なぜ、この本の題名は「医者のたまご」ではなく、「医学のたまご」なのだろうか。
中学生でありながら大学の医学部へ入学することになった薫は、ある研究グループでレティノブラストーマ(網膜芽腫)の研究をしながら、医学の本質を見落としていた。薫は自分の行った研究が多くの人の犠牲の上に成り立っているということを理解していなかったのだ。医学の実験は、中学校の理科の実験とはわけが違う。その実験に行きつくまでにどれだけの命が失われてきたか、その実験を行うために、少しでも医学の発展に繋(つな)がるようにと自分の身体を差し出す患者がどれだけいたかを、彼は知ろうともしなかった。自分が顔見知りの少年の眼球を使って研究していたのだと気付くまで、彼はそれが血の通っただれかの身体の一部であると、自分は人の命を扱っているのだと気付かなかった。人は、自分や、自分の周りの人たちが犠牲になってからでないと、問題の中心に自分を据えて考えることができないのだ。近頃、医療現場が舞台となるドラマや映画などが増え、私たちが医療について考える機会も増えた。そこで医師や患者に感情移入し、涙を流すこともしばしばある。しかしそれはあくまで一般視聴者としてであり、現実の医療となるとまたどこか別次元の話である。現在問題となっている麻酔医や産婦人科医、小児科医不足なども実際に自分や自分の家族などが患者でないと、医師不足がどれほどの問題なのか、わからないのではないだろうか。
私は、生後5カ月で腸重積になった。放っておくと腸が腐り、死に至るという非常に危険な病気である。通常は高圧浣腸で元に戻るが、私の場合は戻らず、開腹手術に至った。その当時のことは覚えているはずもないが、当時の傷跡が残っており、両親からは何度もそのことを聞いた。両親の、何もできないもどかしい気持ち。朝になるのがとても長く感じられたこと。赤ん坊だから、痛みや苦しみを訴えることもできず、衰弱していった私をただ見ているしかなかったこと。手術が成功した後の言葉にできないうれしさ。死ぬ寸前の私を救い、両親の不安を消し去ってくれた医師の優しい対応を聞いて育った私は、的確な治療のすばらしさだけでなく、周りの人の心の支えにもなれる医師に憧(あこが)れ、医療の道を志すようになった。だから余計に、私は薫の行動が許せなかった。医大生になったのなら一度、医学を学ぶとはどういうことかを考えるべきだったのではないか。薫は、研究をただ事務的に行っているだけだった。医学の実験を、理科の実験と同じようにしか考えていなかった薫のように、私はなりたくはない。
医学を学ぶ、ということは、単に技術を身につけるだけでなく、命の尊さを同時に学ぶものだと私は思う。医大生になる人には、なる人の数だけ医大生を志す理由がある。しかし、動機はどうであれ、医学を学ぶことになったのであれば、そこから先扱うのは人の命だ。失敗は許されない。
薫の実験は、網膜芽腫と悪性黒色腫の組織混入で実は失敗だった。だがその実験による結果は、担当教授によって偉大な発見とされ、もう一度同じ結果が出るのかを確かめるための追試も行われないまま論文として公表されてしまった。しかし、薫は別の大学のオアフ教授が同じ実験をして正反対の結果を導き出したことを知り、自分の実験の失敗に気付くが、状況に流され、担当教授が薫の結果こそが真実であると主張するのを止められなかったと思っていた。しかし、本当はそうではない。できなかったのではなく、しなかっただけなのだ。私は、それが腹立たしい。
医学の研究での偽装がその場限りですむはずがない。間違った研究結果によって生み出された薬が、患者の命を奪うことも十分起こり得る。不治と言われた自分の病気の特効薬ができたと知り、その薬に大きな希望を寄せた人がその薬のせいで亡くなったら、「間違えました」で許されるはずがない。しかも、犠牲者がたった一人だけですむはずもないのだ。今もまだ、いつか自分の病気の特効薬や治療法が発見されることを信じて不治の病と戦い続けている人も多くいる。薫の行動は、そんな人たちへの裏切りに他ならない。
医師は、神様ではない。助けられない命も多くある。だが、医師は他の誰にもできないことができる。判断一つで人を生かすも死なすこともあるのだ。本当に、どれだけ計りしれないほどの責任の重さだろう。だが、その重圧を背負ってはじめて、人の命を左右する仕事に就くことが許されるのではないだろうか。常に誰かの命を奪う恐怖と共にあるからこそ、その命を救うことに一生懸命になれるのだ。
今までの薫は、ただ技術だけを身につけようとする「医者のたまご」だった。しかし、医学が人の命の上に成り立つ学問であると気付いた薫はようやく、無限の可能性を秘めた「医学のたまご」を得たのだ。(医学のたまご・理論社)
「夜が、一生と同じだけ長く続いてくれればいいと思う」少年兵士トーマス・ピースフルの腕時計が指し示す残り少ない貴重な時間。それは主人公の兄チャーリーの銃殺刑までのカウントダウン。戦場でトーマスはたった一人、朝が来ないことを祈りつつ、これまでの18年の人生を記憶に刻み付けるかのように思い返していた。それは貧しくとも家族の愛に満ちた日々。森林労働をしていた父が、トーマスをかばったがために倒木で命を落とす。一家の大黒柱となったチャーリーは、学校でいじめられた時も、食べ物が無い時も、軍隊でしごかれる時も、前線の危険な状況下でも、トーマスを支えてくれた。幸せも優しさも平穏も、すぐそばにあった。
私の心の中の時計は突然逆回りを始め、第二次大戦で命を落とした曽祖父を描き出した。土蔵に収められた古びた手紙の束。粗末な便箋(せん)をそっと開くと青いインクでびっしりとしたためられた曽祖父の家族への思いが溢(あふ)れ出す。「稲作の仕事の手は足りているか」「茶畑の出来具合はどうか」そしてどの手紙にも必ず記されている妻や娘への思い。「体を大切に、無理をせぬよう」「(娘の)節ちゃんも大きくなったことだろう」戦場という非日常な状況の中、曽祖父の心を支えたのは、家族との平凡な日常であり家族への深い愛情。遠く離れたニューギニアで命を落とした曽祖父は一体何度幸せだった家族との日々を思い返したことだろう。
国が違い、時代が違い、それぞれの立場が違えど、「戦争」という狂気が導くのは悲劇でしかない。地を這(は)い、銃撃戦や毒ガスに苦しめられ、食べるという平凡な事さえ儘(まま)ならぬ戦争で兵士が目にするのは敵と殺し合う陰惨な戦闘だけではなく、戦場という歪(ゆが)んだ世界が人間の心も体も破壊していくことへの憤りと悲しさ。何のための、誰のための戦いなのか、それが本当に正義なのかどうかすらわからない。自分の意志や考えなど持つことすら許されず、ただ命ぜられるままに銃を持ち、一人の人間としては何の恨みも憎しみもない「敵」と闘わねばならない。それなのに大切な何かを守るため、誰かを守るためと、自分自身を鼓舞しながら、仲間と共に闘おうとする兵士達の姿は、あまりにも悲しく切ない。
不当に歪んだ戦場という極限状態においては、人間としての尊厳を守ろうとすることさえ許されない。正しいことが通らず、一人の人間の命がたった1時間の軍法会議という名の手続きのみで奪われていく。理不尽でどうしようもない悲しみが伝わる。
決して豊かではないが、愛情に満ちた平凡な日々と家族の結びつきが、戦争という理不尽な力によって破壊されていく。やりきれない思いの中、兄弟の強い愛情と、未来へ託す命が煌(きら)めきを放つ。戦争の狂気と対比され、その美しさと尊さは決して失われないものとして表されている。チャーリーがトーマスに託したのは、「絶対に止まらない」腕時計と息子の「小さなトモ」だった。この二つは、今まさに命を絶たれようとしているチャーリーの未来への希望であり、正義と愛の象徴に他ならない。戦争や軍隊の無謀で理不尽な姿は、いつの時代でもどこの国でも変わらない。曽祖父も妻である曽祖母に幼い娘と希望を託しながら南洋の地でその命の終焉(えん)を迎えたに違いない。
たとえ豊かでなくとも家族と共に過ごせるという日常こそが素晴らしいことであり、戦争がないということがその絶対条件なのだ。戦争とは、日常の一切のものを圧し、潰(つぶ)してしまう非情かつ不合理なものである。戦争はある日突然はじまるのではなく、小さな歪みの積み重ねの行く先である。お互いの利害や主義主張、文化や歴史など、人間社会には様々な軋轢(あつれき)のもとが存在する。長い歴史の中で何度もあらゆる所で繰り返される戦争。どんな大義名分を振りかざそうとも、それは人が人を傷つけ殺し合うことに他ならず、誰も幸福になることなど無い。
一人の人間が大きな歴史の流れの中で何が出来るのかと無力感や無常観に嘆くのではなく、過去に学び戦争に対する正しい義憤を身につけるべきだと思う。そして平和や人権はいつでも当たり前のように享受できるものではなく、自分たちの手で守っていかなくてはならないものなのだと、深く考えさせれる。
ピースフル。この少年兵士達の姓。平和で穏やかなという意味を持つ名字。皮肉にもその名の通りには生きられなかった兄弟とその家族。彼らの名に込められた願いを心に刻み、あらゆる問題や紛争を戦争という手段によらずに解決することこそが21世紀に生きる私達に委ねられた課題である。私達が引き継がねばならないのは、未来永劫(ごう)「絶対に止まらない」「一度も止まらない」平和な時を刻み続ける「時計」に他ならない。(兵士ピースフル・評論社)=おわり
毎日新聞 2008年12月20日 地方版