アナ(女):
 ふと気がつくと目に飛び込んでくる様々な色や光、雑踏の音の響き。それは懐かしい気持ちや不安などの感情を次々に引き起こします。私の中で移り変わるこの感覚、意識はどこからきたのでしょうか。そして、私の中では何が起こっているのでしょうか。

科学は「意識」の謎を解けるか
第2回 意識を生むメカニズム  


アナ(男):
 意識という現象は何なのか。意識は、物理法則に従うものか。
 ここにボールがあります。このボールを投げます。ボールの1秒後の位置は、初期条件を与えれば完全に理論的に予測することが出来ます。ところが、私がこうやって腕を上げる、これはなぜかというのは、説明が大変難しいということがおわかりだと思います。さらに、私が5分後に何をするかというのは、ほとんど完全に予測不能です。
 同じ物質であるボールと私が、こんなにも違うルールで動くというのはどういうことなのでしょうか。この精神と物質という問題になるわけですが、この問題は2000年代、哲学者が考えてきたことです。
 その中で、例えばデカルトは、ものと精神というものをはっきりと分離します。これを、デカルト式人間論といいますが、デカルトの時代には、松果体は、そういったものと精神が、松果体で交差すると考えたわけですが、デカルトの理由は、松果体があるのは人間だけで、そしてそれが両方に分かれた脳の間にある、つまり私たちが2つの目をもっているのにものが1つに見えるのはなぜかというようなことから、デカルトは左右の脳の間にある松果体が魂の場であると考えたわけです。
 そういう風に、ものの世界と精神の世界を分けることによって、デカルトは実は物質的な科学の発達を大変助ける考えを出した。それと一緒に、逆に自然科学というものがものの世界に閉じこもる、そして意識というような現象を排除することを許したとも言えるわけです。
 今日は、意識を作りあげるもの、意識の招待は何かと言うことについて考えてみたいと思います。

アナ(女):
 今年4月にアメリカアリゾナ州、ツーソンで、意識の科学を求めてという国際会議が開かれました。
 ここでは、意識が作られる過程を探ろうと、様々な分野からの研究発表がありました。
 その中で、意識は脳の神経細胞の活動そのものであると主張しているのが、神経科学者、クリストフ・コッホ教授です。彼は、知覚の分野から意識の解明に迫ろうとしています。

神経科学者 クリストフ・コッホ教授(カリフォルニア工科大学):
 意識の問題は、西洋では数千年間も問題になってきました。ギリシャの哲学者、例えばソクラテスやプラトンは意識の問題を取り扱っています。私たちにとっては、最も関係の深い現象です。確実なのは、私には意識があるということです。例えば、痛みを感じるときは、痛みを意識します。私たちは意識的に生きているのです。そして、私たちはそのことを説明しなくてはなりません。私には意識があり、あなたにも彼女にもあると信じるなら、自然界になぜ意識があるのか、どうして私たちは意識を持ち、また、特定のものしか意識していないのかを考えなければなりません。また、意識が脳の中にあるのならば、脳のどこの部分にあるのかを解明し、意識を持つ機会が作れるかどうかも考えなければなりません。数千年にわたって意識の問題は問われてきました。しかし、今では、哲学者や類物論者だけがこれを扱っています。ただ、ここ数年間科学がこの問題を取り上げるようになったことは重要です。
 問題は、科学のどの分野がこの問題を扱うべきかと言うことです。脳がニューロンによって構成されていることを考えると、脳の中をあけてみて脳をよく理解することが必要なのです。
 例えば、今、神経症や精神病にかかっている人を助けたいのなら、科学を使って助けるしかありません。科学の利用なきには進歩はあり得ないのです。

アナ(女):
 意識の宿る場所、脳です。重さ約1400cのこの器官が人あらゆる感覚や認識を作り出しています。
 脳の中ではおよそ1000億個の神経細胞が活動しています。これは、銀河系の星の数にも匹敵する数です。この写真で、黒く見える部分が神経細胞。これと神経繊維をあわせた脳の働きの基本単位をニューロンといいます。
 ニューロンは軸策と呼ばれる繊維をのばし、シナプスという末端部分で他のニューロンと結びついています。1つのニューロンだけでも数千の結合部分を持つと言われ、脳全体での結合は100兆にものぼることになります。
 人間の感覚や行動は、無数のニューロンの結びつき型、つまり配線のパターンの中に記録されています。これらの配線の上を電気刺激が流れることで、我々の複雑な精神活動が生まれてくるのです。
 
 例えば、落下しているリンゴを見た時のことを考えてみましょう。目からの情報が伝わると脳の中で赤い、丸いなどリンゴの特徴に反応するニューロンが同時に発火します。それが離れた場所にあるリンゴと言う言葉やリンゴの手触りなどの記憶を活性化し、さらに食べたいという意思や行動を生みます。こうしてニューロンのネットワークの中にリンゴというものの意味が表現されているのです。

 これはPETという装置で撮影した脳の活動部分を示した画像です。
 目を開けているときには脳の後ろの視覚野が活動しています。さらに何かに注目したときにはその部分が拡大します。このように脳の決まったニューロンの活動が、決まった感覚や行動を生むことが解ってきました。コッホらによれば、ある瞬間の私たちの意識というものは、そのときに脳の中で発火しているニューロンの集合に他ならないのです。

アナ(男):
 コッホたちの考える意識のイメージは、クリスマスツリーの電飾のみたいものです。たくさんのニューロンが、ちょうどクリスマスツリーの電球のように点滅を繰り返します。その都度、発行のパターンが変わってくるわけです。こうしたパターンの変化が、私たちが感じること、あるいは注意を向けるもの、そういった変化に対応していると考えられます。

 この絵を見てみますと、この絵はルビンの壺といわれるもので、立派な壺があるように見えますが、見ようによっては2人の顔が向かい合わせになっているという図にも見えます。これに見慣れてきますと、壺と顔とが絶えず逆転して見えます。

アナ(女):
 この図の中で、壺が見えているときは壺に反応するニューロンの集団が、顔が見えるときには顔に反応するニューロンの集団が活動していると考えられます。2組のニューロンは消して同時には働かず、1度に2つの図が見えることはありません。
 また現実にないものが見えるという錯覚もニューロンの仕業といえます。この図の真ん中に頂点を上にした白い三角形が見えるはずです。これも、脳が見えたものを処理する過程で、誤って三角形を認識するニューロンを発火させてしまったためなのです。私たちが目にする風景や実体は、視覚のニューロンによって画像化され、意識はそれに従っていると考えられます。

 コッホの研究室では、視覚のニューロンと脳の活動の関係について調べています。彼らは、意識にのぼらない視覚、すなわち画像化しない意識が存在するということを実験で確かめました。
 まず、コンピューター画面に一定方向を向いた細かいマークが表示されます。その中に1カ所だけ違う向きのマークが含まれています。被験者は、それが画面の上下左右どこにあるかを対応するキーボードを押して答えます。この画面は、1回に0.3秒の長さで表示されるので、見つけられる人はほとんどいません。しかし、被験者の1部は、自分ではマークは見えていないと言いながらも、マークの位置を偶然よりもかなり高い確率で当てることが出来るのです。

ヨハン・ブローン博士 カリフォルニア工科大学:
 被験者は、画面のどの部分にマークがあったのか確信はなかったと言っています。彼は、あてずっぽでやってみたはずなのに60%の確率で正解しました。画面の4つ部分から選ぶわけですから、本当に当てずっぽだったら正解率は60%ではなく25%のはずです。つまりこのことは、自分が意識している以上に見えているということを意味しています。

 目からの情報は、脳の後頭部が受け、それが2つの方向に分かれて進みます。側頭葉と呼ばれる部分と、頭の上の頭頂葉です。側頭葉は、私たちが受け取る情報を、視覚の情報と結びつけます。これによって、私たちは目に見えるものを認識できるのです。もう1つの頭頂葉に向かう経路は、視覚情報を使って自分の動きを誘導する働きがあります。例えば、歩いたり手を伸ばしたり、目を動かしたりすることです。この第2の経路は、行動経路と呼ばれています。私たちの行動を助けるからです。この理論によれば、物体経路だけが意識や視覚経験に関係していることになります。ですから、行動経路がきちんと機能して、正確な動きが出来ていても自分ではそれに気づかないこともありえるわけです。私たちは自分たちが意識している以上の情報を得ています。別の言い方をすると、第6感があるということです。つまり、脳の無意識の部分が意識的な部分よりも多くの情報を処理しているということです。

アナ(男):
 私たちは、脳の活動のごく1部しか意識していないと言うことになります。そういうことになりますと、意識というのは、脳のごく限られた場所の働きということになるかもしれません。こういうようなことを自分の自発的な行動に応用してみたらどういうことになるでしょうか。
 これは、神経科医のリベットという人の実験ですが、この被験者には、自由に指を動かすよう言っておきます。そして、指に電極をつけてありまして、脳の指を動かす部位、運動葉ですが、そこに同じように電極をつけておきます。そして、動かそうと思ったときに指を動かすということをやります。そういますと、何が起こるかと言いますと、実際に脳の神経細胞の活動がここからとることが出来る、つまり神経細胞が活動し始める時間がれでありまして、そしてその次に、自分で動かそうと言う意識が感じられる。つまり意識の方が神経細胞の活動よりも遅れる、それから指が動きます。指が1番遅れて動くのは当然のことで、脳が活動し始めてから指の先の筋肉まで刺激が通るのに時間がかかりますから、従って神経細胞の活動が始まって、自分で指を動かそうと思ってそして指が動くという順序になりますので、従って、私たちは動かそうという意思よりも先にニューロンの活動が始まっていると言うことに萎えいます。そうしますと、ニューロンの活動が我々の意思よりも先に意思を決定しているという解釈が成り立つということになるわけです。
 例えば、こうして電卓で計算するときに、計算の結果は表示されますけれども、計算の過程は目に見えません。それと同じように私たちの脳の中で起こったことの結果は、行動とか意識などの形で解りますが、実際に起こっていることは全部は意識できない、解らないわけです。あるいは、このトランプから私は1枚を選ぶ。
これは数億のニューロンの活動の結果かもしれないわけです。されに、私が喜んだり、悲しんだりするときに、それは脳の中のどこかの神経細胞群が電気的に活動した結果だということが出来るかもしれません。
 こうして、仮に人の内面というものがニューロンの物理的活動というもので説明が出来たということになりますと、人の意志や感情が予測できるし、またコントロールできるということになります。しかし、人のそういった意志や感情がたとえ解るという風に考えても、神経科学の中には様々な難問がまだ存在しています。
 例えば、神経細胞がなぜ一斉に共振するのか、一斉に働くわけですが、そういうことが起こります。あるいは、数億の神経細胞が働いているにもかかわらず、なぜ意識はたった1つなのか。そういった疑問が生じてくるわけです。

アナ(女):
 意識の会議の主催者の1人、スチュアート・ハメロフ教授は、麻酔学者の立場から意識の発生を研究してきました。

スチュアート・ハメロフ教授:
 全身麻酔は、意識を理解する上で大きなヒントを与えてくれます。適切な量の麻酔薬は、患者の脳の活動をかなり正確に継続させますが、患者の意識はありません。

アナ(女):
 つまり、麻酔薬は、意識とそのほかの脳の活動を分離するということになります。
 
スチュアート・ハメロフ教授:
 麻酔薬が脳にはいると、脳の活動にとって非常に重要なタンパク質を見つけ、その分子の隙間に結合します。麻酔薬は、この隙間の中で溶けるのです。この隙間はタンパク質の機能にとって重要なもので、麻酔薬がこれと結合するとタンパク質の正常な働きを阻害します。
 私たちはこの隙間で1つの電子が運動することが、脳の働きを引き起こすと考えています。麻酔薬は電子の動きを止め、タンパク質の動きを止めることで意識をなくすのです。
 意識の基礎は、ニューロン以下のレベルにあります。私は、そこには量子効果と関係する過程が存在すると考えています。量子論は、宇宙の動きを最小のレベルで説明するもので、意識を説明するときこれが必要になるです。

アナ(女):
 脳の中で起こる、目に見えないほど小さな原子や分子の運動が、意識の発生に大きな役割を果たしているのではないか。今まで調べられてきたニューロンの活動だけでは意識の生まれる核心に触れることは出来ないと、ハメロフは考えたのです。

 ハメロフはニューロンの内部にあるより小さな組織に注目しました。ニューロンには、電気刺激を伝える軸索という繊維があります。この軸索や樹状突起の中には、微小管という細長い管が通っています。
 微小管は、中が空洞になった直径40万分の1ミリほどの管です。これが、束状に集まってニューロンを支える骨格のような役目を果たしています。
 微小管は、これまで精神活動に直接影響はしないと考えられてきました。しかしハメロフらは、これが意識を発生させ、情報を伝達するための通路として働くという仮説を立てています。
 微小管は、チューブリンというタンパク質分子によって作られています。
 
スチュウアート・ハメロフ教授:
 微小管を作っているチューブリンは、開く、閉じるという2つの状態を交互に変化させています。これは、中にある1つの電子の位置で決まっているようです。チューブリンは、もし電子が下にあれば閉じ、上にあれば開きます。この2つを素早く繰り返しているのです。
 さらに私たちは、チューブリンがこのような重ね合わせの状態をとることが出来ると考えています。電子が上下両方の位置に同時に存在し、チューブリンが同時に開いてもおり、閉じてもいるという状態です。奇妙に思えるでしょうが、電子が同時に2箇所に存在できることが量子力学では何度も証明されているのです。
 脳の中のチューブリンが、重ね合わせの状態から1つの状態に崩壊することが意識的な活動を発生させるのです。

アナ(女):
 ハメロフは、チューブリンの中にある電子は波のように広がって一度に2つ以上の場所に存在できると考えています。この電子の性質によってチューブリン全体が、開いている状態と閉じている状態を同時にとることが出来ると過程したのです。この2つの状態重ね合わせから片方が選ばれる瞬間に意識が発生すると彼は考えています。脳が刺激を受けると、多数のチューブリンが同時に重ね合わせの状態になります。このとき、微小管の内部は自由にエネルギーの行き来が出来る状態になるといいます。これは、一種の超伝導現象と考えられます。
 微小管の中でのこの現象が、脳内で高速で情報を伝達する光ファイバーのように働き、結果的にニューロンの発火を引き起こしているとハメロフは説明します。この重ね合わせの状態は、波として微小管から微小管へと伝わっていき、脳全体を1つに結びつける働きをしているというのです。

アナ(男):
 1つ1つのニューロンがではなく、脳全体の微小管のネットワークがそれぞれのニューロンの動きを決めているという風に彼は考えています。これはちょうどたとえて言えば、水の中に石を放り込んだ時に波紋が広がるように、あるいわオーケストラの場合に、1つ1つの楽器の演奏が全体として1つの音楽をつくっていくような、そういう様子にたとえられています。こうした両者のいわば一体感された運動が脳内のバラバラなニューロンをまとめてたった1つの意識を生み出すというふうに彼は考えています。

アナ(女):
 意識の研究に量子力学の理論を持ち込んだのは、数学物理学者のペンローズ教授です。

ロジャー・ペンローズ教授:
 私たちは、重ね合わせの状態からどちらか一方の状態が選ばれる物質かという現象が起こるとき、その選択に原始的な意識が関わっているのではないかと考えています。これらの選択は分子的な世界ではいつも起こっています。例えば、放射性原子はそれがいつ崩壊するかを選んでいるのです。私たちは、これが意識の現象だといっているのではありません。ただ、これが一種の意識の原始的な段階であると考えられるかも知れません。
 これは非常に基礎的なレベルの話です。これは物理学のもっとも深い段階であり、量子力学の構造がどの様に実際の時空と関係しているのかという問題なのです。

アナ(女):
 ペンローズによれば、物質は重ね合わせの状態から自らある状態を選ぶことが出来ると言います。そしてその過程は、人間が再現したり、予測したりできないものです。
 私たちは、科学の力で神のなせる技とされてきた様々な現象を解き明かしてきました。
 もしも私たちの意識が、ペンローズの言うように物質の振る舞いから生まれるならば、原始などの物質、あるいは時空そのものの中に、すでに意識の元になるものが存在していることになります。

ペンローズ教授:
 私は、意識の原料である意識的経験が、宇宙の一部として存在すると考えています。私たちの脳は、何らかの方法でその経験を手に入れ、選択して自分の意識を組み立てることが出来るのです。あなたと私の意識は別のものです。それは、あなたの脳が選択する宇宙の基本的な部分に埋め込まれた、この経験の構造が私と違うからです。私もあなたも同じ意識の原料を使っているのですが、選択する経験のタイプが違うのです。ですから、あなたの現実と私の現実とは、いくらか異なっているのです。

アナ(男):
 実際に微小管の中でこういうことが起こっているかどうかは分からないわけで、そう言う意味ではこれは全くの仮説と言うしかありません。しかし、量子的なレベルでの物質の振る舞いと、日常的な世界でのものの性質の間には非常な違いがあります。この違いは今まで謎とされてきているのです。ですから、そこに意識を持ち込むことによって、2つの世界をつなごうというのが彼らの意図であるわけです。
 それに対して、量子も神秘だし、意識も神秘だから、その両者を単に一緒にすればいいというふうに考えているんだという批判もあります。しかし、将来何らかの形で、量子力学によって意識が解明されるというようなことがあるとすれば、私たちは意識を含めた宇宙の物理理論というのを構築することが可能になるわけです。天体や原始の動き、そして意識を含めて、そう言うものが物理的に解明されるような日がいつか来るのでしょうか。

アナ(女):
 人間の意識は、単なる物理現象に過ぎないのでしょうか。私たちが生まれてから経験する様々な喜びや悲しみも、全て科学的に解明されるものなのででょうか。
 哲学者、デヴィット・チャルマーズ。彼は、神経科学などの研究成果を認めながらも、意識は実験や分析では完全に解明できないと主張してきた1人です。

デヴィット・チャルマーズ博士:
 神経科学など科学の大きな欠点は、意識を直接研究していないことです。物理的側面からしか扱っていないのです。確かに科学は、脳の中のニューロンの働きや、私たちの行動を解明するために役立ちました。しかし物理的な側面に留まっている限り、意識そのものとのギャップを埋めることは出来ません。内なる意識的経験はどうして起こるのか。科学は脳について教えてくれても、多くの人にとって重要な主観については教えてくれないのです。

アナ(女):
 私たちが鳥のさえずりを聞いたり、芝生の緑を見たとき、確かに脳の中ではニューロンの活動が起こっています。しかし、なぜそれが自分にとって心地よく思われたり、鮮やかに感じられたりするのでしょうか。これは、今までの科学では説けない、難しい問題だとチャルマーズは言います。

チャルマーズ博士:
 私が意識を定義するとしたら、それは主観的体験です。世界の中にある経験、または心の内なる生活とも言えます。脳や身体、行動などは、あなたから見える外なる生活であり、私自身が世界を体験する私の精神の内なる生活、それが意識です。

アナ(男):
 チャルマーズは、脳と意識は別だという二元論の立場をとります。これは、脳がなくても意識があるという意味ではありません。たとえて言えば、この本とこの中に書かれている物語、その関係に似ていると言うことです。つまり、本が脳であるとすれば、中に書かれてある物語が意識である。そして、脳は、つまり物語を入れる本ですね、本は物語の入れ物ですが、それは物語そのものではない。
 こういう風な考え方は、実は、本はパッと見ることが出来て、そしてこの形で止まっています。ところが、この中の物語を読もうとすればこれは時間がかかるのです。このことはずいぶん大事なことで、この止まったもの、こういった形、これを私たちは作りとか形とか言うのですが、それと一緒に、意識はそうではなくて、それ自体時間の中に存在している、あるいは、時間と共に流れる過程、これを私たちは働きといいます。こういった2つのものを分けてしまうのは私たちの脳の、いわば癖なわけです。ですからチャルマーズが脳と意識は別のものだが、同じものの2つの面である、同じ存在の2つの面であるという風に言うんですがそれは、私も全く同じ意見である。ただし、それは作りと働きという2つの面を私たちの脳が分けてしまう癖を持っているからだと言うことなのです。
 それで、意識にはもう一つ別の面があります。それは、他人の意識と交換が出来ない、取り替えが出来ないという面を持っているということです。
 ここにリンゴがありますが、このリンゴの赤、あなたが見ているこのリンゴの赤と私が見ているこのリンゴの赤が、同じものであるかどうか、これは確かめる方法がないわけです。このことに関係して先程、脳と意識の人間論と言いましたけれども、これは物事、世界を2つに分けているわけですが、哲学者のカール・ポパーと言う人は世界を3つに分けたのです。そして、これを世界1,2,3あるいは第1、第2第、3世界と呼ぶわけです。この世界1っていうのが何かと言いますと、これは私たちが普通に見ている、誰もが知っているものの世界です。しかし、心の世界を彼は2つに割ってしまいまして、この世界2というのは、お互いに共有できない、ちょうどこのリンゴの赤のような、要するにこれを私がどう見ている、あなたがどう見ている、それを同じかどうか確かめる方法がない、そういうそれぞれの人に固有の心の世界、これを世界2と呼んで、そして、私たちが心の中で共有することが出来る、例えば言葉、心理、ニュートンの法則、数学、そういうものは私たちが共有出来る世界ですが、それを世界3と呼んだわけです。ですから、世界1というのは普通のものの世界、世界2というのは個人の内部の世界であって他人のそれとは交換が出来ない世界、そして、第3に心の世界であってもみんなと共有が出来る、まさに言葉の世界、その3つを分けます。もし、科学が意識というものを完全に解明できると主張するならば、この第2の世界というのが何故生じるのか、あるいはそれがどんなものであるこということを説明しなくてはならなくなるのです。

コッホ:
 問題は、科学が意識の難しい問題を解決できるかということだよ。今の私には分からない。脳や神経や細胞の相関関係が全て分かったとしたら、それ以上解明すべきことはあるだろうか。それには、私は不可知論的だなぁ。

チャルマーズ:
 それが今の我々の状況だよ。脳があって、物理的提携があり、そして体験がある。自分自身でそれは測れる。でも、他人のものを測定するのは難しい。それでも、実際にあるデータや経験を取り上げて、出来るだけシンプルで強力な理論を見つければいい。まぁ、私はそれでも、残念ながら意識についてはそれは検証できませんと言うだろうけど、いずれにしても理論はないよりあった方がいい。

コッホ:
 でも、人によっては、いろいろな理論があるよ。もし、仏教や道教を信じる人たちの宗教的な見方を否定するとすれば、それを証明する実験なんかないわけだし、何の根拠もないんだよ。それに、私の理論の方がシンプルで自由度が少ないと言ったとしても、自由度の少ない理論が満足できて真実に近いとは限らないよ。

チャルマーズ:
 確かに違う理論もあると思う。でも、その理論の問題は意識を自然界の中に統合していないということだ。私は、意識を科学の世界の中に適用させようと思っている。もし、世界が謎で、冷的なものならあなたのいうことは正しいし、この問題は扱わない方がいい。でも近代科学の仮説は、完全に自然でシンプルだから、出来ることは最大限やってみたい。

コッホ:
 でも、仮説は常に修正の対象になるんだよ。検証できないから修正できないでは、科学という観点からはおかしいよ。いっそうのこと、我々はここまでは説明できる。理論は構築できるが、現実は極視しよう、それは検証できない、あなたの推測の優秀さは他のみんなと変わらないって認めてしまった方がいいんじゃないかなぁ。

ハメロフ:
 それは地平線みたいなもんだよ。山の頂上に着いたと思ったら、まだ先に地平線はあってどんどん山が続くんだ。今はまだ目標地点じゃないけど、自分の位置は分かるわけだし、新しい科学として前進しなければいけない。

コッホ:
 いや、いや、いや、いや。前進することは必要だけど、地球みたいに果てのないものかと言っているんだよ。どんどん丘は続いて、終点だと思ったら実はまだ出発点だったりして。それとも、これ以上いけない深い溝があるのだろうか。

チャルマーズ:
 せっかく遠くの方で何かがかすかに見えているのに、今分かっているのは前進していく余地は相当あると言うことだ。

コッホ:
 そんなことはない。

チャルマーズ:
 今我々には何の理論もないけど、それが出来たらたとえ深い溝が見えたってそこからまた進めばいい。今は、どこにいるかも分からないんだから。

アナ(男):
 意識は科学的に解明できるでしょうか。この疑問には、まだ当然答えはありません。しかし、意識を科学の世界に持ち込む、あるいは意識を科学的に考えるということは、私達の人間に対する見方、あるいは世界に対する見方、つまり人間観や世界観を大きく変えてくれる可能性があるわけです。特に、この意識の世界というは、今まではどちらかと言えば非合理な部分を含んでいるものと考えられてきました。そしてまた広くそう考えられていると思います。例えば、おまじないや占いでないと動かないとか、そんな印象を持っている方かなりあるのではないかと、ところが他方、現代社会では物質の世界については、科学的に解明できるというようなことがほとんど完全な常識になってしまっています。その中で、意識の中の世界というのはむしろ取り残されたようなになっているとも言えます。その結果、物質の世界つまり、科学技術の進歩に伴って解明できると考えられている物質の世界と意識の世界との間のギャップがどんどん広がってきているようにも見えます。それが、我々の社会に様々なひずみを起こしているのではないかとそういう思いがあります。そういう時代だからこそ、意識を科学的に解明しようとするということの意義が存在しているのだと思います。
 私は、意識が科学で完全に解明できると思っているわけではありません。なぜなら、その科学自体、意識が踏み出したものであるからです。
 実際には、科学というものはある到達点に対して限りなく近づいて行く、あるいは近づこうとしていく過程であるわけです。その到達点というのを真実と呼んでもいいわけでしょうし、あるいは、分かる・理解と呼んでもいいかも知れない。ただ、そういう無限に近づいて行く過程なのです。
 そして、意識の科学的な解明もそうですが、私たちはそういうことを目指して努力していかなければならないですし、解明できないにしても、そういった方に向かっていつまでも歩いていかなければならないと、そういう風に私は考えています。