「緊急皇室スペシャル!おめでとう紀宮さま」制作に参加して



      制作部(社会部記者)    林    智子
 11月15日、36年間皇女として暮らした女性が民間に嫁ぎました。黒田清子。旧姓・紀宮清子。想像しがたいこの体験を、45年前も前に体験していた女性がいます。
 島津貴子さんは、昭和天皇の5女として生まれ、21歳でお嫁入りするまでの人生を清宮貴子(すがのみやたかこ)さんとして、その後の45年間を島津貴子さんとして生きてきました。そんな島津さんと関係を築いてきたTBS社会部デスクが、「島津夫妻の生出演」という信じられないスタジオゲストを確保することに成功し、報道と制作が互いに協力して「オールTBS」でゴールデン特番を開くことになりました。そこで、社会部からも1人ディレクターを派遣することになり、10月末「来週の月曜日から特番に行ってこい」と私にお声がかかりました。
 カメラアシスタントから始まり、ADを2年半やったとは言え、ディレクターにならないまま社会部に来た私にとって、制作の「ディレクター」はもちろん「特番」も「ゴールデン」も初めて。誰でもそうなのでしょうが、「お初づくし」のデビュー戦となりました。右も左もわからない上に、自分のこれまで学んだやり方とは全く違う制作手順に戸惑いましたが、逆に言えばものすごくやりがいのある初戦でした。

 島津貴子さんの振り返りブロックを担当することになったものの、私の年齢では正直な話、最初の疑問は、シンプルでした・・・”島津貴子さん”ってどういう人?資料を出そうにも、まだ特番部屋の用意も出来ていない状態。仕方なく、社会部の片隅で電話帳ばりに分厚くなっていく1960年当時の過去記事を読み漁り、眉間にシワを寄せる日々が続きました。
 「おスタちゃん」「私の選んだ人を見て下さって」「上野毛」「誘拐未遂」「渡米」・・・
 皇女とは思えない、破天荒な行動の数々。だんだん調べるうちに楽しくなってきたもののスキルが追いつかない。自分には何が出来るのか、どういう表現方法があるのか、どうしたらこの出来事を映像化できるのか。ベテランディレクターのやり方を、盗みながら(と言っても結局、おんぶに抱っこになってしまいましたが)の毎日でした。
 そのうち、どんどんやる事も積み上がり、過去素材の発注、許可関係、リサーチ、ロケ、構成、荒編等々何から手をつけたら良いのかわからない状態。しかも同時並行で、紀宮さまの方の結婚式の準備も進んで行き、解禁映像が配信されたり当日の取材ルールが決まったり、覚えることは山積み。しかし、時間は一定に刻まれていくもの。
 気がつけば、上野毛商店街に立ち、ノリノリで当時の貴子さんの話を「地取り」する自分がいました。当時のことを知る人はどんどん減り、行き着けば「半年前に亡くなったのよ」、「先月あたりからボケちゃって」、「先週から入院してて」というゴール。逆にそのことで、45年という歴史の重さを感じました。それでも、数人は覚えが明るく、人それぞれに、大切な思い出として心に刻まれていたエピソードを、懐かしそうに語ってくれました。
 獲れたてのロケテープを抱え、「早く料理してやるぞ」と編集に入るものの、初めての「MA」、初めての「スーパー」入力、プロデューサー陣による「プレビュー」。今まで、企画ものをやって、こんなに大勢で自分の編集したVTRを見たことない!という状況。何度も直し、構成を変え、編集ブースの順番待ちをし、いつ日付が変わったのか、今日は何日何曜日なのかわからない状態に。でも、なぜかOAまであと何日かはソラで言える。紀宮さまの結婚式当日までは、そんな日々を送りました。
 
 結局、事前VTRは前日までに万端準備整ったものの、当日ドキュメントの構成が、ギリギリまで決まらず、当日になっても、あーでもない、こーでもない。そうこうしているうちに各局中継が始まり、特番モードに。送られてくる映像を見ながら、美智子さまが過去に締めた帯をつける紀宮さまの姿や、天皇皇后両陛下が新郎新婦の前でテーブルに着き披露宴に参加するという、前代未聞の状況を編集。3分半という短い時間の中で、あれもこれもと欲張る私と編集マンとのせめぎあいになり、MA作業が必要なのに、OA時間30分前を切るという非常事態に。普段、ニュースでOA30秒前にVTRが入るなんて当たり前の世界で生きている私には、MAにかかる時間の読みが甘く、結局、映像が完成したテープと、音楽が完成したテープを、別々に2本同時スタートで放送。OA上は何の不手際も無いように見えて、裏方は大騒ぎの「2本出し」まで「お初」で体験してしまいました・・・。久々に、エレベーターホールでテープを受け取り、送出ブースまで全力疾走しました。

 そのまま、帝国ホテルを出発する黒田夫妻の素材を追い込んで放送したところで、緊張の糸がプツーン、と切れ、残り30分の美智子さまと紀宮さまの「ドンマーイン」物語は、椅子にもたれてぼんやり見つめていました。
 そして、エンディング。 最後の「お初」は、エンドロールに流れる自分の名前でした。その瞬間、ああ、終わっちゃった、と痛感しました。これまで中継やレポートで、自分の名前が出たことはあっても、引いた目で自分の名前が放送されたのを見るのは初めてで、浮かれただけの今までとはまた違う、重さのようなものを感じました。それを見た友達や古い友人からメールが入ったりして、やっぱりちょっと浮かれてしまったのですが・・・。
 翌々日、特番部屋を片付けているADチームを冷やかしに行き、他のディレクターの編集・裏バナシなんかを聞きながら、改めてOAを見直しました。スタジオゲストの島津夫妻の反応や、他のディレクターのVTRを見ながら、こうすれば良かったな、とか、ここは無理してでも入れれば良かった、などと反省は数々あれど、皇室にとっての歴史的な一日は、私にとっても忘れられない一日となりました。