通り魔事件が多発した一年だった。警察庁によると、11月末までに13件発生し、42人が死傷した。最近10年の平均件数6・7件の約2倍だ。
とりわけ衝撃的だったのは、6月に東京・秋葉原で起きた事件。歩行者天国に車で突っ込み、さらにナイフで次々に襲い掛かるという凶行で、7人が死亡し、10人が負傷する未曽有の惨事となった。逮捕された当時25歳の男は自動車部品工場の派遣社員で、「ネットで無視された」などと供述したためインターネットの功罪をめぐる論議が広がった。同時に、非正規労働者をめぐる問題がクローズアップされる契機となり、労働者派遣法の見直しにもつながった。今になってみれば、“派遣切り”など最近の社会状況を予感させる事件ではあった。
将来に絶望したり、不安を感じて自暴自棄となり、うっ憤を晴らそうと無差別殺傷に及ぶ……。多くの通り魔事件に共通するパターンも認められた。同様に車と刃物で15人が殺傷された下関通り魔事件(99年9月)でも、似たような事情が指摘されたものだ。だが、失職したり、人生につまずいたりした人の多くは、苦難を克服している。なぜ、道を踏み外してしまったか。
結核が流行した昔を思い起こしたい。栄養失調が結核の誘因とされたが、どんなに栄養失調でも結核菌が侵入しない限り、結核にかからない。逆に結核菌に侵されても、健康であれば発病しなかった。通り魔事件でも、似たような見方ができる。苦境に陥り、社会に恨みがましい気持ちを抱いたとしても、心の栄養状態が良好なら、他人を攻撃しようとはしないはずだ。
秋葉原の事件を起こした男は、両親との関係がしっくりいかず、孤立感を深めていたという。8月に東京・渋谷で2人を刺した当時79歳の女性は身寄りがなく、刑務所に死に場所を求めていた。通り魔とは別だが、元厚生次官宅を連続襲撃した男も実家とは疎遠だった。いずれもすがるべき家族や相談相手に恵まれず、心の栄養失調に陥った揚げ句の犯行でなかったか。
極刑をも覚悟した無差別殺傷行為には、どんな規範も刑罰も歯止めとならない。人々の心の栄養を満たすことが何よりの予防策となる。肝心なのはもちろん家族のきずなだが、離婚が増加し、モンスターペアレントに象徴される非常識な親が目立つ現状では家族の力を過信するのは禁物だ。核家族化や終身雇用制の崩壊などが問題を一段と難しくしている面も見逃せない。親類、地域、職域などとのネットワーク作りが喫緊の課題だ。
毎日新聞 2008年12月22日 東京朝刊