「もうだれもいじめないで」との悲痛な遺書を残し、1988年12月21日に13歳で自殺した岩脇寛子さんの父克己さん(68)と母寿恵さん(65)=富山市奥田寿町=が、事件から20年を迎えたのを機に、いじめの状況を知ろうと取り組んだ訴訟などの活動や、本紙などの新聞記事をまとめた「いじめの記憶」を寛子さんの命日に合わせて出版する。【青山郁子】
富山市立奥田中1年だった寛子さんは、同級生からのいじめを苦にアパート4階の自宅ベランダから飛び降りた。4日前に13歳になったばかり。遺書にはいじめた6人の実名を挙げ、いじめを繰り返すなと訴え、「私は、この世が大きらいだったよ」と、自らの苦しみをつづっていた。
両親は同級生たちに配慮し、高校卒業後に市教育委員会に情報公開請求を行ったが、公開された文書はほとんどが黒塗りか空白。クラスメートによる追悼文も事件から約3カ月後、担任教諭が焼却した。「真相究明がいじめ根絶につながる」と、学校に安全保持義務違反があったなどとして96年に提訴。1、2審は訴えを棄却し、最高裁への上告も04年、不受理に終わった。
同書は、自殺前後の思い出や、情報公開請求や裁判、周囲の支援やいじめで子を亡くした保護者同士のネットワークの広がりなど7章からなる。裁判などを伝えた本紙紙面も転載している。表紙には寛子さんの自筆遺書を掲載。両親は「年月が流れても、寛子が死をもって訴えたことを忘れずにいてほしい」と願っている。B5変形判、262ページ。2100円。桂書房(076・434・4600)。
寛子さんの死から20年。淡川典子・元富山大教授ら支援者9人でつくる「編集委員会」の協力で出版にこぎ着けた克己さんと寿恵さんに、寛子さんやいじめなどへの思いを聞いた。
「今も『ただいま』と帰ってくるような気がする」。2人にとって、愛娘を失ってからの20年の年月は長いようで短かかった。当初は、突然、自殺という形で一人娘を失い、何をしていいか分からずにひたすら教育関係の講演会を訪ね歩いた。
遺書でいじめに加わったと名前が挙げられた生徒たちが岩脇さん宅を訪れたのは1度きり。謝罪の言葉もなかった。寛子さんへの追悼作文を焼却した担任の男性教諭も、四十九日までは毎日やって来たが、「その後は音信不通です」。
嫌がらせの電話も相次ぎ、孤独感にうちひしがれた。そんな2人を支えたのは、当時、「教育スペースあるむす」代表だった故・山本定明さんらが作った支援組織「もうひとりにさせないよ!の会」や、同じように子どもをいじめ自殺で失った親たちとの交流だった。
娘の死に迫ろうと、市教育委員会への情報公開請求から裁判まで長い道のりを歩いてきた。一方で、2人は十七回忌を機に、寛子さんの部屋を少しずつ整理していった。寛子さんが大切にしていたピアノも友人に譲った。今月、一つのテープを聞いた。「寛子の声は元気ではきはきとして、いじめをうかがわせる様子はなかった」。
完成した本が岩脇さん方に届いたのは12月17日の夜。寛子さんの誕生日だった。生きていれば33歳。孫がいたかもしれない。年齢が止まったままの娘のためにケーキを買った。克己さんは「お年寄りや子ども、障害を持つ人にも優しく、友人が靴を隠されると一緒に探してやるような子だった。寂しくて仕方ない」と漏らした。
今もなお、いじめやそのための自殺はなくならない。寿恵さんは「地域、学校、保護者が一体となり、どうかいじめをなくしてほしい。なくせずとも、目の前のいじめや、被害者が自ら死を選ぶようなことだけは止めてほしい」と訴えた。【青山郁子】
毎日新聞 2008年12月20日 地方版