■切迫した危機意識が生んだ「08憲章」
--中国国内の知識人たちが「08憲章」を発表した動機は?
「動機は3つあると思う。まずは現実的な切迫感。歪んだ形での発展が、根深く広範で際限のない悪影響を中国にもたらしているという点だ。それが良識ある知識人の心に重くのしかかっている」
「第2に、ここ20年近くの中国の『国民社会』の発育と成長が、『皇帝への上書』といった伝統的な考え方から知識人を解放し、社会に直接訴えかけるスタイルを生み出した。それが今回、わずかな時間で300名以上もの、しかもその大半は知名度も活動分野もバラバラな人たちの署名を集め得た要因だ」
「第3点は、外国の経験に学んだこと。チェコの劇作家ヴァーツラフ・ハヴェル氏が1977年、ヘルシンキ宣言に織り込まれた人権擁護を当局に対し求めた『憲章77』が、1980年代のチェコや東欧の民主化に歴史的貢献を果たした。これは中国の知識人たちにとって忘れることのできない啓示だ」
--「08憲章」の起草作業はいつごろから?
「『08憲章』の起草作業が始まったのが具体的にいつごろかは,私も知らない。ただ、来年の『六四=天安門事件』20周年と今年の世界人権宣言60周年という二つの節目を迎えるにあたって、発起人たちの間で話し合いが行われたとは聞いている。結局12月10日の世界人権デーに今回の文書を発表することにした訳だが、執筆にはあまり時間をかけていないようだ」
「執筆者の中心的存在である劉暁波氏は、海外の中文メディアでよく知られている政論家。この20年来北京に居を構えて、中国社会と政治に対する鋭敏な観察者というスタンスを貫いている。1988年に北京師範大学で博士号をとり、過去に中国独立作家ペンクラブの会長を務めたこともある」
--わざわざこの時期を選んで「08憲章」を発表したことに何か含みはあるのか?国内の経済・社会状況に混乱が出始めたというタイミングとの関係は?
「『08憲章』の出現が中国社会の悪化と危機に関係していることは話した通りだ。だが今日(12月10日)発表したのは、単に世界人権デーに合わせただけのこと。もちろんこれは非常に良いタイミングだ。チェコの『憲章77』も人権擁護の名の下に発表されたことを忘れないでほしい」
■保護者なし。投獄覚悟の孤独な闘争
--中国国内で「08憲章」のようなものを発表するというのは政治的リスクが極めて高いものと考えるが?
「そう、リスクがある。12月8日の夜に、劉暁波氏は『国家政権顛覆煽動罪』で『刑事拘留』された。劉氏は『08憲章』を起草するに際して、投獄に備えてちゃんと用意をしていたそうだ「77憲章」の。ハヴェル氏も当時、日用生活品を整えていつ逮捕されてもいいようにしていたというが、これは全く常人には理解できない、崇高な使命感を有した人の覚悟だ」
--発起人をはじめ署名した知識人たちは何を拠りどころとしているのか?後ろ盾はあるのか
「彼らに後ろ盾がいるかだって?人に聞かれたことがあるよ。戊戌の変法の康有為ら六君子には光緒帝がいて、1989年の民主化運動には趙紫陽がいたが、いまは誰が『08憲章』のメンバーを保護しているかってね。私の知識と分析でいえば、『08憲章』には保護者の存在が全く見出せない」
--1989年の民主化運動のときは、党中央にも趙紫陽のブレーンなど民主化を支持する開明的なグループがいたが、現在はどうか?いまの中国に「08憲章」を支持あるいは保護する政治勢力は存在するか?
「歴史を振り返る必要があるね。あのとき趙紫陽派が学生運動の後ろ盾だったかどうかはともかく、少なくとも学生運動に同情的で武力鎮圧には反対していた」
「1980年代を通じて行われた中国共産党上層部の権力闘争というのは、国家も国民をも滅茶苦茶にした文化大革命を経て反省の念を深めた胡燿邦や趙紫陽ら第2世代の指導者と、トウ小平に代表される保守的・伝統的観念の元老派というべき第1世代との間に発生した調和しようのない衝突といっていい」
「この衝突は元老派が学生運動を武力鎮圧したことで終わった。以後現在までの20年間、中共当局は銭ゲバな経済路線を強力に推進して、社会をまるごと、カネこそ全ての世界にしてしまった。様々な利益でエリートの大半を縛り上げて、国家の命脈、中枢部そして痛点を掌握したんだ」
「権力者とエリートが利益共同体となって、貧民たる庶民を圧制の下に置いた。そうなると1980年代のような党上層部内の対立はもう起こらない。連中はどんな反体制的な動向に対処するにせよ、共通した立場にあるからね」
「つまり、党中央には『08憲章』を支持する政治勢力が存在することはない。たとえ内心では同情していても、ひとつの勢力を形成するには至らない。民主派・自由派知識分子で党員になっている者は『08憲章』に間違いなく共鳴するだろうが、その程度の支持で上層部を動かすのは困難だ」
■大学生より庶民に期待
--現在の大学生は質の面で1989年当時より大きく劣り、社会的な問題意識も希薄なように思えるが?
「その見方には全く同感だ」
--では「08憲章」が大学生の間で広く支持されると思うか?
「大学生の政治への情熱は20年前とは比べようもない。だから『08憲章』を支持する学生はいるとしても限定的だろう。内心では支持していても名乗り出る度胸はないだろうね」
--「08憲章」を発表することで学生運動の再現を期待するという意図はあるのか?
「1989年の学生運動を再現するには、『08憲章』ひとつだけでは足りないな」
--「08憲章」は広範な庶民の支持を得られるか?
「一般社会での支持度は大学生や知識人たちよりも高くなると思う。特に基本的な権利すら侵害されている底辺の民衆やネットユーザーあたりだね。でも彼らの意思表示の方法は制約を受けるだろうな」
--「08憲章」は海外の中国人たちの間で、また国際世論に広く支持されるか?
「海外の中国人は中国本土や香港、台湾よりも強く支持するだろう。国際世論からも一定の支持を得られると思うが、もちろん1989年のように熱烈なものにはならない。(『08憲章』は)ただ一片の文書に過ぎないし、それが運動にも発展していないからね。世界的な経済危機にあって、多くの国が中国経済の支援に頼っているという側面もある」
「ただ翻って考えれば、当局の強力な鎮圧はより大きな抵抗と社会の動乱を招くだけだから、賢明な対処法は暴力ではなく対話に他ならない。そのどちらを選ぶかについて中共上層部では意見が分かれるかも知れないが、賢明な意見が大勢を占めるのは難しいと私はみている」
--あなたが「08憲章」に署名した理由は?
「私が編集長を務める『開放』が創刊以来22年間、一貫して守ってきた政治的理想と原則が,『08憲章』と完全に一致したからだ。それに劉暁波博士は長年にわたる寄稿者であり、私たちの友人でもある。彼は『開放』に数多くの素晴らしい政治評論を書いてくれたし、言行一致で深い内省力を持った尊敬に値する人物だ。だから『08憲章』の推敲中の原稿が私のところに回ってきたとき、公に彼を支持しようと決意した」
■暁闇に包まれて結実の日を待つ
--現在、中国の経済・社会状況は坐視できない混乱した状況に陥りつつあるようにみえるが、今回の「08憲章」の発表は中共政権に対する致命的な一撃となるか?中国に平和的変革による民主化実現を促すものとなるか?
「それこそが『08憲章』の起草者,署名者と数多くの署名していない中国人の願いだ。差し当たってどういう運命をたどることになろうと、『08憲章』は長期的な影響力を有していると私は確信している。それは1989年の民主化運動のような勇壮なものではないかも知れないが、種として密やかに中国人の心に入り込んで根を張り、いずれ花を咲かせて実を結ぶことだろう」
「新時代の理性は必ずや暴力に守られた邪悪に取って代わる。アジアにおいて初めての共和国を成立させた民族は、必ずその栄光を取り戻すだろう」
「しかし、私たちはいま少し黎明を控えた暁闇に耐えなければならない。著名な余英時氏(米プリンストン大教授、『08憲章』署名者)からは、死に際の猛虎の凶暴さを見くびるな、と忠告されたよ」
「確かに中国共産党による統治は強大で多種多様であるだけでなく、その手段も極めて巧みで手が込んでいる上に,より緻密なものになりつつある。これが『08憲章』の前に立ちはだかる現実なのだ」
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■金鐘氏プロフィール
1980年に中国本土から香港へ転居。1981年に中国情報月刊誌『七十年代』編集者となり、1987年に中国情報月刊誌『開放』を創刊、編集長として現在に至る。
1997年からは開放出版社の編集長職も兼任し、『毛澤東鮮為人知的故事』(2006年)、『趙紫陽軟禁中的談話』(2007年)などのヒット作を刊行。著書に『とう小平的中國』『中國的演變』、編著に『共?中國五十年』『紅朝宰相周恩來』。『趙紫陽軟禁中的談話』と『紅朝宰相周恩來』は和訳版が日本で発売されている。
1994年に台湾誌『中国通』の特集企画「華人の中国問題専門家はこの10人」の一人に選ばれる。「08憲章」発起人の中心人物・劉暁波氏は20年来の知己。1988年に行った劉氏へのインタビューが後に中国当局による劉氏批判の主要根拠となり、香港はもとより中国国内でも話題を呼んだ。香港の政論家としては中国政府によって入国を禁じられている唯一の人物(1996年〜)。
金鐘氏が編集長を務める『開放』はチャイナ・ウォッチャー必読の月刊誌。なにしろ天安門広場の毛沢東の遺体はチリ芥になり、人民大会堂も解体されてしまい幹部は処刑されてしまうのだ。死に際の猛虎の凶暴さどころでない凶暴さが予測される。
杜父魚ブログの全記事・索引リスト(12月6日現在2568本) author : 古沢 襄