とてつもない年の暮れ、東京ルポは続く。前回同様、かばんに、考現学者、今和次郎が世界恐慌の年(1929年)に著した「新版大東京案内」を忍ばせて--。【山寺香】
冷たい雨だった。夕暮れ時の浅草。お笑いの殿堂、浅草演芸ホール近くの通称ホッピー通りを歩く。にじむ赤ちょうちんの灯、店内では煮込みをつまみ、客が焼酎を飲んでいる。若者もいる。笑い声がもれてくる。
<昼間の浅草は(中略)堅実にして平凡な客の歓楽地でしかないが、一度夜となり、明るい灯(ひ)の街となるや、この天地は、あやしいまでに溌溂(はつらつ)として、活気を呈し、享楽的となる>(「新版大東京案内」ちくま学芸文庫版より。以下<>内は同書からの引用)
今和次郎は80年前のころの浅草をそう記した。29年10月のニューヨーク市場大暴落に端を発した世界恐慌の影響が波及してくる“前夜”のお祭り騒ぎだったのだろうか。いま、それほどまでの活気は感じられないが、うまいつまみで安い酒に人々は救われる。明るいですね?大将が言った。
「不況? そうだけどさ、せめて飲み屋くらい明るくなきゃやってられないだろ。なあ、かあちゃん!」
かいわいは日雇い労働者の住む山谷から足を延ばしてくる客も多い。いや、多かった--と聞いた。馬券売り場の裏路地に立ち飲み屋があった。のぞくと、だれもいない。がらーん。
「前は午後3時半に店を開ける前から路上で飲み始めちゃうお客さんもいたけどねえ。建設業が不振でさ、仕事がないのよ。平日はいつもこんな感じ」と店のお姉さん。
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総務省が発表した労働力調査速報によると、10月の完全失業率は3・7%で、前月(4・0%)より0・3ポイント改善した。ただし総務省は「雇用情勢が厳しく求職活動をひかえる人が増え、見かけの失業者が減った」とみている。10月の有効求人倍率は0・80倍で、4年5カ月ぶりの低水準。前月比下落幅は98年3月以来、10年7カ月ぶりの大幅なものとなった。大失業時代に突入したというわけである。
和次郎の時代は電器商がポツポツと姿を見せ始めたころだったという秋葉原。今年6月ここを舞台にせい惨な無差別殺傷事件が起きた。けれども街には事件の記憶をとどめる痕跡はほとんどない。容疑者は周囲から孤立した派遣社員の25歳の男だった。拘束された路地の近くでこんな看板を見つけた。「究極のストレスの発散法 八つ当たりどころ」。1枚200円の皿を買ってトラックの荷台にしつらえたコンクリートめがけて投げつけるという趣向。そこには「苦」という文字が書かれていた。「内定取り消しバカヤロー!」と叫びながら皿をぶつけた男がいた。カタルシスは感じられたのか……。
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厚生労働省の11月末の集計によると新卒者の内定取り消しは87事業所331人に及び、93年の調査開始以来4番目の水準になった。今和次郎の時代もそうだった。
<各大学を通じて就職率は二〇%か三〇%の境と報ぜられてゐるではないか>
<この就職難から、まともな考へとしては、被搾取階級への同情、そして資本主義社会に必然的に齎(もた)らされてゐる諸欠陥への関心!>
がその実は、こうだったと書く。
<しかし今日の学生の関心は哲学ではなくて経済である>
こんな退廃的な小唄があったと記録している。
昔恋しいワセダの自由
今の暴圧だれが知ろ
モガと踊つて
ビラ張つて更けて
明けりや処分の涙雨
冷える。コートのえりを立て、新宿へ向かう。
<全然新らしく出来た街であり、出来つゝある街であると言つてもいゝ>
その新宿は成熟し、百貨店はクリスマスのデコレーションで覆われ、不況すら感じさせない。だけど、歌舞伎町へと歩を進めれば、けばけばしい風俗のネオンがきらめく。個室ビデオ店の「ライバルはホテルです」の文字が浮かんでいた。大阪の火災で16人の死者が出たのがこの10月だったのを思い出した。
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ゴールデン街のスナックに「流し」のマレンコフさん(81)がいた。世界恐慌の3年前に生まれ、ギター一本の新宿暮らしは60年に及ぶ。
ママが声を掛ける。
「お客さん、待ってたのよ。遠藤実先生を追悼したいんだって」
2曲1000円。「高校三年生」「星影のワルツ」「北国の春」……。遠藤メロディーが日本人の心を癒やしてきたのだという。
静かな演歌ブームという。演歌はおじさんの世界だと思っていたけど、そうでもないかも……。ジェロもはやっている。しみじみしたものが支持される時代なのだろう。
「遠藤さんのこと、さみしい。あの人も流しがスタートでしたから……。えっ、景気はどうかって? 幾度か不況はあったけど、ここ2年くらい特に悪くて」
つまびくギターの音色にひたっていると、携帯電話のニュース速報。世界のソニーが全世界で1万6000人ものリストラを発表した。
序章にすぎないのだろう。音をたてて何かが崩れていく感じがした。
これも昼間、上野で見た光景である。激安タウン、師走のアメ横をぶらつき、上野公園へ足を運んだ。驚いた。日本初公開、いまだかつてこれほどの傑作が一堂に会したことはない、そんな文句にひかれてか、東京都美術館「フェルメール展」へと流れる美術ファンでごったがえしていた。だが、同じ公園の西郷隆盛像のすぐ裏で、ホームレスの男性4、5人が所在なげにしていた。60、70代とおぼしき男性もいた。この不況で、その日をしのぐ仕事もなくしたらしい。アルミ缶集めすらままならないとか。
帰りがけ、公園入り口の階段で似顔絵を描いている男性に出会った。黒い帽子をかぶった小野行さん(65)にお願いした。2000円。ここで40年描いているという。傍らに1本の缶チューハイ。
「寒くなると、温まるでしょ。かじかんだ手じゃ描けないしさ。さあ、稼ぎによって、一日に何本飲めるか、まちまちで。ハハハ」
苦笑いなのか、それともカラ元気だったのか……。その声はほどなく雑踏の音に吸い込まれた。
毎日新聞 2008年12月11日 東京夕刊