
どうして朝日新聞で不祥事が多発するのか(2)
ジャーナリスト・元朝日新聞常務 青山昌史
聞き手/本誌編集長 大島信三
いきなり社長が引責辞任したサンゴ事件
−−それにしても、なぜ朝日新聞だけに不祥事が多発するのか。「朝日新聞が問われている」と題して次のような朝日社説(八月三十一日付)が掲載されました。自ら白状する不祥事のオンパレードです。
朝日新聞では89年に、写真部員が沖縄・西表島で自ら傷をつけたサンゴを撮影した。写真部員と本社は法律違反の疑いで書類送検され、社長は辞任した。
このサンゴ事件で朝日新聞は出直しを誓う一方、紙面審議室を設け、紙面や取材の仕方について識者の意見を聞くことにした。読者や取材先の声に広く耳を傾けるため、読者広報室もつくった。
しかし、5年前に広島支局(現、総局)の記者が中国新聞の記事を盗用するという事件が起きた。当時の大阪本社編集局長は職を解かれた後、全国の地方取材網を回り、現場取材の重視などの再発防止をまとめた。
それからいくらもたたないうちに、今回の虚偽取材メモである。
最近では、取材録音を第三者に渡した不祥事、週刊朝日への武富士からの5千万円の資金提供、NHK幹部らを取材した社内資料の流出問題なども重なった。
これらの問題は一つひとつ性格も原因も違う。しかし、こうも続いて起こると、何か構造的な問題があるのではないかと感じざるをえない。 |
この一連の不祥事のなかで朝日にとって取材資料流出まで派生したNHK問題がもっとも深刻だと思います。発生からわずか六日後にたちどころに関係者を処分し、大々的に紙面をつかって読者にお詫びするなど、朝日は虚偽報道事件ではオーバーなほど反省の姿勢をみせています。そのくせ肝心の記者会見をひらかずに、逃げ切ろうとした。
このへんも構造的な問題の一つですが、まだ問題の所在がわかりやすいのです。しかし、NHK問題は虚偽報道事件や社長が引責辞任したサンゴ事件よりはるかに根が深いと思います。
青山 サンゴ礁落書き事件は、私が広報担当の役員だったときの出来事なんです。はじめはサンゴ礁への落書きというのは、西表島近辺ではいっぱいあるという話でしたよ。
最初の写真部の説明も、落書きといってもだれかが既にしてある落書きをなぞって、写真うつりのいいようにしたというものだったんですね。それじゃあ、テーマが環境の保護ということだし、そんなに大したことはないと。決していいことではないけれど、社長が辞めるほどの問題ではないというのが、当時の私の認識でした。
ところが、調べが進むにつれて、やっぱりあれは自分の捏造した落書きだったと。そう写真部員が社内で自白するに至ったわけですね。落書きを捏造したんじゃ、これは大変だ。広報担当の私の態度も変わって、当人はもちろん責任者の処分をしなきゃいかんと思っていたところ、いきなり一柳社長が辞めるという。
社長が引責辞任するというのは、本人から聞いたんじゃない。一柳氏が非常に親しくしていた役員から、「おい、青ちゃん、社長が辞めるよ」と。エッと思いましたよ。
社長本人から広報担当役員の私に相談は何もなかった。政治部の先輩、後輩であるんだけれども。このときの社長辞任は、今日では非常に潔いとされているけれども、私はおかしいと思った。
−−どこが、ですか。
青山 こういう事件があると、まず社会部長なり、朝日の場合は地方の支局長、本社の通信部長−−現在は地域報道部長となりましたが、あるいは写真部長が責任を問われて、それから編集局長、あの場合は西部編集局長と東京編集局長ですが、そのへんの責任を問われる。そして編集担当、これは専務の中江君だったわけですが、そこへ行くと。そして最後が社長ですよ。
ところが、最後におるはずの社長がいきなり辞めると。その後は中江君が社長にせりあがるわけですから。結果的にはね。だけど、中江君というのは、本来、社長の前に辞めなきゃいかんはずの立場にいたんですよ。
−−中江専務の処分は?
青山 あったんですが、譴責、減給程度の処分ですよ。それで、かれは一柳氏の後任社長になるわけです。レールが敷かれていたんだな。
−−編集局長はどういう処分でしたか。
青山 当時の東京編集局長は社会部出身の伊藤邦男君ですが、その職を解かれたわけです。社を辞めたわけじゃない。その後、電波のほうへ行き、そのうちに電波担当の常務に復活した。それからテレビ朝日に移って社長になるわけです。
−−平成十六年(二〇〇四年)八月五日、社会部の辰濃哲郎記者が無断録音事件で退社処分になったとき、当時の君和田・専務編集担当は役員報酬減俸、吉田慎一・取締役編集局長も減給処分となりました。そのあとNHK問題に遭遇しますが、君和田氏はテレ朝社長、吉田氏はそのあとを継いで常務編集担当にとんとん拍子の出世です。
青山 そうそう。だけど、サンゴ礁事件のあと中江君が編集担当専務から社長になったことについてはいまだに不可解な面があると思っている。ほかにも人材はいましたよ。
サンゴ礁落書き事件で社長が責任を取ったことに疑問をもつのは、五十五年前の事件が頭にあったからです。私が入社する二年ぐらい前ですが、昭和二十五年(一九五〇年)に六甲山脈の宝塚山中で当時の共産党幹部の伊藤律架空会見記というのがあったわけです。
岡一郎という大阪編集局長と神戸支局次長は責任をとって編集局勤務、神戸支局長は依願退社になりました。岡氏は社を辞めず、あとで復活している。当時の社長は長谷部忠さんで立派な人だったが、辞めてはいない。
−−辞めていないのですか。
青山 辞めていない。伊藤律架空会見記というのは、とんでもないインチキですわな。実際やってないのに、功名心に駆られてつくりごとをやった。それと比べて、平成元年(一九八九年)のサンゴ礁事件で社長が即刻辞めるのは、ちょっと重過ぎるんじゃないか。潔いが前例から見てバランスを欠いているという印象を持ちました。別のことや、そのときどきの社内情勢みたいなものもあるけれども。
→つづく
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【略歴】青山昌史氏 昭和四年(一九二九年)、岡山県生まれ。東京大学法学部卒。同二十七年(五二年)、朝日新聞入社。社会部、政治部記者を経て政治部長、西部本社編集局長、取締役広報担当、常務東京本社代表を歴任する。現在、政治評論のジャーナリストとして活躍中。
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「正論」平成17年11月号 |
論文
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