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【コラム】奇跡はここで終わらない(下)

 では、韓国の奇跡の原動力は何だろうか。一言で言えば、それは「あきらめない、投げ出さない精神」だろう。「キャンドゥ(can do)精神」とでも言おうか。この精神は、ともすれば逆に作用することもあった。韓国社会の政治的・社会的葛藤(かっとう)がことのほか激しかったのも、この「押し」がとても強かったためだ。しかし、教育・慣行・社会のムードを「盲目的な前進」から「省察的な前進」に変えることさえできれば、韓国の「キャンドゥ精神」はさらに大きな成果を挙げられるだろう。

 建国直後、ある20代の韓国軍連隊長は、武装反乱を鎮圧する際、形勢不利になり捕虜として捕らえられるよりも、拳銃自殺することを選んだ。その直前、彼は1編の漢詩を残した。「男児20歳、発奮し立ち上がるときにして/棺の中に入り/青史(歴史)の評を待とう」

 60-70年代に休みも返上し、輸出高を上げようと東奔西走した大手企業社員が、次のような文章を寄せたこともあった。「わたしは朝早くから夜遅くまで輸出戦線にこの身を投げ打ってきた」

 民主化運動当時、法廷の最終陳述で次の通り述べた詩人もいる。「詩人とは、貧しい隣人と同じ苦痛を受け、同じ未来の祝福を授かる、美しい世界を夢見る者だ」

 建国・産業化・民主化世代のこうしたあらゆる情熱は、今日の「自由民主」大韓民国に染み込んでいる。さあ、これからは次世代の番だ。あきらめず、投げ出さず、それでも自身の不足を省みることのできる賢明な次世代であることを期待する。

 「柳根一(リュ・グンイル)コラム」25年-。読者の皆さんとともに歩んだこの歳月は、本当に幸せでした。そして、一番幸せなときに筆をおこうと思います。読者の皆さん、お元気で。

柳根一(リュ・グンイル)論説委員

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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