高校の学習指導要領改定案が示された。「ゆとり」の現行指導要領案が公表された99年3月、私たちは小中学校の改定と併せ<これで21世紀初頭の日本の学校教育の基本指針が出そろったことになる>と評したが、約10年で今度は一転その見直しが出そろった。
この揺り戻すような転換は「ゆとり教育が学力低下を招いた」という批判を契機にしている。だが、減ったものを慌ただしく復活させるだけが改善ではない。真に「基本指針」とするには、中学、大学教育と有機的に連結させる工夫が欠かせない。
改定案は小中学校と同様に授業内容を一部復活・拡充する。例えば英語は単語を500増やして授業は原則英語で行うなど、知識の「量」とともに言語能力の育成をうたう。
また、必要に応じ義務教育段階の復習を授業に組み込み、低学力層の引き上げを図るという。これも今回の大きな特徴だ。義務教育修了者にさらに高等普通教育や専門教育をする、という旧来の高校の「建前」からいえば、現実を直視する姿勢ともいえよう。
だが、高校の教育課程を考える時、大学入試の現状を看過できない。入試改革とセットでなければ、高校教育の状況を大きく改善するのは難しい。
大学・短大への進学率はとうに5割を超え、その内実はひとまずおいても、多くの高校生は進学してさらに高等教育機関で勉強を続けることになる。その入り口で、適性、能力、意欲を見るシステム(入学者選抜)が今十分に機能しているか。悲観的な声が多い。
ペーパーテストに頼らず、大学の理念に照らして多面的に志望者の適性を見るAO(アドミッション・オフィス)入試や推薦入試を多くの大学が採用している。しかし、少子化時代を背景に、形ばかりで受験生確保の方便に変じている例が少なくないとされる。手間を省けば当然の結果で、適性も基本学力も欠く入学者を生むことになる。
一般入試で受験生集めのために科目を軽減し、簡略化したりすることも同様だ。このままでは専門課程に耐えられないと、多くの大学で高校レベルの補習をしている。こうした状況を改めなければ、高校段階での改革や工夫も空回りしかねない。
今回の改定で、全教科で言語能力を高めるというのであれば、大学の入学者選抜でもその力がどうついているか見極める工夫と手間が必要だ。
また当然ながら、学校も学習指導要領も万能ではない。高校の場合、生徒指導が難しいとされる学校の課題は「復習」を要するような学力差問題だけではなく、しばしば不況などを背景にした社会の格差状況を映している。学校に押し付けるのではなく、地域社会を含めた多角的な取り組みを怠ってはならない。
毎日新聞 2008年12月23日 東京朝刊