2005年4月10日        労働者の力             第 181号


我々の元同志、佐々木力氏のセクシャルハラスメントについて

全ての人々に謝罪する


2005年2月6日国際主義労働者全国協議会     

 


 
謝罪と決意

 東京大学大学院教授の任にある佐々木力氏がセクシャルハラスメントを理由として処分を受けたことが、4年12月24日大学当局から発表された。発表においては、被害者(以後Aさんと表記する)の人権に配慮するとして、佐々木氏の名前は伏せられた。
 しかし国際主義労働者全国協議会(以後全国協議会と表記)は、処分を受けた当人が佐々木力氏であり、4年12月5日まで全国協議会の同志であったことをここに公表する。そのことが全国協議会の義務だと考える。今尚トロツキストを自認する佐々木氏の後述する行為、さらにその行為の意味に対する彼の無自覚は、労働者、民衆の抑圧との闘いに対する重大な背信だと考えるからである。
 そして、彼がAさんを精神的に威圧し恐怖を与えると共に、彼女の学究活動と日常生活を阻害し、彼女の心に大きな傷を残したばかりではなく、その研究者としての将来にも不安を与えたこと、そしてそれらの行為を止めることに全国協議会が失敗したことを、全国協議会はその間佐々木氏と組織を共にしてきた者として、Aさん並びに全ての人々に謝罪する。
 その後の経過を我々が知る限り、佐々木氏は現在に至るも自らの非を一切認めていない。後述するように全国協議会は、この問題を既に3年夏以来彼と討論を重ね、彼が問題の所在と彼自身の責任を自覚し、Aさんへの真摯な謝罪を行うことを求めてきた。その中で彼は4年6月以降になってではあるが、Aさんへの謝罪と自己批判の意思を一旦は表明した。しかし現在から見れば、それは彼の本意ではなかったと言わざるを得ない。結局組織内の1年半の討論は何の実も結ばなかった。この点についても全国協議会は自身の責任を感じている。現代社会の抑圧の諸構造と闘う上で、全国協議会の認識と組織活動には大きな欠落があることを自覚せざるを得ない。
 この現実を前にすれば、我々に不信と批判が向けられることは当然であり、我々はそれを甘受する。しかしその上で尚、またそれ故にこそ我々は、民衆の自己解放を求める闘いを切り開くために、共に誠実に闘い抜きたいと思う。そしてその途上における不可欠の課題として今回の問題を直視し、それと真摯に格闘したい。
 そのために全国協議会は以下に、佐々木氏によるハラスメントの事実と、それに対する我々の認識、及びこの1年半の取り組みの経過を明らかにし、多くの人々の批判を仰ぎ、それを糧としたい。但し、Aさんの特定につながりかねない事実に関しては、1部を省略あるいは抽象化させざるを得ないことは容赦願いたい。このこと自体についての批判、疑念は当然あり得ると思うが、現時点で我々はそれに甘んじて耐えるしかない。
 尚全国協議会は、佐々木氏に自らの行為に対する自覚と反省がない以上、少なくともAさんの学究活動の保障という1点からだけでも、佐々木氏は東京大学の職に留まるべきではないと考えている。佐々木氏と全国協議会の間には、既に確実な討論の回路はないが、我々は何らかの形でそのことを要求し続けるつもりである。
 さらに今回の公表に関する責任は全て我々全国協議会にある。そこにはAさんを最後まで防衛し、彼女の要請に応えるという義務が、当然にも含まれる。全国協議会はその義務を全力をあげて果たす決意である。

ハラスメントの事実

 ハラスメントが存在する、と我々が理解する佐々木氏の行為は、以下の事実である。

●留学生Aさんに対する観光旅行同行の誘い(3年春)
 この年同時期に、佐々木氏、Aさんには各々海外での研究活動の予定があり、双方の活動地は比較的近かった。佐々木氏の場合は科学史国際セミナー。彼はセミナー終了後の保養観光(2、3日)を計画し、そこへのAさんの合流、その後の研究者紹介を提案。当初Aさんは了承したものの、旅程確定期日が迫るにつれ、2人だけの旅程に不安を深め、Eメールで婉曲に(経済的理由など)、しかし明確に辞退を表明(3年7月半ば)。
●上記辞退を起点としたEメールによる威圧と人格非難(3年7月後半)
 佐々木氏は、Aさんの懸念への何らの洞察もなしに辞退の翻意を促しつつ、もっぱら「ドタキャン」を理由に、Aさんの学問的将来性に触れつつ、国外での研究活動そのもの中止の可能性や研究者紹介の取り止めを含む事実上の恫喝、さらに不誠実、幼稚などと人格非難(この間、Aさんと数通のメール交換)。
●研究に関するAさんの要求の拒絶
 上記メール交換の過程でAさんは、佐々木氏に対する不信を決定的に深め、恐怖を感じ、Aさんの研究方法についてある要求を申し出たが、佐々木氏はそれを拒否(3年7月末)。
●我々の佐々木氏批判に対抗するためのAさんの巻き込み(3年10月)
 佐々木氏の理解する我が同志達からの「いわれなき佐々木告発」に関し、Aさんに自己批判要求。
 それは、佐々木氏本人からのEメールによるものだけではなく、他の留学生を通してもなされた。
●「学問の正道」への復帰を要求する、執拗な働きかけ(4年1月〜4月)
 佐々木氏に対するAさんからの年賀、及び誕生日祝賀メール(常識的には東洋的儀礼)を契機に、佐々木氏が考える「学問の正道」への復帰を要求する働きかけが始まる。
 特に3月末以降は、Eメール頻度が激しくなり、日常生活並びに研究生活に関わる恐怖をAさんに強く感じさせた。

 これらの行為には3つの性格を併せ持つハラスメントがある、と我々は考える。
 第1には、帝国主義日本の権力構造の1部をなす国立大学において発生した、アジアからの留学性に対する民族差別ハラスメント。
 第2には、大学院留学生という「弱い立場」に対して行われている、大学権力の1員としての教授によるアカデミックハラスメント。
 第3に、現実社会の中で女性が置かれた性を対象とした抑圧感に何らの配慮もない、客観的に女性に付加される心理的圧迫と負担に気付くこともない秩序・文化への同化を迫り、精神的苦痛を女性の側に一方的に背負い込ませるセクシャルハラスメント。今回の場合、この秩序・文化とは、大学内権力秩序に裏打ちされた事実上佐々木研究室の秩序・文化であり、そこへの女性の同化の強要とは、佐々木氏への絶対的信服あるいは服従の強要、に等しい。
 Aさんは、先の佐々木氏の行為に何よりも先ずセクシャルハラスメントを感じた。彼女を苦しめたものが、先ず性的防御から発する疑念、不安、恐怖などの心理的圧迫だったからである。同志達の佐々木氏への問題喚起も、彼女の問題認識を共有することから始まった。しかし佐々木氏は、このような彼女の現実の精神的苦痛を一顧だにせず、あるいは洞察しようとすらせず、「学問」を正当性の論拠として、むしろ苦痛を高め実生活上の障害さえ作り出した。

全国協議会の対応の経過

●上に見るように東京大学大学院教授である佐々木氏は、その権威と権力を背景にAさんに重大な精神的威圧を加えAさんの自律と尊厳を脅かした。少なくともAさんはそのように受け止め、佐々木氏とのあらゆる関わりを拒絶するほどに不信を深め、同時に恐怖を感じている。3年7月我が同志達は、偶然の機会からこの問題を知った知人達からそのことを知らされ、Aさんが窮状から脱出するための助力を知人達から要請された。同志達は、佐々木氏が彼女に送ったEメール(数通)に基づき、佐々木氏の行動にハラスメントの性格があると判断した。それ故同志達はその趣旨をEメールで彼に伝え注意を促した。同志達は、客観的に支配を受ける側に位置し、現に抑圧を訴えているAさんの擁護を、出発点とした。
●しかし佐々木氏は、彼の行為がハラスメント(セクシャル、アカデミック、民族差別の3つの要素を併せ持つ)の性格をもつ、という同志達の批判を全面的に拒絶し、以後全組織的かつ深刻な論争が続いた。そしてこの中で佐々木氏は、彼を除く全同志から批判を受けることになった。佐々木氏は、Aさんに対する彼の言動を、教育的観点からの(強い)助言である、と一貫して主張した。そして学問の立場に立つ彼の意図を認識も理解もせず、学問の自律性に干渉した、として他の同志達を批判した。同時に彼は、Aさんの擁護から出発する他の同志達の観点を形式的衡平を論拠に批判した。この論争は、社会の中に多様な形で埋め込まれている抑圧と支配の形態と意味について、さらにまたそこにおける民衆の実効的な権利回復の進め方に関し、佐々木氏と我が組織の間に認識上の、さらに実践上の深刻な相違があることを浮き彫りにした。
●一方佐々木氏は、Aさんへの精神的圧迫を一時期は停止したものの、4年1月以降圧力行使を再開した。それは3月後半以降、彼女の学究活動と日常生活すら阻害するほどになった。これらは、論争を続ける前提としての組織と佐々木氏の間の合意(メールを含む一切の彼女との関わりの停止)に完全に反していた。ハラスメントは、客観的な性格という段階から「事件」として社会的に取り扱われるレベルへと達した。。
 ここに至って全国協議会は、Aさんへの謝罪と自己批判か、それとも組織からの離脱かのどちらかを選ぶよう佐々木氏に勧告せざるを得なかった(4年4月末)。
●一方Aさんはこの状況に直面し、問題を大学内のハラスメント相談所に訴えることを決断した。その結果佐々木氏は、大学の公式機関であるハラスメント委員会での調査を受けることになった。
●全国協議会は前述の討論の中で一貫して、佐々木氏の言動の持つ作用が彼が現実に保持している大学内の権力と分かちがたく結び付かざるを得ないことを指摘し、ハラスメントの性格についての自覚と、その上に立ったAさんに対する謝罪並びに自己批判を佐々木氏に求めてきた。しかし上述してきたように、我々の要求と同志としての期待は遂に満たされなかった。
 この経過を経て全国協議会は、4年12月5日をもって、佐々木氏を我々の同志と認めない、ということを最終決定した。この決定には、今後このことを公表し、佐々木氏に自身の行為の意味を悟らせることができなかったことを共に闘ってきた人々に謝罪すること、が含まれている。

我々の認識及び佐々木氏との深い溝

 その多くが労働者である我が同志達は、同志達が生きている具体的な場で、現にそこにある抑圧と日々闘っている。その闘いは、現代資本主義が社会の中に構造化している複雑な支配関係との闘いである。そこには、自己の内面にも進入している歴史的な家父長的秩序・文化の具体的な克服が含まれる。それは、民主主義のより深い実効化を求める、特に60年代後半以降の労働者、民衆の運動が我々に突きつけた課題であった。
 そこには特に70年代以降の民主主義要求とその運動的展開の中で、世界が獲得した民主主義―平等、連帯,尊厳、そして自律―についてのより深い捉え返しがあった。例えば、アファーマティブアクション、クウォータ制、ノーマライゼーションなど、自己決定を中心に置いた女性やマイノリティの諸権利の実質化は、そしてハラスメント概念の確立と定着自体、この時代のものである。
 それは、均質な諸個人が作るある種単純な関係を前提とする形式的平等、形式的公平にたつ60年代以前の民主主義理念、とは相当に異なる。それはまた、一塊に捉えられた階級間の関係に抑圧を還元する旧来的左翼理念とも異なる。
 歴史にも根を持ち、かつそれを包含し現代資本主義秩序として転形再生産され、社会内の日常に深く複雑に根を張った、それ故民衆の秩序感覚にも投影された差別と抑圧の諸構造に対して、より実質のある平等と連帯を再形成するための具体的模索が続いている。一方において、新自由主義者による、60年代以前の民主主義理念を盾にした巻き返し圧力も強まっている。それ故民主主義の深化を巡る闘いは、現代の白熱した民衆的闘争であり続けている。
 このような観点から我々は、差異化された社会に対して自己組織化と自己決定を基軸として対置し、家父長制に対する闘いを強調し、さらにレーニン型の党組織からの大胆な転換に踏み出そうとしている第4インターナショナル15回世界大会決議を、真剣に受け止めている。
 そして何よりも我々は過去において、組織内での強姦という女性に対する深刻かつ差別的な人権侵害、人格否定行為を発生させ、かつその行為をその名で即座に認識できず女性同志に対する打撃を拡大した、という重大な過ちを犯した。このことにより旧JRCLは、女性同志全員から否認された。それは、旧JRCL分裂の一因であると同時に、日本の組織が第4インターナショナル構成員である資格を失った直接の原因であった。
 しかし全国協議会は、民主主義について先のような理解を進めつつも、このような深刻な誤りを具体的に克服する道を未だ見出せず、その克服に向かう実際の歩みは今尚我々の課題であり続けている。
 現代社会に張り巡らされた複合的な抑圧の構造との闘いにおいて、全国協議会が負う上述した2重の義務という観点に立ったとき、この1年半佐々木氏がとった対応は我が同志達にとって全く受け入れ難いものであった。前述した佐々木氏の主張には、問題の責任を結局のところAさんに帰する論理が抜きがたく貼りついているのであり、それは実際にも佐々木氏によるAさんへの人格非難として形をとっている。つまり佐々木氏の主張が貫かれる限り、被害と加害が逆転されるのである。このことを我々は決して受け入れることはできない。
 佐々木氏の主張は、結局民主主義を巡る現代の民衆的希求への敵対なのであり、それはAさんの告発として事実をもって示された。前節に示したような見解に固執する佐々木氏は、60年代以降の民主主義運動の深化を基本的に無視している、と言わざるを得ず、前述したように全国協議会は、佐々木氏との間に深刻な政治的溝を確認せざるを得なかった。
 さらに佐々木氏は、先の節に示した事実の特に後半3つに明らかなように、Aさんが精神的に、さらに実生活上も深く傷付いているという事実に殆ど目を向けていない。その責任が佐々木氏にあるという点についても無頓着といってよい。彼の関心はもっぱら自身の「名誉回復」にある。
 この状況も我々には耐えられないものであった。自己解放を民衆的連帯の中で実現しようとする運動を担う者としての、出発点をなす資質における致命的欠陥を認めないわけにはいかないからである。そして同時に佐々木氏のこの姿勢は、現実と理念との厳しい緊張関係を事実上否定するものと我々には映る。
 結局この1年半の論争は、佐々木氏と他の同志達との間にある溝の深さを確認するものであった。

我々の課題

 今回の問題を巡り我々には、組織としても個々の活動家としても、多くの問題が突き付けられている。
 何よりもそれは、過去に犯した過ちの克服が停滞したままである全国協議会の現実を容赦なく照らし出した。事実として佐々木氏との今回の論争には、過去の論争の蒸し返しの要素が少なからず含まれていた。その意味でこの論争はある種後もどりであった。しかしその限りで我々は、過去の再出発における論点を全体で再確認すると共に、その際は必ずしも明確でなかったもののいくつかを、具体的問題を通して全体が共有する形である程度整理することはできた。その多くは、この間の日々の具体的闘いの中で、民主主義の実効化を求める多くの闘いから同志達各自が学ぶことに依っている。しかしそれは、我々が今改めて突き付けられた課題との対比では、あまりにささやかなものに過ぎない。
 全国協議会は今に至るも組織として女性と闘いを共有することができていない。そしてそのための討論を抽象化させることなく、具体的実践として何に踏み出せば良いのか、全国協議会は未だ5里夢中であり、足踏み状態にある。佐々木氏と全国協議会との政治的溝が気付かれずに放置され、佐々木氏に認識の前進を促す力が不足していた要因の一端も、おそらくはこの点にある。どうすればよいのか、我々は現実を手掛かりに模索し続けるしかない。もしかしたら、過去に重大な過ちを犯した世代には、克服は不可能なものなのかもしれない。我々に対する女性の不信はそれ程に深い、ということを我々は自覚している。今回の問題はその不信をさらに深いものとするだろう。しかしそうであっても、またそれ故に我々にはできる限りの努力を続ける義務がある。その覚悟を含めて、そして「もう1つの世界」を求める民衆の新しい結合の模索に合流する中で、未来における克服の展望が開かれることを期待しつつ、我々は全国協議会として今改めて突きつけられた課題に挑戦し続ける。
 
 
電通労組首都圏支部―連続ストライキ闘争に決起
          
3・7ストライキ
NTT東京支店 


 3月17日朝、NTT東京支店―品川TWINS構内に、10本余りののぼり旗、横断幕がかけられ、シュプレヒコールがこだました。NTT職制は、「構内行動は許可していない」として、電通労組員の行動を執ように妨害。しかし電通労組は組合活動として堂々とストライキを貫徹。地域の仲間、NTT関連合同労組の宣伝活動と1体となり、9時にスト突入宣言がなされた。
 全労協中岡事務局長、全国1般全国協遠藤書記長、全統一コーリン分会石上書記長から、NTTの卑劣なやり方に対する鋭い批判と連帯の挨拶。続いてNTT関連合同労組(N関労東)斉藤書記長の闘うアピール、そして同じくN関労組合員Hさんは、難病の奥さんと小さいお子さんをかかえる中、遠隔地への配転を強制しようとするNTTは不誠実な態度を改めるよう切々と訴えた。会社のやり方に対してNTT内部、外部を問わず、その批判が着実に広がりを見せていることが明らかになった。20名近くのガードマンの居並ぶ中、N関労斉藤書記長、電通労組首都圏支部日野委員長による申し入れ行動が行われた。
 この日は、都内の闘う仲間、全国から上京する仲間を含めた終日行動。電通労組は、この後、NTT持株会社に対するN関労木下さんの解雇撤回要求行動など、地域の争議支援に合流。午後4時からは、劣悪な労働条件と対決して闘っている多くの仲間とともに、集会とデモで、非正規雇用反対を訴えた。

退職拒否者への不当配転弾劾ストライキ 
横浜綱島ビル

 5年4月1日、またしてもNTTは違法・脱法の限りを尽くした満了型選択者・退職拒否者への広域配転を行った。電通労組3名の組合員に対しても、コンシューマ推進事業本部マーケッティング部門東京センター、神奈川センターへの強制配転が行われた。いずれも単身赴任である。
 福島県郡山市から不当にも異職種、広域配転を余儀なくされた大戸良一さんの激励と、会社に対する抗議のために電通労組首都圏支部は地域の仲間と共に全員のストライキでNTT横浜綱島ビル(コンシューマ推進事業本部マーケッティング部門営業推進部神奈川センター)に結集した。早朝7時40分支部組合員は待ち構えていた会社側の妨害を撥ね退け「スト決行中」の横断幕を門扉に掲げ、直ちに支部書記長の司会による抗議集会が開始された。
 集会では、大内本部委員長の決意表明の後、自らも綱島に不当配転されたN関労石原さんの力強い決意表明、そして大戸さんは前日まで仕事をせざるを得なかったという職場実態を明らかにし、配転の不当性を訴えた。駆けつけた地元神奈川県共闘渡部事務局長の闘う労働者を隔離する方法は60年代70年代のやり方であり、我々はこれを跳ね返してきた闘いの歴史があるとの激励があり、全労協の中岡事務局長は、現場における様々な立場を超えた連帯の大切さと下からの闘いの構築を訴えた。アタックジャパンの稲垣さんからは、グローバルゼーションに反対する闘いは世界中で起きている、NTTに対する電通労組の闘いはこの闘う人々に支持されている、今日の闘いを世界中に発信しようという話があり、地元神奈川で働く労働者から「踏まれた足の痛み」は忘れない、連帯し共に闘うとの力強い挨拶があった。最後に、支部の日野委員長が「労働者をわざと遠くに配転」し、退職に追いやろうとする会社のリストラ攻撃に反対する闘いを推し進めるとの決意を受けストライキ行動は締めくくられた。
 なお、当日は、同じく不当配転された通信労組員も、10名前後で宣伝活動を行った。しかし通信労組側に行動の連携に躊躇が見られ今後に課題が残った。(K)

【資料】図書新聞5/1/22(抜粋)
安直な首切り・リストラに歯止め

 年の瀬も押し詰まってきた先月の16日経済界に静かな衝撃が走った。最高裁・第1小法廷が下した、労働者の配転拒否を理由とする懲戒解雇事件に関する経営側の上告棄却・不受理の決定がもたらしたショックだった。
 経済界が青くなったのは、この決定が最高裁判例として確定したことにより、「配転命令を濫発して、それに応じない労働者を懲戒解雇するか、本人の自己都合による退職に追い込む」という「安上がり」のリストラの手法に歯止めがかけられてしまったからだ。
 この事件とは、東京・渋谷にある外資系の光学機器メーカー「メレスグリオ」による女性社員の懲戒解雇をめぐる争いだ、労働界では「メレスグリオ事件」として知られている。  
 事件の概要はこうだ、93年2月メレスグリオの経営側は、渋谷の営業本部に経理担当として勤務していた女性社員Aさんに対して、業績悪化を理由に退職勧奨を行った。Aさんが退職を断ると、今度は、通勤時間が2時間半もかかる埼玉県比企郡玉川村の工場への配転を内示した。Aさんが通勤の困難さや、配転先での業務内容の不明確さなどを理由に拒否したところ、同年4月1日付けの配転を強行発令した。この間、Aさんが加盟した労組が団交を要求したが、経営側はこれに応じず、発令後の4月14日に、経営側はようやく1回だけ団交に応じたが、配転の撤回を拒み、翌15日、配転命令違反を理由に懲戒解雇を通告した。
 ここから12年近くに及ぶ、Aさんの人生を賭けた戦いが始まる。Aさんは労働協約上の地位確認と賃金等の支払いを求めて、東京地裁に提訴した。しかし97年1月、民事第11部(労働部)の萩尾保繁裁判長は、「東亜ペイント事件」での最高裁判決(86年7月)を楯に取り、配転命令、懲戒解雇とも有効だとしてAさんを敗訴させた。つまり、「配転を拒否すればクビになるのは当たり前」という「錦の御旗」が経営側に与えられたわけだ。労働側でも「配転は拒否できない」との諦めムードが支配的となってしまった。
 だが、Aさんは諦めなかった。直ちに、東京高裁に控訴し、配転と懲戒解雇の有効性について徹底的に争った。3年もの長期にわたる実質審理が行われ、証人尋問も実施された。その結果、2000年11月、第1民事部の江見弘武裁判長は、1審判決を取り消して、Aさんの逆転勝訴判決を下し、「懲戒解雇の効力は認めることができない」と判示した。判決は、「配転命令自体は権利濫用と評されるものでない場合でも、懲戒解雇に至るまでの経緯によっては、配転命令に従わないことを理由とする懲戒解雇は、なお、権利濫用として、その効力を否定されうる」との論理を立て、「経営側は、Aさんに対し、通勤所要時間、経路など、配転に伴う利害得失を考慮して合理的な決断をするのに必要な情報を提供せず、必要な手順を尽くしていない。生じる利害得失についてAさんが判断するのに必要な情報を提供せずになされた配転命令に従わなかったことを理由とする懲戒解雇は、性急に過ぎ、生活の糧を職場に依存しながらも、職場を離れればそれぞれ尊重されるべき私的な生活を営む労働者が配転により受ける影響等に対する配慮を著しく欠くもので、権利の濫用として無効と評すべきである」と断罪した。
 経営側は、これを不服として最高裁に上告した。しかし、最高裁第1小法廷が出したのは、経営側敗訴の高裁判決を支持するとの結論だった。
「配転拒否はクビ」という厚い壁を突破した意義は、計り知れぬほど大きい。

 
 
   
ブラジル情勢に関する
第4インターナショナル国際委員会(IC)決議
                          2005年2月27日

 


(1)ルーラ政権2年の経験は、この政権の方向とそれが実施しつつある諸政策を、鮮明に説明している。この政府は、議会の右派に依拠した資本の代表者との連立政権なのだ。それは、新自由主義経済・金融政策を実行し、こうしてブラジルにおける貧困及び社会的排除という本質的諸問題、並びに帝国主義との対決、これらに対応不可能となっている政府である。そしてまたこの2年は、それら諸政策の内部に仕込まれた推進力が変えられ得ないものであることも明らかにした。
(2)政府が行使している基本的な経済的かつ社会的諸手段は、ブラジルの金融資本の同盟者だけではなく、金融市場と国際的諸制度が設定した枠組内にぴったり合っていた。それはつまり、公的債務返済のための国家財政黒字の増大化と利率引上げ、社会的計画の制限、達成されない農地改革目標、最低賃金のまともな水準への引き上げに対する拒否、公務員年金の掘り崩し、私有化に道を開く大学に関する反改良、そして労働組合組織に関わる反改良、などである。最後のものは、労働組合官僚制を強化し、労働者の諸権利制限に対する期待、並びに現に機能している諸権利の反改良に対する期待、を広げている。
(3)これらの諸条件の下で、民衆諸階級の必要と要求を満たす政策、つまり、賃金引き上げ、何百万もの職の創出、公共サービスの防衛、全面的な農地改革、金融市場ではなく社会的優先性に奉仕する財政金融政策、などの政策は、ルーラ政府の諸政策に反対する中で前面に押し出されつつある。
(4)この政府の全般的方向は、その中の左翼閣僚を、本来彼らのものではない全体政策に対する、単なる保険証券あるいは人質に変えている。この2年の経験が鮮明に示したことは、反新自由主義かつ反資本主義の社会・政治労働者ブロックの建設は、現政府への3加やそれへの支持とは正反対のものだ、ということである。
(5)インターナショナル内部にはルーラ政府編成以来、この政府へのDS(社会主義的民主主義潮流、PT内第4インターナショナル支持者―訳注)参加及びこの参加の方法(社会運動における役割)という問題に関して、数々の懸念、疑念、そして不一致があった。そうであってもインターナショナルは、ブラジルの同志の多数が推し進めた議論を考慮しながら、DSがいったんその決定を行ったからには、この展開の開始にあたってはいかなる決議も採択せず、この経験を共にすると決定した。前回IC(2004年2月)において我々は、ブラジル政治情勢に関する討論を開始した(インターナショナルの討論ブレチンを手段として)。インターナショナルはこうして、ルーラ政権参加という課題を、この国の特性や、PTの歴史及び社会運動や労働組合運動とこの党の結び付きなどに対する考慮を欠いた、原理主義的やり方で提起することを避けてきた。しかし過去2年の経験を経た今、さらに前述の(1)から(4)までに展開されたことに留意すれば、以下のことにはもはやいかなる疑いもあり得ない。つまり、閣僚レベルであろうが、政治的代表に関わる他の部分であろうが、ルーラ政府内に位置を占めることは、我々の綱領的立場と1致する代わりとなる勢力の建設とは正反対である、ということである。
(6)進行中の現在の再編成が指し示すことは、ブラジル左翼の政治的再構成の複合した時期が既に始まった、ということである。この過程は、代わりとなる大衆的な社会主義的政治勢力が自身を打ち固め得る時まで、多少とも長期化した期間続く可能性がある。各々の部門における再構成が帯びる特定の形態と期間の先を見据えつつ、あらゆる反資本主義的要素の収斂に向け、その日まで努力することが決定的な重要性を持つ。
(7)ICは、戦略に関するDS内の討論といくつかの意見の相違、並びにPSOL(社会主義自由党、エレナ・エロイザなどが参加―訳注)結成へのその潮流の1つの参加に留意している。この分裂とさらなる断片化という危険を特徴とする情勢においてICは、ブラジルにおける全ての第4インターナショナルの部分―権利全てを保持したインターナショナルメンバーとして留まっている全ての部分―との関係を維持することを決定している。それは、対話を促進し、ルーラ政権に対する代わりとなる政治勢力を生み出すという展望の下で、全ての部分による行動における諸関係と統一を成長させることを目的とするものである。
(「インターナショナル・ビューポイント」3月号電子版・本紙HP上に補足記事)
 


 =フィリピン・第4インターナショナルのアピール
      国際的連帯を広げよう!

 
 

 独立的で進歩的、かつ革命的な左派の全ての部分が今、フィリピン共産党(CPP)とその軍事部門、即ちNPA、の軍事的脅迫の下におかれている。ここ数年次第に深刻さを増してきていた状況を前にして、2005年1月の第5回世界社会フォーラムで、重要な国際的連帯運動が出現した。
 第4インターナショナルはこのキャンペーンを支持し、さらに広げるよう呼びかける。数知れない闘士達の命が危険にさらされ、フィリピンにおける民衆勢力の未来が危険な状態にあり、さらに我々の共通の闘争の基礎となっている原則そのものが賭けられている時、我々は消極的なまま留まっていることはできない。
 何10名もの活動家が既にこれまで殺害されてきた。その上さらに何100名もの人々が、いつ何時でもNPAの目標となり得る、ということを知っている。CPPの支配を受け容れていない全ての主要な進歩的かつ革命的諸党が、これまでに彼らの攻撃にさらされるか(我がインターナショナルのフィリピン支部であるミンダナオ革命的労働者党、RPM―Mを含む)、あるいは今特に脅迫を受けている。
 大衆諸組織、特に農民諸組織の指導的活動家達がこれまで暗殺されてきた。第3世界債務取り消しを要求し、資本主義的グローバリゼーションに反対する闘争、そして反戦運動において指導的な役割を負ってきた諸個人が、今や「反革命」並びに「帝国主義の代理人」として選り抜かれている。
 ここ数年の経験が教えるところによれば、このような告発の直ぐ後には、「人民法廷」という名の、勝手なでっち上げ的裁判所による、CPP指導部の指令を受けた人々の有罪宣告が続く可能性がある。
 フィリピン共産党はこのような左翼活動家に対する暗殺政策をもって、フィリピンの軍と警察の代理人が行使する挑発と策謀に好都合な状況を生み出し続けている。
 フィリピン共産党は、民衆勢力を分断し、麻痺させ、彼らが自身の闘争を遂行することをさらに困難にしている。この党は、そのために我々が闘っている革命的構想の、さらに代わりとなる社会主義的方向の信頼性を深く傷付けている。この党は、無自覚なままに帝国主義と右翼の利益となるように振舞っているのだ。
 CPPは、フィリピンにおける多元的な民衆運動と政治的左翼の発展を受け容れることができない。この党は、必要とあれば武器の力をもってしても、彼ら自身の独裁を強要しようとしている。この多元的な左翼を防衛し支持するために、そしてそれらが存在する権利を高々と主張するために、可能なこと全てが国際的になされなければならない。我々の責任は明らかだ。
 CPPは、連帯、平等、そして自由を基礎とした社会主義的世界を求める、もう1つの世界のための我々の闘いが内包するもっとも基礎的な原則の1つを侵害しつつある。労働者と民衆の運動内部における暴力は、見過ごされるべきではない。自身を革命的であると称する党であれば、その軍事的な力を進歩的な活動家組織に反対するために差し向けてもよい、というような考えを、我々は受け容れることはできない。そのような考えは、我々が闘い取ろうとしているもの全てに、全面的に反している。
(「インターナショナル・ビューポイント」3月号電子版)
 

―国際女性デー―
人間性を求める女性世界憲章
  女性の世界行進
 

 「貧困と暴力に反対する女性の世界行進、2000年」から5年後、「女性の世界行進」(WMW)はブラジルで、その「人間性を求める女性世界憲章」を公式に送り出した。WMWはこの文書を、世界的公正運動及び「もう1つの世界は可能だ」というスローガンが提起した諸問題に、1つの運動から応える形で深めた。フェミニストとしての我々は、もう1つの世界に何を思い描くのか。我々の実践的な理想社会とは何なのか。「人間性を求める女性世界憲章」は、その目的を説明する2つの文書を支えとした、1組となった31項目の宣言からなっている。
 この憲章は2005年に、その採択を求める諸行動に加わった女性達の手で、国から国へ手渡され、世界中で伝えられることになるだろう。その諸国のリストは、そこに表現された地図と共に印象的である。この憲章の世界を巡る旅は、2005年10月17日ブルキナ・ファソで、ブルキナ・ファソの女性たち及び国際代表団の歓迎の中で終わるだろう。同じ日、憲章が旅した世界中の全ての国で、正午を期した諸行動が取り組まれるだろう―全ては、「もう1つの世界は可能だ」との宣言と諸行動を支持する形で―。

人間性を求める女性世界憲章
  最終版―2004年12月10日、キガリ(ルワンダ)で採択

前文

 我々女性は、女性に対する抑圧を強く非難し、それに終止符を打つことを要求し、さらに、支配、搾取、及び不正、戦争、征服、暴力を育成している抑制のない利潤追求を終わらせることを求めて、長い間行進してきた。
 あらゆる大陸における我々フェミニストの諸闘争は、そして前の世代の母達の諸闘争は、我々、我々の娘と息子、そして我々の後でこの地球を歩くことになる全ての若い少女と少年のために、いくつもの新たな自由を打ち鍛えてきた。
 我々は、多様性が強みであるとみなされ、個性が豊かさの源泉であるとみなされる、そのような世界を今築きつつある。そこでは、対話が溢れ、文芸や歌や夢が花を咲かせることができる。この世界では、人間が富のもっとも貴重な源泉の1つであるとみなされる。平等、自由、連帯、公正、そして平和がその推進力だ。我々にはこの世界を生み出す力がある。
 我々は人類の半分以上を代表している。我々は命を与え、そして、働き、愛し、創造し、闘争し、さらに楽しんでいる。現在我々は、今も続く人類の生き残りと生活にとって必要不可欠な仕事の殆どをこなしている。しかし今もって、我々の社会における場所は、過小評価されたままにある。
 我々がその1部である「女性の世界行進」は、家父長制を、女性を抑圧するシステムとして、そして資本主義を、女性と男性の圧倒的多数を少数が搾取することを可能とするシステム、とみなしている。
 これらのシステムは互いが互いを強める。これらが根をおろし、そして手を取り合うように絡み合って作用し合うものこそ、人種主義、性差別主義、女嫌い、外国人嫌い、同性愛者嫌い、植民地主義、帝国主義、奴隷制、そして強制労働なのだ。それらは多くの原理主義の形態に養分を与え、そしてこれらの原理主義は、女性と男性の解放を妨げている。この2つのシステムは、貧困と排除を生み出し、人間の諸権利、特に女性の諸権利を侵害し、さらに人間性と地球を危機にさらしている。
 この世界を我々は拒否する。
 搾取、抑圧、不寛容、そして排除、これらがもはや存在しないもう1つの世界、高潔さ、違い、そして全ての人の権利と自由が尊重されるもう1つの世界、我々はそのような世界を築き上げるつもりだ。
 この憲章の基礎は、平等、自由、連帯、公正、そして平和に込められた諸価値である。

平等

宣言1。全ての人間並びに人民は、あらゆる分野とあらゆる社会において平等である。彼等は、富、土地、まともな雇用、生産手段、充分な住居、質の高い教育、職業的な訓練、裁判、健康で栄養に富み充分な食物、精神と肉体に関する保健サービス、老人介護、健康な環境、財産、政治的機能と決定作成機能、エネルギー、飲料水、清浄な空気、交通手段、専門的知識と熟練、情報、通信手段、レクレーション、文化、休養、技術、そして科学的進歩の成果、これらのものに対する平等な入手と利用の権利をもつ。
宣言2。人の状態や生活の状態はどのようなものも、差別を決して正当化しない。
宣言3。慣習、伝統、宗教、思想、経済システム、あるいは政策はどれであれ、いかなる個人の2級市民化をも正当化するものではなく、あるいは人の尊厳並びに肉体的で精神的な完全さを傷付ける行為を正当と認めるものではない。
宣言4。女性は、配偶者、連れ合い、妻、母、そして労働者である以前に、充分な資格のある人間であり、市民である。
宣言5。生活保持と社会的保全(家事労働、教育、親密な仲にある人と子供の世話などの)に関係する全ての不払いのいわゆる女性の仕事は、富を生み出し、評価を受け分担されるべき経済諸活動である。
宣言6。諸国間の交易は、公平なものであり、人間的発展を損なうものではない。
宣言7。全ての個人は、安全かつ衛生的な条件で、さらに尊厳が尊重される条件の下で、公正な報酬のある職を得る権利をもつ。

自由

宣言1。人は全て、あらゆる形態の暴力から解放されて生きる。人は誰であれ、他の人の財産ではない。どのような個人も、奴隷状態の下に置かれたり、結婚を強制されたり、強制労働に従わせられたり、売買されたり、また性的に利用されたりすることは許されない。
宣言2。全ての諸個人は、彼らの尊厳を保障する集団的な自由、及び個人的自由を享受する。ここに言う自由とは特に、思想、良心、信念、宗教の自由であり、表現及び見解をもつ自由であり、制限なくかつ責任のあるやり方でその人の性的帰属を表現し、生活を分かち合う相手を選択する自由であり、選挙し選挙され、政治的生活に参加する自由であり、共同し、会合し、労働組合を組織し、示威行動を行う自由であり、居住地と市民権を選択する自由であり、勉学の道筋と職業を選択し、それを実行する自由であり、自己の身体と福利を自身の管理の下に置き、移動する自由であり、そして、家庭と職場で話される言語に関わる社会の選択、及び少数派の言語を尊重しつつも、意志を通い合わせる言語を選択し、さらに情報を与えられ、学び、討論し、情報技術を利用する権利を得る自由である。
宣言3。自由の諸項目は、寛容と相互尊重の下で、そして社会が民主的に決定する民主的かつ3加制の枠組内で行使される。それらは共同体との関係で責任と義務を伴う。
宣言4。女性は、彼女達の身体、出産、そして性行動について決定する自由をもつ。その自由には、彼女達が子供を持つか否かを選択する自由を含む。
宣言5。民主主義は自由と平等に根差している。

連帯

宣言1。諸個人並びに諸人民の間の国際的連帯は、あらゆる形態の操作や権勢に縛られることなく促進される。
宣言2。人は全て相互に依存しあっている。彼等は、共に生きるための、また、人権を基礎とした、思いやりがあり、公正かつ平等な社会を築く責任と目的を共有している。その社会とは、抑圧、排除、差別、不寛容そして暴力のない社会である。
宣言3。自然資源とその諸価値、さらに全ての人にとって生きるために必要なサービスは、質的には公共的価値、及び公共的サービスであり、それに対してあらゆる個々人が利用と入手の権利を等しくかつ公正に行使できる。
宣言4。自然資源は、環境を尊重し、また環境の保全と持続可能性を促進するやり方で、その地に生きる人民によって管理される。
宣言5。ある社会の経済は、その社会を構成する女と男に奉仕する。その経済の基礎となるものは、全民衆に配分される社会的に有用な富の生産と交換であり、そして、集団的な必要の充足、貧困の排除、及び集団と個人間の利害均衡の確保、を優先することである。その経済は、利潤の社会的有益性を犠牲にした排他的追及、そして生産手段、富、資本、土地、及び決定権限の、1握りのグループや個人による私的蓄積に反対する。
宣言6。あらゆる人の社会に対する貢献は認められるものとなる。そのような貢献は、その人が着いている職務とは関わりなく、社会的諸権利を高める。
宣言7。遺伝子操作は規制される。生命と人間ゲノムに関して特許権はあり得ない。人のクローンは禁止される。

公正

宣言1。人は皆、その出身国、国籍、また居住地に関わりなく、完全な資格を持つ市民と認められる。それは、平等主義的で公正かつ真に民主的な枠組内における、人権(社会的、経済的、政治的、市民的、文化的諸権利、性、生殖、さらに環境上の諸権利)に対して公正かつ等しい資格を持つ市民である。
宣言2。社会的公正の基礎となるものは、貧困を排除し、富の獲得に限界を設け、そして全民衆の福利を増進すべく基本的必要を満たすための、富の公平な再配分である。
宣言3。全ての個人の身体上の、また倫理的な尊厳は守られる。拷問、侮辱、そして侮蔑的な処遇は禁止される。性的暴力、強姦、女性性器切除、女性に対する暴力、性の売買と1般に人の売買これらは、人格に対する犯罪及び人間性に対する犯罪とみなされる。
宣言4。誰もが利用可能な、平等主義的で実効的かつ独立的な司法組織は、適切に設置される。
宣言5。医療、まともな住居、教育、情報、老後の保障を彼女あるいは彼が利用可能であることを保障する社会的保護から、全ての個人が利益を得る。全ての個人は尊厳をもって生きるに充分な所得をもつ。
宣言6。健康及び社会的サービスは、公共のものであり、誰もが利用でき、良質かつ無料である。これは、全ての手術、並びに全ての伝染病、特にHIVに対する医療サービスを含む。

平和

宣言1。人は全て平和な世界に生きる。平和は基本的に以下のものごとの結果として達成される。即ちそれは、女と男の平等であり、社会的、経済的、政治的、法的、さらに文化的平等であり、権利の防衛であり、最後に、全ての人々が暴力から免れ尊厳のうちに生きること、あらゆる人が職と充分な食料と住居と衣料をもち、自分自身を高め、老後を保護され、そして保健サービスを利用できる、これらを確実にすることで、貧困を根絶することである。
宣言2。寛容、対話、そして違いの尊重が平和の基礎である。
宣言3。あらゆる形態の支配、搾取、排除、さらに、1人が他の者の上に、1つのグループが他のグループの上に、少数派の上に多数派が、多数派の上に少数派が、あるいは1つの民族が他の民族の上に、君臨するあらゆる形態は排除される。
宣言4。全ての人は、戦争、武力衝突、外国の占領、そして軍事基地のない世界に生きる権利をもつ。個々人及び人民の生死に関わる決定を行う権利は誰にもない。
宣言5。慣習、伝統、思想、宗教、政治的あるいは経済的システムはどのようなものも、暴力の使用を決して正当化しない。
宣言6。諸国間の、諸共同体また諸人民間の、軍事的また非軍事的対立は、交渉を通して解決される。そしてそれが、民族的、地域的、さらに国際的なレベルにおける、平和的で公正かつ公平な解決策をもたらす。

呼びかけ

 この「人間性を求める女性世界憲章」は、女と男そして全ての抑圧された人々及びこの地球上の諸グループに、平等、平和、自由、連帯、そして公正を基礎とした諸関係を発展させることを目指し、世界を変革し、社会構造を根源的に変えるために、彼らのもつ力を示すよう呼びかける。
 それは、社会における全ての社会運動並びに全ての諸勢力に、この憲章の中で推し進められている諸価値が効果的に実行に移され得るよう、また政治的決定を行う者がその実施に必要な諸手段を取り入れるよう、行動に立ち上がることを呼びかける。
 それは世界を変革するための行動に対する呼びかけである。その必要性は差し迫っている。
 この憲章の側面はどれであっても、憲章の精神に反するような活動を誘導したり、あるいはそのような見解を表すために利用され、もしくは解釈されたりすることは許されない。その中で防衛されている諸価値は、1体をなしている。その諸部分は、等しい重要性をもち、相互に依存し、不可分であり、そしてそれが憲章の中に現れる順序は入れ替え可能なものである。

「女性の世界行進」とは何か

 「女性の世界行進」は、様々な民族的、文化的、宗教的、政治的、さらに階級的背景をもった、また異なった年齢層と性的志向性からなる女性グループで構成された、1つの運動である。この多様性は、我々を分断するどころか、より大きくより遠大な連帯の中に、我々を統1している。
 2000年に我々は「女性の世界行進」運動の1部分として、世界中の貧困の除去、富の分かち合い、女性に対する暴力の根絶、そして女性の身体的倫理的尊厳の尊重、を求める17の実践的要求を含んだ政綱を書き上げた。我々はこれらの要求を、国際通貨基金、世界銀行、そして国連の首脳部に伝えた。しかし我々は、ただ1つの具体的反応すらも受け取らなかった。そして我々はこれらの要求を、我々の国々の被選出の当局者や指導者にも伝えた。
 それ以来ずっと、我々は止むことなく我々の要求を守り続けてきた。我々は、もう1つの世界を築き上げるための代わりとなる方向を、提起し続けている。我々は世界の社会運動の中で、また我々の社会の中で現に活動中である。我々は、世界における女性の場所についての、また我々が占め続けるべき場所についての考えを、さらに先に推し進めつつある。
 この「人間性を求める女性世界憲章」及び我々の来るべき行動をもって、もう1つの世界は可能であることを、生きるための真実にすばらしい場所であるような、命と希望で満たされた1つの世界を、我々は改めて宣言する。我々は、世界に対する、そしてその多様性とその美しさに対する我々の愛を示す。
(「インターナショナル・ビューポイント」3月号電子版
 
 
 
 
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