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【土曜訪問】

物語という嘘で真実に近づく 『電脳コイル』で日本SF大賞 磯 光雄さん(アニメ監督)

2008年12月20日

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 テレビアニメ「電脳コイル」は不思議な作品だ。舞台となる街は二〇二〇年代だが、住宅地に田畑が隣接する現代の地方都市そのまま。宇宙人もロボットも登場せず、描かれるのは小学生の日常生活だ。たった一つ、主人公の小学生たちが掛けている“電脳メガネ”−現実の世界に仮想のペットなど電脳世界の情報が重なって映し出される−だけが目立つアイテムだが、設定やキャラクターで奇抜さを競い合う最近のアニメの中では、際だって地味。なのに、現実と電脳世界を行き来する物語に引きずり込まれてしまう。

「子どものころから、日常世界のすぐ近くに見えない世界があるという感覚が好きでした。電脳メガネを使えば、そんな世界が描けるかなと思ったのが構想の最初です」。原作者で、本作が初監督作品の磯光雄さん(42)はそう語る。昨年五月から放映されると、反響は終了後も続き、東京国際アニメフェア、文化庁メディア芸術祭などで次々と受賞。今月二日、第二十九回日本SF大賞にも輝いた。

 磯さんが「コイル」製作に当たって心に決めていたのは一見、相矛盾するような思い入れだ。「日常を題材に、古い材料で新しいものができないか。さらに新しいものを使って、懐かしいものを作れたらと…」

 電脳メガネは、身に着けるコンピューターであり、決して目新しい発想ではない。「少し前、コンピューターグラフィックスによるリアルなアニメ表現が『新しい』ともてはやされたけど、新しいほど喜ばれる時代は終わったと感じていた。だから、『新しくない』と言われてしまう材料で『新しい』と思わせる作品にしようと思ったのです」

 他方、懐かしさへのこだわりは実体験に根差す。「散歩中に、ふと新しい建物に懐かしさを感じた。古いものを見たときに懐かしく感じると思い込みがちだけど、実は新しいものを見ても懐かしいと感じる作品ができるのではないか」。そのもくろみは成功した。「コイル」を見た多くの人が、懐古趣味とは異なる近未来への郷愁を語りだすのだから。

 教科書の隅にパラパラ漫画を描き込むのが大好きな子どもだった。大学中退後、アニメーターとして働き始めたが、いきなり壁に当たる。商業アニメは、動きの要所を描いた二枚の原画の間に、何枚かの「中割り」と呼ぶ絵を挟むが、「パラパラ漫画式に、順を追って動きを描くことしかやったことがなく困惑した」。だが、中割りだと動きをつなぐだけで、人体の複雑な動きなどは表現できない。「ならば、すべての動きを原画で描いてやろう」

 実写のように一秒間の二十四コマを異なる絵で表現する、米国流のフルアニメ至上の慣例にも疑問を持った。従来のアニメ業界は、通常シーンは省力化のため同じ絵で三コマを撮影(三コマ撮り)し、一秒を八枚の絵で表現するリミテッドアニメでも、重要なシーンだけはフルアニメで作っていた。「でも、三コマで描いたシーンがフルに直され、むしろ迫力が落ちてしまったことがある。そのとき、三コマ撮りの方が見る者の想像力を引き出す効果があるのでは、と気づいた」

 すべての動きを原画で、三コマ撮りで描く。フル三コマと呼ばれるこの手法を用いた磯さんの作画シーンは、業界内で回覧されるほどの衝撃をもたらした。既存の価値観に飽き足らない異才ぶりが、監督として発揮されたのが「コイル」なのだ。

 アニメに心血を注ぐ姿勢の根底には、子どものころから家にあった本だけでなく、百科事典に記された逸話も読破したほどの物語好きがある。「人間は科学を進歩させ、物事を分解、整理して捉(とら)えてきた。しかし、その方法では捉えきれない世界もある。それを捉えようとするときに有効なのが、物語ではないか」と見る。

「物語を作るとは、いわば嘘(うそ)をつくこと。しかしその嘘が、人が真実に近づくために機能すれば、それは真実を含んだ嘘。むしろ嘘が交じってないと、人間は世界を面白く認識できないのではないか。そんな物語の力を、私は信じています」。「コイル」では、電脳世界が関係した少女の交通事故死や転校生の兄の死に、主人公らが真摯(しんし)に向き合う。それは物語中の死だが、現実の死をより良く理解するための近道かもしれない。

 高い評価を得た「コイル」だが、満足度は「10%未満です」。今後をこう語る。「まだいろいろなことを試してみたいが、今は特定の領域に発信するのではなく、多くの人に『ああ面白かった』と言ってもらえる作品を作りたい」 (三沢典丈)

 

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