日本に残る韓民族の足跡をたどる(上)
「日本の中の韓民族史探訪団」、2000キロの旅路を行く
教師ら531人が古代日本の開拓ルートに沿って歴史紀行
大宰府や法隆寺など、古代史遺産のあちこちに先祖の足跡
- 12月4日午後、法隆寺で「第23回日本の中の韓民族史探訪」に参加した教師および一般人らが檀国大の鄭永鎬(チョン・ヨンホ)教授の講演に耳を傾けている。/写真=オ・ジョンチャン記者
高松塚古墳、法隆寺、東大寺、広隆寺、大宰府、船山古墳、石舞台古墳…。日本が誇るこれらの遺跡の共通点は何か。それは韓民族、すなわち大韓民国の祖先の霊と魂、汗が染み込んだ代表的な場所だということだ。
本紙が主催し新韓銀行とGSが後援する第23回「日本の中の韓民族史探訪」が、12月1日から7日まで6泊7日の日程で行われた。本紙の姜天錫(カン・チョンソク)主筆と教師389人、一般人142人、総勢531人からなる探訪団は、百済の王仁、阿直岐、高句麗の曇徴や朝鮮通信使の行列などが木船に乗って日本に渡り開拓したルートに沿って、釜山港-福岡-大阪まで総距離2000キロにもなる旅に出た。
参加者らは、昼間は文化財を視察して、夜は2万3000トン級の専用遊覧船「ふじ丸」の船上で専門家の講義を聞いた。講義を行ったのは鄭永鎬(チョン・ヨンホ)檀国大石宙善記念博物館長兼碩座教授(寄付金によって研究活動を行えるよう大学の指定を受けた教授)、孫承喆(ソン・スンチョル)江原大史学科教授、イ・ナムソク公州大史学科教授、詩人の鄭浩承(チョン・ホスン)。さらに現場でも教授らの講義は続いた。
最初の訪問地は九州・大宰府。百済が660年に唐・新羅連合軍に滅ぼされた後、日本に渡った百済の遺民が新羅の侵攻に備えて百済式の土城や山城を築いた場所だ。大宰府政庁跡には現在、礎石と石柱だけが残っている。
檀国大の鄭永鎬教授は「大宰府の建造と水城の築城には、百済の先進技術が活用されたことが立証されている」と語った。
飛鳥地方は6-7世紀に韓半島(朝鮮半島)や大陸から仏教をはじめとするさまざまな文物を受け入れ、日本の文化を花開かせた場所だ。ここでも韓国の先祖の遺産はあちらこちらに散在している。
飛鳥・奈良・京都=オ・ギョンファン記者
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