奉祝・天皇誕生日
天皇陛下は今日23日、75歳の誕生日を迎えられました。
天皇陛下のお誕生日を心からお祝い申し上げると共に、今後益々のご健康を祈願してまいりたいと思います。
本日は天皇誕生日でもありますので、天皇・皇室の話題について触れようと思います、最近の週刊誌の報道を見ていると心が痛むばかりです。
天皇・皇室の弥栄(いやさか)と共にあるべき日本人が、天皇や皇室に対する尊敬の念を失い、ただ悪戯にスキャンダル記事を垂れ流すマスメディアに対して怒りさえも感じなくなってしまっているようです。
天皇・皇室問題について、天皇とは何か?日本における天皇陛下とはどのような立場の方であるのか?
かつて、2ちゃんねるでそれを解りやすく説明し、保守・左翼・無政府主義者と論争したことがありました。天皇についてこれを難しく「天皇論」として語る学者はいます。
庶民には直ぐには理解できない難解な言葉で語るのではなく、誰しもが理解できる言葉で語り合いたい。そのような趣旨から行いました。その中から今日は一部を紹介します。
これは今から8年も前のものです。森首相が「日本は天皇陛下を中心にした神の国だ」と発言して辞任に追い込まれた頃です。この頃の私は「極右」の活動家を任じていた頃ですので、そのような主張もありますので、その辺りは誤解のないようにご覧ください。
「神」「天皇」「国民」の間に溝はない
投稿者:瀬戸弘幸 [Mail Me!] 【05月18日(木) 08時59分39秒】 選択
森首相の「日本は天皇を中心とする神の国」発言に対して、左翼陣営、マスコミ、公明党などから「主権在民」の考えに反するという主張がなされ、首相もこれを受け入れる形で陳謝して済ませようとしている。
この森首相の言葉をどのように「主権在民」との関連において、分かり易く説明できるのか、私なりに考えて投稿させて頂きます。
天皇や神道が日本の伝統文化と深い関係にあることは誰もが認めることでしょう。また、世界中のどの国に於いても国家形成にまつわる神話が存在します。
我が国に於いては皇祖神・天照大神が高天原で神より五穀の種を貰い、それを持って下界に降りられ穀物の実りをもたらしてくれたというものです。
この神話に基づき我が国では稲作が大切にされ、おコメには特別の霊の力が宿っているとされてきました。
大嘗祭の時、古式にのっとり亀の甲羅で占いが行われ、全国の水田で採れた新米が集められました。 天皇はそれを天照大神に献上し自らもそれを食し、その霊力を魂の中にしっかりと身につけることで最高位の天皇陛下の位にお付きになられました。
愛国党の赤尾先生は常々「天皇が偉いのではなく、それを守りとおしてきた日本国民が偉い。」と語っておられました。 日本の農民の血と汗の結晶なくして天皇陛下が最高位につくことはなかったのです。
天皇とは神とはそして我々日本民族(国民)とは一体であり、そこには何らの溝もありません。 それを必死で作り出そうとしているのは左翼であり、偏向マスコミであり、池田教徒に過ぎません。
我々はこれを機にこのような反日勢力に対する徹底した言論戦を 挑みたいと思っています。
>日本における神の概念とは自然であり、それを天皇と共に守り通そうとする考えのどこに問題があるのか?
神の概念はともかく、それをなぜ天皇だけに?
日本古来の神って八百万の神神ってーくらいでさ。
神の概念を取り入れるなら、八百万の神神だろ?(笑)
天皇だけにむずびつけ、あたかも一神教のような表現するのはいかがなもの?不自然だし。
それに、森の発言からも離れてるべ。一応やっこさんは仏者とか知ってるならべてるからな奴なりに(笑)
>神の概念はともかく、それをなぜ天皇だけに?
についての私の考えです。
天皇の存在ははるかまだ日本が統一した国家を形成する前の 原始共同体社会頃から始まったと思います。
共同体における指導者とは絶対的な政治的権力者とは限らず、祭礼のような 特別の儀式に優れた役割を演ずる事が期待されました。
儀礼的なものや宗教的な色彩を強め、普段は必ずしも強く意識されなくとも、 その共同体の中には必要不可欠の存在となります。
共同体の一体感を高め、その共同体の秩序を維持して行く上で重要な地位を 占める事になったのです。
古来にあっては祭祀こそは政治であり、まさに社会生活の中核であったのです。 祭祀に優れた者はしぜんと大衆に仰がれるようになる。
天皇家のご先祖は祭政未分時代における祭祀の卓越した指導者であった。 よって民心の帰するところであり、したがって権力の発するところとなった。 これ即ちしぜんの流れであったということでしょう。
俺はこれでも保守のつもりだ。天皇制も支持する。その一方で現代人でもあるんだよ。 世俗的とでも言うのかな、俺たちは象徴天皇制を支持するわけであって、怪しげな神がかり的な要素を付け加えると せっかくの「日本の象徴」として肯定していた天皇制も途端に胡散臭くなってきちゃうんだよ。
確かに日本史をひも解くと、天皇と神の関係は断ち切れないと思う。民俗学的には意義あるかも。 でもそれは前近代的な過去の伝承であって、それを現代人に押しつけるのは無理。 皆が瀬戸さんのことを保守が迷惑するとか誉め殺しだというのはそういうことなの。
瀬戸さんに問いたい。あなたは神格化されていた頃の昭和天皇が 果たして幸せだったと思いますか?神格化が天皇陛下の本意だったと思いますか?
象徴天皇を支持するということですが、では象徴とはどのような意味を
持つのでしょうか?天皇が象徴と言うのは米国製憲法の規定ではありますが これは国内法上のことだけであって、国際的な天皇の地位は「元首」として これを認め、外国では事実儀礼空砲でも国家元首として扱われています。
日本国憲法では戦前のこともあって、天皇の政治権力を著しく縮小限定しているので、 象徴とは単なる名目、シンボルのような意味で考えおられる人も多い。
しかし、天皇が日本を代表する元首である事は国際的には今や常識であり、 この事実を我々ははっきりと自覚すべきです。
象徴として定着した天皇制と言われますが、保守派と自任される方がそのような 弱気であっては、反日勢力に付け入る隙を与えてしまいます。
象徴が単なるモノ、つまりは旗に描かれたマークなどではない。 天皇という人格なのです。 人間が作り出した物品とはわけが違うのです。 天皇の象徴というのは、単に目印や標識ではない。
では「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴である」という
憲法第一条はどのように理解していけば良いのか。
それには日本の歴史における天皇の存在を考えていくしかない。
つまり、私が主張しているように、それは神とのかかわりを抜きには
絶対に語れないのです。
42 名前: >瀬戸氏 投稿日: 2000/05/21(日) 18:28
全く逆だよ。スキを与えてしまうのはそっちだよ。理由は下に書く。
>それには日本の歴史における天皇の存在を考えていくしかない。
>つまり、私が主張しているように、それは神とのかかわりを抜きには
>絶対に語れないのです。
何度も言うけど我々は日本人であるとともに現代人でもある。 だから天皇制を存続させたかったら、現代の価値観に見合った形で天皇制を確立しなければいけない。 硬直した過去の価値観そのままに拘らず、柔軟に対応していかなきゃ。
言うまでもないと思うけど、日本は国民主権なんだよ!「はじめに天皇ありき」じゃないの。国民の合意あっての天皇なんだよ。 だから極端な話、天皇制を廃止し、共和制に移行することだって可能なんだよ、国民がそれを望めば。
現に天皇制を嫌う人はいる(この掲示板にもいるだろう)。しかし大多数の国民は天皇制を容認している。
それは民主的な象徴天皇制だからだ。もし、あなたが望むように戦前のように天皇を神格化しやら国民はどう反応するか。 大半が拒否反応を示すのは想像に難くない。
あなたの、その民意に反する形で天皇制を論じようとする姿勢が いかに天皇制に対する脅威となっているか、反天皇勢力を勢いづかせているか、分からない? 保守というのはね、何でもかんでも昔のままにする、で済まされるモンじゃないんだよ。
>だから極端な話、天皇制を廃止し、共和制に移行することだって可能
>なんだよ、国民がそれを望めば
あなたはまるで勘違いをなされておいでだ。
「天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は 主権の存する日本国民の総意に基づく」
この総意に基づくをあなたは天皇制廃止や共和制への移行に結び付けている。 またその主張が正しければ天皇を選挙でえらぶことさえ可能だ。
この考えこそはまさに反日勢力の思う壺であり、それこそ天皇の存在を危うくするものに 他ならない。あなたは民主的な象徴天皇というが、それでは単なる飾り物に過ぎなくなってしまう。
確かに戦後の象徴天皇制が定着している、だがそれは常にそのような 脆さの上にたつものであれば、我々の堅固な主張こそその対極になければ ならない。
我々が天皇制に脅威を与えることはない、逆に反天皇制を唱える 者への牽制とはなってきたつもりだ。 空洞化する一方の天皇制を守る最後の砦として、我々極右はその存在感を 示さなければならない。
国民主権と言いますが、では天皇の存在をどのように説明できるのでしょうか? 憲法では「天皇」という存在を規定していますが、これは紛れもなく君主という意味です。
君主というとすぐ権力と結び付けたがりますが、権力があれば君主、なければ 君主ではないと決め付けておりますが、それはまったくの誤解によるものです。
君主の本質は権力にあるのではなく、それはその地位にあるのです。
ナチスドイツで如何にヒトラーが最高の権力者であっても、彼はけして天皇陛下のような 君主とは違った。君主とは権力にあらず、それはその地位と身分がその本質にあるのです。
身分などというとまた誤解されそうですが、これが絶対の条件である以上 それに触れないわけには行かない。 又、その身分は特別の人として一般大衆はこれに代わることが出来ない。
つまり、誰でもが天皇になる事はできない、だから「国民の総意に基づく」 などとの文章があってもそれは選挙で選ばれるものではない。
確かに憲法の前文には「主権の存する国民」とある。 これを持って天皇の上に国民があるかのような考えは間違いである。 主権とは天皇と国民が共有すべきものである。 だいたいにおいて我が国の歴史において天皇と国民が主権を争ったこと などない。
概ね「君主である」ということになっているようです。
で、それはいいのですが、あなたの文章からは、
「天皇=君主」を基にどんな結論を導きたいのかが見えません。
主権は国民にある。仮に天皇も国民の一員だとすれば、
「天皇と一般の国民は主権を共有している」ということで
差し支えないでしょう。一方、君主に権力があるとは限らない。
一般的な立憲君主国然り・・・はい確かに。 ・・・で?
48 名前: >21 投稿日: 2000/05/21(日) 20:11
久々に読みに来た。 で、瀬戸君は政治が祭祀であったころを懐かしんで何を言いたいんだろうか。
政治って確かに「まつりごと」なんだけど、「政教分離」って考え方が
発生している理由をこの人は分かっているんだろうか。
「神道政治連盟」なんて代物自体が噴飯ものだと思うけどね。
反公明な人はこれをどう思いますか。いやはや困ったもんです。
私は何が言いたいか?今更説明するまでもなく、「日本とは何か?」
「天皇とは何か?」このことを自問自答することによって、我々はこの日本という 国家の持つ天皇と民衆が一体となったダイナミズムを取り戻し、21世紀に向けた 新しい国家の創造を目指すのです。
「このIT革命の時代に未だに天皇制などの古臭い制度に絡め取られている」 などと言った誤解に対して、逆にそのことの素晴らしさを訴えて行くつもりです。
戦前回帰への不安を煽るような左翼プロパガンダに惑わされる事なく、 我々は天皇と民による動態的な関係の中に屹立する、我が国の始原的な 思想に迫り、それを直感的に感受し、新しい国家創造へのエネルギー としたいのです。
「素晴らしさ」の具体的内容が示されていませんので、あなたのおっしゃる通り、 今のあなたは「素晴らしさ」の内容も含めて「自問自答」の最中なのだろう、と、 考えざるを得ません。
政教分離がが民主主義の通念から必然的に生まれてくるという必然的根拠はあるのか?
民主主義国家において、これが普遍的に実施されている事実はあるのか?
民主主義のお手本のように見ている国家、例えば米国、英国は国家の公事から 一切の宗教的行為を排除しているとでも言うのか?
「素晴らしいもの」についてはこれまで十分述べてきたつもりです。
言いたりないと思ったらまた投稿します。自問自答とは如何にそのような 国家を甦らすかのその方途についてです。
皇位継承に伴う重大な儀式を古来からのしきたりにのっとり、全国の農民が 血と汗の結晶としてつくり上げた新米を神に奉納し、国家の安寧を国民と共に 祈る。
私はそのことを素晴らしいことだと言ったのです。百姓、即ち民の力によって 天皇という存在が守られて来たという歴史的事実です。
神、天皇、民が一体となった国家、それが日本なのです。
※何回かに分けて掲載します。夜にまたご紹介したいと思います。