じられている唯一
の人物(1996年〜)。
金鐘氏が編集長を務める『開放』はチャイナ・ウォッチャー必読の月刊
誌。
なにしろ天安門広場の毛沢東の遺体はチリ芥になり人民大会堂も解体さ
れてしまい幹部は処刑されてしまうのだ。死に際の猛虎の凶暴さどころ
でない凶暴さが予測される。2008.12.17
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テニスの女王胡梛は健在
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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成20年(2008年) 12月19日(金曜日)
通巻第2427号 (12月18日発行)
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テニスの女王、あの胡梛選手はいまどうしていますか?
米中文化交流を中断、中国が激怒してから26年の歳月が流れた
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胡梛選手は中国が生んだテニス界の女王。
四川省出身。当時、19歳。万里副首相もテニスを胡梛と楽しんだ。アメ
リカに遠征中、突如、彼女は宿泊先から消え、米国に政治庇護を求めた。
当時のレーガン大統領は「わたしの養女にしても彼女の自由と人権をま
もる」と発言した。1982年のことだ。
その後、サンディエゴの弁護士(中国系アメリカ人)がかくまったとい
う説が有力だった。、「胡那事件」として世界のジャーナリズムが報道
した。小生も、隠れ住んでいると噂のあったサンディエゴまで取材に出
かけたこともあった。
中国は、このテニス選手を米国が亡命をそそのかしたと攻撃し、米中文
化・芸術、スポーツ交流を中断すると言う暴挙に出た。中断は1983年ま
での1年間に及んだ。
テニスでの勲章は1985年ウィンブルドンで世界16位。
さて胡梛は在米4半世紀、「殆ど収入の無い不遇をかこち、関節炎を患
っていた。台湾に治療に通うようになり、やがて台湾に定住する。テレ
ビのスポーツ解説も行い、元気を取り戻し、さらに驚くなかれ、ことし
7月、北京を訪問した」(台湾『連合報』、12月10日付け)。
過去4半世紀のあいだに中国と台湾はチャーター便を飛ばしあうほどに
緊張緩和の季節が訪れていた。
胡梛はいま、台湾でテニス教室を主宰するかたわら(正式な肩書きは
「胡梛テニスクラブ理事長」)台湾先住民の子供を3人養女として引き
取り、テニスを教えながら養育している。45歳、独身。嘗ての美貌を保
ちながら、「人生は前向きに!」をモットーに。
(胡梛の「梛」は女扁です)
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(おしらせ)
<1>12月19日午後一時から二時40分ごろまで「ラジオ日
本」の「ミッキー安川ずばり勝負」に宮崎正弘が生出演します。
<2>拙HP、更新されております ↓
宮崎正弘のホームページ http://miyazaki.xii.jp/
<3>19日、20日「桜チャンネル」討論番組に出演しております。司会
:水島総、出演:日下公人、西尾幹二、加瀬英明、西部遭、宮崎正弘、
青木直人(発言順、敬称略)
<4>次回の宮崎正弘講演会は1月22日午後6時半大手町産経プラザ「正
論を聞く会」です。演題は「世界金融危機をいかに日本は生き延びるか」。
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「政治主導」の勘違い
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花岡 信昭
内閣支持率の急落で自民党内が浮足立っている。こういうときには存在
感を示すチャンスとばかりに派手な動きをする議員が出るもので、やた
ら目立とうとするから麻生太郎首相の足を引っ張ることになる。
麻生首相は「党務」に疎い。国会対策や法案形成といった党内の仕事を
あまりしてこなかった。そのせいか、どこをどう押せば党内がまとまる
か、といった感覚が乏しいようだ。
小泉純一郎元首相も似たところがあったが、高い支持率をバックに剛腕
秘書官が政官界の調整を進めた。麻生首相の場合、党内を黙らせるだけ
の支持率もなく、周辺の「参謀」たちの力量に相当の落差があるように
見える。
たとえば、消費税の3年後引き上げを打ち出したが、党内で調整した形
跡はまったくない。首相がやみくもに方針を打ち上げれば「政治主導」
が貫徹されると思っているのだとしたら、これはとんでもない間違いだ。
内閣と党の政策決定システムの二元化をどうするか。これが政治改革の
重要なテーマだった。「党高政低」から「政高党低」への転換が求めら
れた。
同じ議院内閣制の英国では、党幹部がごそっと内閣に入るから、政策決
定は一元的に進められる。日本では副大臣や政務官などの制度が導入さ
れたとはいっても、政策決定の一元化には程遠いのが現状だ。
したがって、麻生首相の意欲は買うとしても、党から浮き上がった次元
で政策の大方針をポーンと出したところで、リーダーシップの証明には
ならない。逆に求心力を減殺させることになる。
政治は生身の政治家が行っているのだから、それぞれの打算もあれば感
情も働く。党内の枢要なポイントを押さえながら調整工作を進めないと、
現実の政治にはならない。
重要な政策方針を打ち出すのなら、側近の何人かが手分けして党内の要
人に事前に伝え、首相自らが何本か電話をかける。その段取りが欠けて
いる。だから、党内が冷ややかに見ることになる。「当然、オレに話が
あっていいはずだが、まったくなかった」という思いの人が増えると、
党内に不完全燃焼の雰囲気が満ち、政権の党内基盤にガタがくることに
なる。
麻生首相は1年で退陣した福田康夫前首相に代わり、「選挙のカオ」と
してのキャラクターが買われて総裁選圧勝を導いたのではなかったか。
あのときの高揚感が党内から消えた。これでは「政も党も低だ」産経連
載コラム【「政論探究」17日付】再掲。
★★花岡信昭メールマガジン★★659号[2008・12・18]転載
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「日米間の文化の違い」(1)
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前田 正晶
1972年8月に私は39歳にしてアメリカの会社に転身した。意図したもので
はなく「これも運命」と思い勧誘を受けた後5分も経たないで決心したの
である。
最初の数ヶ月間はただひたすら働くだけだったが、その間にも「文化の
違い」の壁が立ちはだかっているのを感じ始めていた。だが、それがア
メリカの文化とは知らず、何か「時差」のような見えないものかと、ボ
ンヤリと受け止めている程度だった
。時差に初めて出会った時は全く何が何だか解らず、身体の具合が悪く
なったのか、何でもないのかも解らず、初めて泊まったアメリカのホテ
ルの部屋で、1人で何が不安なのか解らない不安感に苛まれ、無闇にシャ
ワーを浴びていたものだった。
しかし、文化の違いはそのうちにシャワーどころではない勢いで襲って
きたらしい。「らしい」と言うのは最初の1〜2年間は思いがけない壁に
ぶつかるのが不思議でたまらず、その壁というか障害物を乗り越えるの
に精一杯で、それが何であるか、何処から来たのかなどを分析する余裕
など何処にもなかった。因みに、アメリカに行ったのはこの時が初めて
であった。
性悪説の国の人は善人ばかり:
私の持論では「アメリカは“性悪説”を信じている国であり、我が国は
“性善説”を信奉している人が良い人の国」なのである。
それが意外なことに会社の内外で出合うアメリカ人は個人的には皆良い
人たちと言うか、人が良いと思わせる人たちばかりであった。だが、彼
らはイザ何かが起きると一斉に分からず屋の集団と化すのである。これ
には参った。
その分からず屋の1人を捉えてトコトンまで追求し、間違いを指摘し、論
破すると、それを見ていた周りの連中はその分からず屋を庇い立てする
のである。彼は間違っていないと言うのである。結局、衆寡敵せず「俺
の負けか」と悟らせられるのだった。これは後に密かに「白人同盟」と
呼んだ難関だった。
物的証拠が必要:
ところがそればかりではない例外的な経験もあった。これは最初の転進
先M社でのことだった。M社の日本代表だったM氏はアメリカの事情に精通
しておられ、私には「この国の会社では全て記録して証拠を残しておく
必要がある。彼らは記憶を信用してないから毎日の行動を全てレポート
の形で残し、それを全部本社の担当マネージャーと副社長に送付してお
くと良い」と厳しく言われた。
その通りにするのは大変なことだったが忠実に実行しておいた。すると
ある時、本社から私が越権行為をしたと批判されるという事件が発生し
た。それは大事に発展しオウナー兼国際問題担当副社長が来日する際に
担当副社長とともに審議されることとなった。
私は副社長からのその件の指示の手紙(1973年にはe-mail等はない)を
ファイルしてあったし、そうするとの報告書も送付してあった。結果と
して副社長が多忙に取り紛れて自分宛の報告書を全部見ていなかったた
めの誤解と判明し、言うなれば私の勝ちとオウナーが判定を下した。彼
は副社長と対立していた外国人社員を分け隔て無く公平に扱ってくれた
のであった。
W社では私の通訳に関して一悶着あったことがあった。私は「30分くらい
話し続けても結構」と誇張して言うほど記憶力に自信があり、如何なる
場合でもメモをとることなく通訳していた。
だが、これを信じない上司もいて「彼奴の通訳は怪しい。こちらが日本
語で何を言っているのか解らないことに乗じて、適当に片付けているの
ではないか。それに彼はメモをとっていないではないか」と疑い始めた。
そう言われてみれば、通訳を生業としておられる方は何かしら忙しげに
書き込んでおられる様子だ。私は書くことに気をとられて聞いていられ
なくなるので、数字を除いては全て記憶に依存していた。それでも30分
は長すぎるが、10分くらいは十分に覚えていられたし、いわば逐語訳で
もやれるだけの自信があったのである。
この問題は第三者に同席して貰って「問題なし」と判定されて無事解決
した。それだけではなく、私は客先を訪問する際でも常にファイル・ホ
ールダー1つ持たず、如何なる事柄でも記憶だけで対応していた。これ
もその上司に「インチキでは」と疑われる原因であったらしい。
それは別の人に「必ず空でも良いからブリーフ・ケースを持って歩き、
如何なる会談でも白紙のメモでも良いから取り出し、それを読んでいる
ふりをせよ。そうしないと、我々は君を信じないであろう」と忠告され
て、漸くこの文化の違いを悟った次第である。すなわち、ここまでの3
つの経験で彼らは「勧進帳」的な物を信じない人種と解った。
Face saving:
「顔を立てる」ことでも悩まされた。ある時、当時の上司(1975年に再
度移籍したW社の、だが)に「そのような決断をされては私が苦心して築
き上げたこの業界における20年の顔が潰れて、彼らに顔向けが出来ない」
と心から訴えて、方針の変更を迫ったことがあった。
だが、彼はニベもなかった。「お前の顔など知ったことか。俺は自分の
職責を全うするために下した決断だ。変更するわけも出来るわけもない」
と一蹴されてしまった。彼らには「顔を立てる」習慣はないのである。
話は変わって、W社のいわばトラブル・シューターとして何度も日本に来
ていた技術サーヴィス・マネージャーは、その出張報告書に「日本には
救うべきか救って欲しいという顔が多すぎて、どの顔を立てて良いやら
サッパリ解らないので困る」とあった。
因みに「顔を立てる」は”Face saving”で良いだろうが、そういう文化
は彼らの間には存在しない。
テーブル・マナー:
この1975年に2度目の転身先のW社では、いきなりもの凄い経験をさせら
れた。工場で新たに日本駐在マネージャーとなった私を歓迎する夕食会
を全幹部が夫婦で参加して、田舎町のレストランで開催された。
主賓の私は日本式感覚で当然のようにメニューの中で最も安いものを注
文した。するとそれを聞いたある奥方が血相を変えて飛んで来て言った
「何という注文をするのだ。我々の習慣では主賓が注文した以上のもの
を頼めないのだ。我々は町一番のここに来るのは滅多にないこと。ここ
の一番美味なものを食べるのが今夜の楽しみだ。それを諦めさせるよう
なことをするな。貴方が好きか嫌いかは別にして、これとこれを注文し
てくれ。そうすれば私たちも安心して好きな物が楽しめる」と。
この勢いには圧倒されて、訳も解らず最も高価なステーキとロブスター
を注文して、大量の夕食と格闘した。その間に奥方連中はおしゃべりを
堪能していたのは言うまでもないこと。これは強烈な「文化の違い」の
洗礼だった。(次号に続く)
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もうひとつの五・一五事件
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古澤 襄
左眼の進歩的なジャーナリストたちは、この世相から右翼・ファシズム
が台頭すると警鐘を鳴らす。
私は戦前、戦後の右翼とは、一般の人より縁がある。五・一五事件、二
・二六事件の関係者とは、どういう巡り合わせか分からぬが、戦後も付
き合いが続いている。知らなかったとはいえ、二・二六事件で刑死した
北一輝の縁者を女房に持った。
私の目が節穴なのかもしれないが、進歩的人士が懸念するほど右翼が蠢
動している気配は感じられない。真冬の”お化け”の影に怯えているの
ではないか。
戦前の右翼には資金を提供する陸軍参謀本部や財閥があった。この不景
気のご時世に右翼に資金を提供するところがあるだろうか。いかに精神
的な右翼であってもカネがなくては動くに動けない。
と言ってウルトラ・ナショナリズムは米占領下に完全に駆除されたと断
じるのはどうかと思う。木下半治教授が言ったように日本ファシズムは”
不死鳥”なのである。(「日本国家主義運動史」)
日本の右翼には「天皇制護持」という特殊性がある。イタリアのネオ・
ファシズムやドイツのネオ・ナチズムとは異質の思想である。六〇年安
保の時代に日本の右翼陣営は、行動右翼・街頭右翼と思想右翼・純正右
翼が活発に動いた。
ハネあがりの行動右翼に対して純正右翼側から批判も出ていた。戦前か
らある”組織右翼”と”観念右翼”の対立が続いている。
だが天皇制に危機的状況が生まれないかぎり軽挙妄動は慎むというのが
60年安保を経た右翼陣営の大方の考え方ではないか。したがって不気味
な沈黙を守っていると見た方がいい。
右翼の跳梁を許す大状況は、国内政治の混乱と先の見えない不況であろ
う。今の日本の政治・経済状況は、右翼にとって不死鳥が甦る期待感を
抱かせる。連日のようにテレビで混迷状況がこれでもか、これでもかと
伝えられれば、右翼ならずとも強力な国家指導を望む声が出てくる。
60年安保の翌年暮に戦後の五・一五事件ともいうべきクーデター計画が
発覚している。この年の6月、米国のUPI通信社が「およそ12人の陸
上自衛隊少壮将校による政府転覆を狙った”東京クーデター”陰謀が、
自衛隊当局により摘発された」とスクープをした。慌てた日本政府は全
面否定。池田内閣の頃である。
暮になって警視庁公安部は東京、福岡など全国32か所を捜索。元川南
工業社長・川南豊作を中心とした旧軍人、学生らのグループ13人が逮捕
された。この中に昭和七年の五・一五事件で犬養首相を拳銃で射殺し、
15年の禁固刑を科せられた三上卓元海軍中尉が加わっている。
無税・無戦争・無失業の「三無」をスローガンに掲げて、池田首相ら政
府要人を暗殺、武力で国会を占拠する計画だった。計画が絵空事でない
のは、自衛隊の作業衣、戦闘帽99点、鉄カブト300個、米海軍用ガスマス
ク150個、投弾練習用の手榴弾1個、川南宅ではライフル銃1丁が押収さ
れている。
決起した部隊は戒厳令を敷き「失業者、重税、汚職のない平和国家」の
スローガンの下で臨時政府を樹立、容共的な閣僚、政治家を粛清するこ
とになっていた。
進歩的なジャーナリストが猛反対した破壊活動防止法の適用第1号で
「政治目的のため、殺人、騒乱罪などの予備をした」ことで関係者10人
が起訴された。日本のマスメデイアにとって”寝耳に水”の三無事件だっ
たが、米国のUPI通信社に見事に出し抜かれた。
事件発覚後、大宅壮一氏は次のように語っている。
「五・一五事件と非常によく似たケースだ。それというのも、戦後の日
本は経済的にたくましい成長をとげている半面、歴代政府の政治が無力
で弱体であったからにほかならない。池田内閣にしてもそうだ。
たとえば中小企業が深刻な金詰りにあえいでいるのに、世間ではレジャ
ーブームとやらで、なんとなく浮ついたムードがただよっている。こう
したムードが新しいものにあこがれる若い人や古い時代を懐かしむ旧軍
人に不満を助長させたのだ」
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話 の 福 袋
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◎クライスラー、1カ月休業=資金繰り難で全工場
【ニューヨーク17日時事】経営危機に陥っている米自動車大手クライス
ラーは17日、30工場すべてで19日から操業を1カ月間完全に停止すると発
表した。
休業はクリスマス休暇などもあり、当初2週間の予定だったが、延長は資
金繰り難などが影響しているとみられる。
業界では10日間前後休業することはあるが、1カ月間も操業を停止するの
は異例だ。
米欧メディアによると、クライスラーは同日付の書簡で、従業員や部品
メーカー、全米自動車労組(UAW)関係者らに休業を通知した。同社は米
政府の金融支援がなければ破綻(はたん)に追い込まれると訴えており、
米ビッグスリー(3大自動車メーカー)の中では最も経営が危機的状態に
あるとみられている。 12月18日7時35分配信 時事通信
◎<教育再生懇>携帯電話の小中学校持ち込み、原則禁止
政府の教育再生懇談会(座長、安西祐一郎・慶応義塾塾長)は、子ども
の携帯電話利用に関する提言の素案をまとめた。「小中学生が携帯電話
を持たないよう保護者や学校が協力する」とし、通話機能に限った携帯
電話の促進や、小中学校への原則持ち込み禁止を促している。
素案は、携帯電話が「子どもの生活習慣を乱れさせ、対人関係の希薄化
を招いている」として、利用制限の必要性を強調。原則的には必要ない
としたうえで、安全確保のため持つ場合は▽有害サイトに接続できない
フィルタリングサービスの利用▽情報を適切に利用するリテラシー教育
の徹底▽家庭内でのルール作り▽小中学校への持ち込み禁止など教育委
員会によるルール作り−−を提言した。
また双方向のやりとりができるサイトでいじめやトラブルが起きている
ことを問題視。ネット接続できない機能限定型の携帯の普及をめざし、
携帯電話事業者による販路開拓も促している。
再生懇は今年5月の第1次報告で携帯電話の使用制限をうたい、具体策
を練っていた。提言は来月、麻生太郎首相に提出する。
また再生懇は18日、教科書の質と量の充実を求める第2次報告を首相に
提出した。国語と理科、英語はページ数の2倍増を目指し、分量制限の
撤廃や教科書検定の審査基準見直しを提言。さらに「考える力をつける
題材の提供」が必要として、英字新聞や文豪の名文からの引用を具体策
として例にあげた。12月18日12時17分配信 毎日新聞
◎ジンバブエのコレラ死者、1000人に近づく 国連発表
(CNN) 国連人道問題調整事務所(UNOCHA)は15日、アフリカ南部ジン
バブエ国内でコレラによる死者が978人に上り、1000人の大台に近づいた
と発表した。
国連は今年8月から統計を取っており、感染疑い例はこれまでに1万8413
人を記録したとしている。
ジンバブエのヌドロブ情報広報相は先日、コレラの感染拡大が旧宗主国
の英国による「大量虐殺」だとコメントし、米英両国の反発を招いた。
また、独裁政治で国際社会から批判の矛先を向けられているムガベ大統
領は11日、ジンバブエ国内のコレラ感染を封じ込めたと発言。大統領報
道官は、西側諸国がジンバブエ侵略を計画しているとの認識から、大統
領が野党や援助団体に対する「皮肉」を語ったと説明した。英当局者は、
感染対策能力を備えた現地政権の不在に憂慮を表明した。 12月16日14
時36分配信 CNN.co.jp
◎中国当局が鳥インフル感染情報を隠蔽、市場に流出する感染鶏
【大紀元日本12月18日】近日、香港で鳥インフルエンザ感染が判明した
後、中国江蘇省東台市、海安市も鶏の大量死亡を発表した。政府側が情
報封鎖を実施したため、真相を知らない民衆は対策を取らず、鶏肉売買
の監視管理もなかった。現在、感染鶏は上海、山東省、河南省に流出し
ている。国際ラジオ放送「希望の声」が伝えた。
海安市獣医部門は鳥インフルエンザの検出を認めた。以下は調査時の録
音。
【録音】
記者:いつから発生したか?
スタッフ:大体1ヶ月前のこと。
東台市官(土+貝)村に鶏の約70%が死亡。症状として、熱や餌を拒否、
糞は緑色になる。計十数万羽の鶏が死亡した。
官(土+貝)村村民【録音】:ここの鶏は全部死んだ、全部、どんな病
気かわからない、薬を飲ませたが治らない、感染が速い。
東台市唐洋鎮民衆の話によると、鶏を飼った人の損失はかなり大きい、
しかし、政府の対応策はなく、マスコミも沈黙を続けた。これ以上無策
でいれば、人命にかかわる問題になる。
唐洋鎮民衆【録音】:政府は真相を隠した。防疫策も出さなかった。鶏
糞への処理や空気による伝染の防止などやるべきことはやってない。政
府側の見込みは損失が1.6億元。今度の疫病は鳥インフルエンザであるか
どうかはわからないが、伝染病であることは確実だ。政府は対策ではな
く情報封鎖に力に入れている。
報道によると、政府からの補助金が少ないため、病死した鶏は現在不法
業者のところに流れている。不法業者は数元の値段で死んだ鶏を買い取
り、加工してから、上海、山東省、河南省など地域で販売している。政
府側はこのような事態を防ぐための対策はいまだにない。
病死の鶏は闇の加工工場で、過酸化水で浸してから、冷凍する。東台市、
唐洋鎮だけでこのような加工工場は十数ヵ所ある。24時間体制で病死の
鶏を加工し、全国に発送する、新年の市場に売り込む予定である。現地
の冷凍庫に保存された病死の鶏の数は数十万羽に達する。
◎イラクでクーデター計画か=内務省高官ら35人逮捕−米紙
【ニューヨーク18日時事】18日付の米紙ニューヨーク・タイムズは、イ
ラクのマリキ首相直属の対テロ部隊が、旧支配政党バース党の復活を企
てたなどとして内務省高官らを逮捕したと報じた。
逮捕者は最大35人に達し、うち一部はクーデターを計画していたという。
同紙によれば、摘発は過去3日の間に行われ、逮捕者には将軍の肩書を持
つ高官4人が含まれている。うち1人は内務局長という。バース党の流れ
をくむゲリラ組織などと逮捕者らのつながりを示す多くの証拠があり、
捜索で多額の現金も見つかった。逮捕者らは仲間を増やすためわいろと
して金を使っていたとされる。 12月18日16時11分配信 時事通信
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反 響
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1)九州男さんのご意見(本誌1399号)に感謝します。裁判員を辞退
・拒否する方法は解説本などでいろいろ紹介されています。「バカ・ボ
ケかまして煙に巻く」のがもっとも簡単なようですね。
しかし、自分が「バカ、アホ、ボケ、変人」であると、なぜ一方的に
「自分を貶めなきゃならんのか」と、誇り高きドンキホーテ男(笑)は
思ってしまうので、「知恵をしぼらにゃならん」のです。私も「刑法39
条廃止」の考え。その「一切不適用」はよかですねえ。さらに貴重なお
知恵をご教示ください。
「最高裁の候補者専用コールセンターには・・2日間で問い合わせが4760
件。『辞退』に関する者が半数以上」(2008/12/2産経)。「・・社民・
国民新党が実施を延期するよう求めていくことで合意した。民主・共産
党にも働きかけていく」(2008/12/18朝日)とあります。
九州(長崎)の男である私としても大いに気になります。どがんなっとや
ろか・・。馬場伯明
2)「星がない」論に反響がありましたが、私の意図を読み取って頂
けていないと思います。私は「形勢逆転出来るような星を持った選手」
と言いたかったので、この方が言われたような法案成立や方針とは違う
と思います。折角何度も挑戦して成った総理・総裁がこういう時期では
「星がない」と言ったつもりでした。
誰がやっても、短時日にこの大不況を覆せないでしょうが、その時期に
登場するような星だったと言うことですが。私の表現力の問題でしょう
か?以上 前田正晶
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身 辺 雑 記
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中国の08憲章をめぐる動き。遅れないように伝える。騒動ニなること
必至。
ご投稿、ご感想をお待ちしています。下記。3712
ryochan@polka.plala.or.jp
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御意見・御感想は:ryochan@polka.plala.or.jp
HP:http://www.max.hi-ho.ne.jp/azur/ryojiro/chomon.htm
ブログアドレスは http://chomon-ryojiro.iza.ne.jp/blog/
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