過去の礎

2008'04.04.Fri
●NTCトレーニング開始式


20080404-1



 今日も色々と記事があります。
 でも、それらについてはエントリ末尾の関連記事を見てください。
 今日ご紹介するのは麻生さんの文章の中でも、若干古いものです。
 「嘉麻の里」1994年5月号、細川内閣についてのお話。
 そしてもう一つ。
 「嘉麻の里」1993年12月号、マスコミ報道についてです。



『総理の見識』

 只今この稿を書いておりますのは平成六年四月七日午後三時を廻ったところであります。この拙文が読者の皆様の目につくころ、日本の総理大臣はどなたになっておられるのだろうかと思いながら原稿用紙に向っております。
 私は冷戦構造という名前の世界秩序が崩壊してから、世界は新しい秩序作りを目指していろいろと動いていると確信しています。いくら自分自身の国を「普通の国」とか「小さくともキラリと光る国」とかいっても、日本という国家が二十一世紀はもちろん、人類の行末に大変大きな影響力をもった「大国」である事実は否定できないんです。新しく世界の秩序なり枠組みを作るときに、出来上がった枠組みに対しいかに対応するかを考えるのが小国。これとは逆に、以下に自分の都合のよい枠組みを作るかを考えるのが大国であります。大国と小国とはこの力の差だと認識しておかなくちゃイケマセン。
 従って世界は大国日本からの提案なり参画なりを待っているんです。だって日本は大国なんですから。新しい世界の枠組み作りに参画する義務と責任があるんです。
 問題は今の連立内閣にこういう国際問題に関する見識なり、せめて意識でもおありになるんだろうか・・・・ということであります。新しい秩序作りは既存の秩序の破壊を意味します。例えば自由貿易と平和が日本の国益に合うとして、この二つを唱えたとします。そうなるとコメの自由化に賛成せざるを得なくなり、食管法で食べている人たちの職が失われる痛みが発生します。また平和維持のためには遠い国々で起きるであろう様々な紛争や戦争にも人を送るなど多大の犠牲を払わねばならないことを予想して準備しておかねばなりません。今までのようにアメリカに頼って、すべてアメリカにオンブにダッコでやってもらうわけにゃイカナクナッタ・・・・ということは皆さんも気づいておられることと思っています。当然金もかかるし、人命も危険にさらされます。
 こういうことを国民に向って率直に語らなくちゃならないんです。今の総理大臣っていうのは。事実、細川総理も就任当初はプロンプターなる器具まで新たに購入して直接国民に語っておられたんで、その内容はともかく、その姿勢は私も評価していました。ところが国民福祉税という名の消費税を創設して、その税率を七%にするとのたまったあたりから、細川総理の声は聞こえてこなくなりました。加えて内閣改造は見事に失敗し、コメを買うのに行列が出来、肝心の平成六年度政府提出予算に至っては、四月実施どころか、まだ審議にも入れず、只今国会は開会されておりません。
 自民党内閣の時代だったら、このいずれの問題一つをとっても内閣は倒れていたと思われます。しかし細川内閣は今でも四〇%台の支持率を保っておられます。
 この間、対米関係は悪化、貿易不均衡に寄る両者の関係は更に悪くなりつつあります。また北朝鮮の核疑惑も深刻になってきていまして、日本を取り巻く国際情勢は極めて厳しいものになりつつあるんですが、それに対する対応策はまったく示されず「いま北朝鮮に行ったら金日成に会えるんですか」と外務省の役人に尋ねたという話に至っては、冗談にしても非常識の極みです。加えて「総理大臣を辞めたい」なんていう言葉をこの時期に軽々しくのたまうに至っては、この人は総理大臣に留まっている害の方が大きいと判断せざるを得なくなりました。
 ゼネコンや佐川問題などの疑惑に端を発した一連の事件が今日の政治的混乱を引き起こし、ために経済も社会も混乱をして、かれこれ一年が経過しました。
 そろそろ終止符を打たないと、取り返しがつかない事態になりはしないかと憂えているのは、私一人ではありますまい。
 世界が変化する中で日本だけがその変化の枠外にいられるはずはありません。明治以来の日本の枠組み自体もその変化への対応に痛みを伴う覚悟をしなけりゃ、二十一世紀に今の繁栄を持続することは不可能であります。変化に対応して先取りするのは役人の得手ではありません。これこそが政治家の見識が問われているんですよと、役人任せの連立与党やその内閣の総理である細川さんを支持されている方々に一言申し上げておく次第です。


『マスコミ論調』

 今年もいよいよ師走を迎え、皆さんも何かと忙しい年末を過ごしておられることでしょう。
 この一年を降り返ってみると、三十八年間続いてきた自由民主党の単独政権が崩れ、八党派による連立内閣が成立したのはやはり大きな出来事と思われます。また天明の飢饉以来の冷夏による農作物の被害や戦後最大且つ最長の不景気などなど、今年は実にいろいろな出来事の多かった年でありました。
 その中の一つに、マスコミの方々があまり語りたがらない事柄ながら、後世の人たちが冷めた目で語るであろう出来事があったと思います。それはマスコミの報道に対する変化であります。多分、直接の出来事は三つです。
 テレビ朝日の取締役椿報道局長の変更報道指示に対する国会の証人喚問、皇室バッシングによるとされる皇后陛下の失語症、そして野村秋介氏の朝日新聞社長室での自決事件。この三つは直接、間接に何の脈絡もありませんが、これらがテレビ等のマスコミの報道に大きな変化を与えたことだけは疑いのない事実と思うんです。
 紙面が限られているので、ここでは椿発言だけについて書いてみます。この方の発言内容ってのは少々信じがたいんですが、前回の総選挙に当って、
「こんどの選挙はやっぱり梶山幹事長が率いる自民党を敗北させねばなりませんなあ・・・・ということを冗談でなしに局内で話し合った」
「なんでもよいから反自民の連立政権を成立させる手助けになるような報道をしようではないか・・・・」
「私たちの番組は決して公平ではなかったんです」
などと椿氏は得意げにしゃべったと出席者の一人が述べておられ、事実、テープにも残っているんであります。
 ご存知かと思いますが、新聞、雑誌などの活字を使った出版の分野はよほどの公序良俗を犯さない限り無制限に近く、監督官庁も存在せず、言論並びに表現の自由が保障されているんです。
 ところがテレビやラジオといった電波を利用した放送の分野は、電波という限られた公共財を利用しております。出版と異なり誰でも手軽に参加できるわけではありませんから、公平を期するために放送法などで条件を課した免許を必要とする分野です。従って、違反者が出ることを予想して監督官庁が存在しております。
 この免許は当然、椿さん個人や久米さん自身に与えられたものではありません。特定の電波を利用して事業を行う会社に対して出されております。
 それにもかかわらず、久米さんが「発言はすべて私の考え、私個人が責任を負ってすべて行ってる」と述べておられるのは、久米ニュースキャスター個人に放送免許が与えられているかの如く錯覚されての発言としか思われません。
 仮にも椿さんは取締役ですよ。そこらのディレクターごときの発言ならともかく、取締役は商法によってその身分を定められた重役であります。その人が偏向報道を指示したと第三者機関の前で明言されたんであります。
 テレビ朝日側は記者会見で、発言そのものを否定しておられますが、辞職届は受け取っておられるんです。もし事実と異なるのなら、辞職すべきも、させるべきでもないのと違うんでしょうか。
 いろいろと思いつくままに書いてみましたが、言論の自由を抑圧するものだとして、国会喚問を批判しておられる論調もありますが、政治家や財界の喚問は大いに煽って書かれるのに、同業のマスコミのときは、違法性の疑いがきわめて明らかな行為のあったときでも、国勢調査の対象から除外すべきだと考えておられるとしたら調子がよすぎるんじゃないでしょうか。
 注意すべきは、マスコミが自律自戒の気持ちを忘れて椿発言のように舞い上がってしまうと、公権力の介入に口実を与えることになってしまい、自らの首を締めることになるということです。
 やはり、ジャーナリズムってのは、主義主張より事実によって語るべきなんじゃないでしょうか。今回の三つの出来事がよい意味でジャーナリスト一人一人の自戒に寄与し、もっと日本に成熟した言論が発展していくよう心から願いつつ、他事なりし平成五年の年を越したいと思っている次第です。


 やりたいこととやるべきこと。
 現実というのはそれらの擦り合わせという、常にある種の玉虫色なのかもしれません。
 要するにですね。
 ちゃんとしようぜ、ということなのですが。

 昔語りにかこつけて、現状に対する提議でありました。
 大切なことって早々変わらない。
 でしょでしょ?



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2008.04.04 23:50 | 麻生太郎さんのこと | トラックバック(0) | コメント(1) | 記事URL |

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