
どうして朝日新聞で不祥事が多発するのか(3)
ジャーナリスト・元朝日新聞常務 青山昌史
聞き手/本誌編集長 大島信三
武富士の件は経済部出身の編集長
−−九月七日、箱島前社長は虚偽報道事件の責任をとって取締役を辞任し、同時に日本新聞協会会長の辞意も表明しました。十月十五日からの新聞大会後に正式に辞めると思います。ただ朝日の相談役には残ったわけですが、どうご覧になりましたか。
青山 箱島君は私の十年後輩になるんです。新聞協会の会長は三月十五日に再任が内定したわけです。そこで辞退すべきだった。やっぱり責任を取るのが遅きに失したと思います。
武富士の件は明らかにその後に発覚しているわけですね。起こったのは前だけれど。NHK問題も四年以上前のことですが、一月十二日にもういっぺん朝日新聞が蒸し返した。これもなかなかけりがつかないという意味では、三月十五日以後もけりはついてない。
それらの大きな責任が二つとりあえずあるわけですからね。私は新聞協会長の再選を受けるべきでない、辞退すべきだと確信していた。
武富士の問題は「週刊文春」に大きく取り上げられたわけです。それで、一柳氏が、おいおい、箱島君どうしたんだと言って、それで、恐縮していたわけです、箱島君は。そこへNHK問題がいつまで経ってもはっきりしない。その責任を取るべき人間が三月十五日に新聞協会長の再任内定を受けた。そして資料の流出事件が起きた。それでも辞めないままずっと来ているうちに、今度の長野総局の記事捏造事件でとどめを刺されたと私は認識しているんです。
ところが、箱島君は辞める理由を長野総局事件だけに一応、限定している。
−−あれはおかしいですね。
青山 限定しちゃおかしい。NHK問題やその発端となった国際女性戦犯法廷の問題、NHKや自民党との関係もおかしくなっている。武富士の件は一柳元社長が言わなくても、これは醜態極まりない破廉恥な事件ですよ。私は虚偽メモも問題だが、NHKや武富士のほうがより深刻だと思う。一記者の功名心などではない。武富士から「週刊朝日」は五千万円ももらっている。もらったときの編集長は箱島君の経済部の後輩なんですよ。
−−ほう。箱島ラインの編集長でしたか。またしても派閥の絡みですか。朝日で不祥事が多発する要因の一つは、このあたりにありそうですね。
青山 経済部出身の編集長っていうのは滅多にいない。大体、新聞社系の週刊誌は面白くないので伸びない。「サンデー毎日」も伸びないし、「週刊朝日」も部数が減っている。立て直しを図らなければいけない。他方で、箱島君は経営合理化を図っていたわけです。自分の後輩を編集長にして、おまえは内容をちゃんとするのも当然だけれども、経営を合理化しろ。少ない経費でもって効果を上げろと。
それで編集長はやけに張り切っちゃって、先輩の箱島社長のいう通りに合理化に努めた。努めた結果の一つとして、武富士から五千万円もらったと私は推測しています。
箱島君は、「朝日を情報産業の担い手として普通の会社にして採算本位の合理化を図る」のがモットーでもあった。武富士の件は、極論すれば、この破綻でもあるのでは‥…。
−−たしか四回にわけて受け取っていたそうですね。
青山 そうそう、合計で五千万円。それで「週刊朝日」は各国に記者を派遣して、「世界の家族」という企画を写真入りで五十三回やるんです。武富士と共催していることはいわない。当然、武富士は何かを期待していますわね。「週刊朝日」のほうでは、連載が終わったら武富士と共催の写真展をやるとか、なんとかいっておきながら、なにもしないできた。やらず、ぶったくりだ。朝日の独善もある。
−−五千万円の収入の名目は?
青山 編集協力費と称している、朝日側は。広告にいわせると、編集協力費なんて費目はない。私は広告部門に友人がいますけれど、編集協力費なんてけったいな名前をなぜつけるのか。それは後ろ暗いところがあるから、編集協力費で片づけようとしたんじゃないか。これは事実上、ウラ広告だというんだ。
その件では、箱島君も罪を認めて武富士に五千万円を全額返し、給与の三か月間三割カットを自らに科したわけです。それと出版局長、編集長など関係者が降格や減給処罰をうけている。これは大きな事件ですよ。前はサラ金の広告は載せなかったのに、載せた上に、ただ取りとはね。言語道断の、あってはいけない事件だ。朝日新聞が五千万円を利子付きで返済したのも当然だ。
−−利子付きで。これは大変だ。サラリーマン金融の利子は高いですから。
青山 利子を払ったとすれば、高くついたでしょう。
−−正規の利息で払ったら相当の金額になりますよ。五千万円を五年間も放ったらかしにしていたのですから。
青山 やっぱり採算偏重から来る大事件ですよ。
→つづく
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【略歴】青山昌史氏 昭和四年(一九二九年)、岡山県生まれ。東京大学法学部卒。同二十七年(五二年)、朝日新聞入社。社会部、政治部記者を経て政治部長、西部本社編集局長、取締役広報担当、常務東京本社代表を歴任する。現在、政治評論のジャーナリストとして活躍中。
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「正論」平成17年11月号 |
論文
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