TTNM研究所

◆ NEWS&最近のこと

・「喰霊-零-」は無難に原作に繋げて終わりましたね。
ありきたりの設定を、シリーズ構成の力でここまで裏返らせて原作越えなんて、
やりますね高山カツヒコ氏。
・でも、「百合ームコロッケ」というアルバムタイトルはぶっちゃけ過ぎだと思います。
・高山氏つながりですが、「ちこ」の中の人は「絶望先生」の小森霧だと知って、
ポンと手を打ちました。

・逆に、面白くなりそうな設定なのに、上手くいっていないのは「禁書目録」と「夜桜四重奏」。
「禁書目録」はアニメ側は頑張っている感じがするのですが、その分、
原作のダメさ加減がそのまま出てしまっている印象を受けます。
「夜桜四重奏」に至っては、ダメな原作をアニメが更にダメにしてしまって、gdgdな感じでした。
マイナスにマイナスをかけてもプラスにならない事もあるのですね。


・「レッツタップ」のCMを見かけたのですが、あまり売れていないそうですね。
これはいわゆる「新スポーツの罠」にはまっているのだと思います。
「ゲームの都合で新しいルールのスポーツを発明して、それをゲーム化しても、
誰もそれに感情移入できなくて売れない」という奴です。
「レッツタップ」の場合、CMを見るとリモコンを置いた箱を叩く事に焦点が当たっている訳ですが
(そこが新規性だから当たり前なのですが)、それは現実世界の何かを表象する比喩ではなく、
新規性を求めるゲーム制作側の都合「だけ」で出現したものだから、
多くの人が理解・感情移入できないのも当たり前でしょう。
2chで「紙相撲をやらせろよ」という意見がありましたが、そういう感じ方の方が自然なのです。
「太鼓の達人」は「太鼓」の比喩だから、多くの人が理解・感情移入できるのです。
新操作系を考えるのは良いのですが、制作側の都合が剥き出し過ぎるんですよね。
「戦場のヴァルキュリア」でも、「棒立ちシステム」をオブラートで包んで飲み込み易くする工夫が欠如していたし、
家庭用セガゲーの伝統なのですかね。
・もっとも、「レッツタップ」自身が比喩される対象の最初の現実存在になれば良いとも言えるのですが、
任天堂並の強力なプロモーションをかけてジワ売れさせなければならないので、なかなか難しい所です。
・そういや、「戦ヴァル」はアニメして、「サクラ大戦」みたいに育てる気らしいですね。
非プロパーの社長になってから、週刊少年誌に積極的に広告を出してるし、セガの体質も少し変わってきた?


・クリプトンの仕切りでiTunes Storeでのボカロ曲の配信が始まったようですが、
ピアプロや動画サイトで無料で落とせるのに、有料で買う意味があるのかと疑問に思いました。
実際、個別売りの実績は未発表曲がダントツに頭抜けている訳ですし。
iTunes Store配信アルバム用のアレンジとかされてるのかな…あまりそういうアピールは無いけど。
・現在のiPhoneはFLASHが走らないのでアレなのですが、その内にハードが進化して、
いつでもどこでもネットにアクセスして望みの曲を無料で聴けるようなると、
「音楽を所有する」概念そのものが無効化されてしまう
のかな?
・まぁ、今でも著作権の縛りで、「所有」じゃなくて「聞く権利」を買っているだけなのですけどね…。


・血を吐くまで咳き込んで、久しぶりに生命の危機を感じましたが、
ベンザブロックのおかげで回復しました。パブロン効かね〜。
あと、家の中でも四六時中、それこそ寝ている間でもマスクをしているのが、
意外と咽喉系の風邪には良いというのを発見しました。
・舌も凄く荒れたので、何を食べても沁みる…orz。

・今週はサンデー・マガジンが無いので「怪物王女」8巻。
リリアーヌ姫の美人度がますます上がってるな〜。


・ローミングゲームは「ゲームデザイン思想自体がオブジェクト指向」だったのですね。
「ローミングゲームの自由度」の項では適切に当てはまる用語が思いつかなくて「発散型」と称しましたが、
オブジェクト指向についての本を読んで、「あ、これだったのか!」とポンと手を打ちました。
また、旧来のタイプのゲームデザイン思想は、「オブジェクト指向」に対する「手続き型」に相当する訳ですが、
プログラミング言語についてではないので、場面の連続という意味で「シーケンス指向」とでも称しましょうかね。
今更で少し気恥ずかしい話ですが。
・鈴Qは元々、フィクションメタファーに一切興味の無いシミュレーター指向の人間でしたから、
「シーケンス指向」で始めた「バーチャRPG」が5年間迷走したあげく、
「シェンムー」にパラダイム転換されてようやく陽の目を見たのも、何となく分かる気がします。
明確に言語意識化されていないにしろ、鈴Qの脳裏には「オブジェクト指向的なものにしたらどうか」という感覚が
あったのではないかと憶測します。
・では、旧来のゲームが最初から全て「シーケンス指向」だったかというと、
「ブロック崩し」等の原初の固定画面タイプの時は、そうでもなかったのではないかと考えます。
何故なら、「シーケンス指向」的な思想傾向は面の積み重ねの部分にしか無く、
ゲームの主たる要素である各面の内容は、むしろ画面内の物(オブジェクト)と物(オブジェクト)の関連に主眼を置いた
「オブジェクト指向」的な思想傾向の方が強かったからです。
(開発手法やロジックや使用言語の話ではなく、あくまでゲームデザイン思想の話です)
ゲームの「シーケンス」的な思想が強くなり始めるのは、敵が次々と画面外から連続的に出現するようになった辺り、
つまり見下ろし型2Dレースゲームや背景がスクロールするゲームが出てきたぐらいじゃないですかね。
(例によって僕は「ゲームは業務用が本流」主義なので、PCゲーム発達の流れは丸っきり無視しています)
その「敵の配置」が「場面の設計」になり、PCゲームのADVやRPGの流れと合流して家庭用となった時に
「ストーリー展開」と統合され、「シーケンス指向」が完全に主流になったような気がします。
(パズルとかジャンルによっては影響を受けていないのもありますけどね)
で、その場面(シーン)の重要度が物(オブジェクト)の重要度を支配する(制作優先度を決定する)のが普通になり、
「ゲーム的に重要でもない机の引き出しの内部まで、なんでモデリングしなきゃならないんだ!」という、
「シェンムー」のアートデザイナーの漏らした不平につながっていく訳です。


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