2008-12-17 先送りされた「今」が来ている

■ここのところ、派遣従業者やパートタイム従業員について書こう書こうと思いつつ、テーマをまとめられずにいました。
そんななか、ふと出会ったエントリーがありましたので、そのエントリーの疑問について私が知っていることをお答えする形でまとめてみることにします。
派遣社員はなんで派遣社員にならざるを得なかったの?anond.hatelabo.jp
以下私のブックマークコメント
yellowbell 労働問題 外的要因と内的要因がある。前者は不況に喘いだ企業の要請により、労働者派遣事業法の業種が拡大されたこと。後者は「雇用流動化」のスローガンを信じ、40歳以降膠着する労働形態であることが読めなかったこと。 2008/12/17
この問いが投げかける「素朴な疑問」は、派遣従業者の心情をあえて(ほんとにあえて)無視して言えば、至極当り前な問いです。
これは、派遣従業者を他の職業に換えても成立します。「やむを得ずと言いながら、結局は自分で選んだ道でしょ?」というあらかじめ用意された身も蓋もない結論は、多かれすくなかれすべての労働者の日々の暮らしの中には潜んでいるものだからです。
その至極当然の問いが、なぜ派遣従業者にとって酷なことばになるのか、ちょっと私の体験でお話をしたいと思います。
■20世紀の最後、私は某業種の産業別組合(産別といいます)の地区委員長をしていました。
同時に自分が働く会社の執行委員長もしていましたから、企業の団体交渉と地区の産別労使懇談会(労懇)で経営者の方と意見を交換していました。
その時はすでにバブルが崩壊し、企業の業績も産業全体の安定性もすでに悪化していました。
そんな世相の中で、当時は春闘(しゅんとう:春季生活闘争)でベースアップを企業に要求していました。
ベースアップというのは、たとえば私の給与が去年より上がる単なる「賃上げ」*1ではなく、給与体系にある賃金テーブルを上昇方向に上げること(俗に賃金カーブを押し上げるともいいます)で、企業にとっては前年度よりも人件費をより多く見積もることになり、大きな負担でした。
長引く不況に喘ぐ企業としては、1.不況なので売上は上がらない 2.その中でも設備投資しなければ商品の競争力が落ちる 3.金融不況でもあるので株主にそっぽを向かれたくない 4.つまり、人件費は抑制したい 5.とはいえ単なる人減らしだと有能な人から早期退職してしまう という問題を抱えていました。
一方でその組合としても、1.不況で物価が上がり生活が苦しい(当時は不況になるとインフレ傾向でした) 2.残業が減って手取りも減っている 3.バブル期に組んだローンも残っている 4.ベースアップと言わないまでも賃上げは必要 5.とはいえ企業がつぶれては仕事がなくなる という課題を抱えていました。
■そんななか、相次ぐリストラで浴びた返り血にうんざりしてきた経営陣の要請で、そもそも人件費を抑制するために多大な労力を使う正社員ではなく、パートタイマーを企業の主要業務に取り入れられないかというアイディアが浮かんできます。
組合としても、倒れそうな企業から賃金をむしり取るような交渉はできず、かといって横並び春闘*2の中でおもてだった賃下げに応じるわけにもいかないため、従業員をパートタイマー化し雇用を守りながらしかし同時に組合員を減らすこと*3で、パイを減らすことなく配分する人数を減らしながら個々の組合員の賃金モデルは維持させるというアクロバットに出ます。
そしてその両者の利害の一致の先にあったのが、「雇用の流動化」という用語です。
■一方で、年功・能力主義*4から成果主義に傾きつつあった日本の労働界の中で、着実に成果主義的な考え方はバブルの恩恵を受けられなかった若い従業員を中心に広がっていました。
それはやがて、若さの特権といいますか、それ以上にバブル時代のイケイケなノリの残滓といいますか、株式市場の大衆化に裏付けられたベンチャーへの憧れともあいまって、「できる奴は企業に使われなくてもやっていける時代」への変化が要請されてきます。
もちろん、よりネガティブに、就職氷河期の中で、新卒全員が企業に勤められないからこそ企業に勤めなくても仕事ができる仕組みとして、「企業に勤めなくても働ける時代」への変化が要請されたと言い換えてもいいです。
そしてそこに、労使の利害で生じた「雇用の流動化」という用語がすんなりとはまったのです。
企業の要請と組合の事情で生まれた「雇用の流動化」が、弱肉強食の小泉日本前夜の「時代の空気」に受け入れられたわけです。
■さて、ここで問題。
◆問題:とあるパーティ会場のテーブルにあるパイの大きさを増やさずに、パーティ会場にいるパイを食べられる人を増やしなさい
当初、この問題への模範解答はふたつありました。
ひとつは、パイを食べる人のパイの量を減らし、増えた人に分け合う答えです。
そもそもパイにたとえたひとりあたりの労働は、残業など見ても常に超過気味でしたから、7人の残業を1日1時間づつ7時間減らして1人雇うといったような、ひとりあたりの労働を分け合うことは可能でした。
それが、ワークシェアリングです。
もうひとつは、そもそもテーブルにあるパイだけで考えず、他のテーブルに目を向けて、余っているパイをもらいにいけばいいという答えです。
決まったテーブルにつかず、パイが余っているテーブルをみつけてパイにありつく人を作るわけです。
それが、雇用の流動化です。
雇用の流動化がおきた会場の中では、「あそこのテーブルのパイが余ってますよ、こっちのテーブルはもう一杯なので、一旦こっちの待機テーブルに来てください。すぐ見つけます」とやる案内役が必要となってきます。
それが、労働者派遣事業です。そしてそれが多くの業種でできるように行われた*5のが、1999年の労働者派遣事業法改正でした。
■整理します。
・バブルが崩壊し、日本の企業は株主へのアピールとしても人件費を抑制したかったが、正社員を解雇するのは非常に難しく、簡単に雇ったり解雇したりできる従業員を求めていた。
・労組は賃下げに応じるわけにいかず、雇用を守るという大義からの撤退もできず追い詰められ、組合員を非組合員にすることで雇用を守りながら責任を回避しようとした。
・従業員の一部には、自分の境遇は自分の成果に比べて不足だという不満があり、その原因を仕事ができないくせにぶら下がっている非能率職の従業員のせいだと思っており、彼らの待遇と明らかに差をつけるべきだという空気があった。
・未就の若者の中には、企業に飼われる働き方よりも、自分の腕一本、成果さえ上げれば経歴を問われない時代を待望する空気があった。
それらのニーズの中で生まれ育ったのが、「雇用の流動化」です。
■当初は、ごく一部の人間が「いつか滞留を起こす流動化より、痛みを万人で分かつワークシェアを」と言いましたが、「今でさえすでに痛い思いをしたのに、これ以上なんで痛がるか」と取り合われず、結局「新規採用は流動化を前提とした雇用形態に」という流れが大勢となります。
当時から私の持論は、「いい時代の「雇用の流動化」は企業をブランド化し、却って仕事の選り好みが強まり、労働市場が偏重し血栓ができ流動が止まる。悪い時代の「雇用の流動化」は労働者を資源化し、労働力が廃棄・滞留されることで新規の雇用の流動も止まる」というものでした。これは、私が持っている当時の産別の議事録にも残っていますが、「有効な対案がない」ということでワークシェアごと無視されたものです。*6
それらの異論を抑え込んだのは、「雇用を流動化させればすべて解決する」という共同幻想でした。
経団連だけを悪者にする気はありません。労組だけの責任でも、それを受け入れた労働者たちの自業自得でもありません。
あのときは、社会にいるほとんどの人が、それがいい考えだと思ったのです。
なぜなら、あのときは、社会にいるほとんどの人が、正規労働者だったからです。
雇用を流動化させれば、資金がピンチの業種から人材がピンチな業種に労働力が流れる。流れないなら、誰かが目を配って流してやる。
そうやって流してやりさえすれば、実質の失業者は増えない。テーブルからテーブルに移動するだけだから、パイを食べられない人はいないはずだ。
よしんばパイが食べられない人がいれば、誰かが目を配ってパイが余っているテーブルに連れて行けばいい。
「で、それは誰がやるの?」
その問いを、当時の私たちは先送りしました。
先送りして、とりあえず雇用だけを流動化しました。
新しい働き方などといって、就職雑誌などもフリーターや派遣従業者の働き方をプッシュしました。
そこに、大手の派遣業者があらわれ、あたかも「雇用に目を配る誰か」のような顔をして人を集めたと思うわけですが、とりあえず今はそこまで語るほど私は材料を持ち合わせてはおりませんので、置いておきます。
■この質問エントリーに返されたエントリーにつけた私のブックマークコメントです。
やりたくて派遣してるってのじゃない限り、正社員になりたいなら別に問題なくなれると思うanond.hatelabo.jp
yellowbell 労働問題, 勘違い 組合にいたころ、こういうことを言う労働者が必ず一定数いた。「努力が報われる」というのは安定した組織に限られた約束であり、「努力」は労働問題の解決にはならない。だからこそ、労働者には権利が保障される。 2008/12/17
「努力すれば正社員になれる」という考え方は、個人の指針として持つにはすばらしいことですが、それをもとに制度を語ることはできません。
企業が「雇用の調整要素」として非正規労働者を望む限り、「努力しても正社員にはなれない」層が必ず世の中には存在しつづけるからです。
また、「不況時に失業者を出さないために、他の業種に容易にうつることができる」制度が「雇用の流動化」のそもそもの制度設計であったのですから、その雇用の流動化の申し子である派遣従業者がさも正社員になれない脱落組のように扱われるのはおかしいのです。
「なぜ、派遣社員にならざるをえなかったの?」などという聞かれ方をされるような働き方でなく、「派遣のやりがいはなんですか?」と聞かれるような、そんな働き方でなくては、「雇用の流動化」は成功したとは言えません。
派遣従業者が、派遣従業者としてのプライドが持てるような労働環境にするために、いまいちど労働行政・労働立法・使用者側・労働者側・そして世間全体が、公正な視点を取り戻す必要があるのだと思います。
そのためには、「誰が、余った雇用を足りない雇用に斡旋するの?」という問いに具体的な答えを出さなくてはいけません。
派遣業者は、その役目を突然放棄し結局うまい蜜を吸っただけです。ハローワークもあくまで受け身で雇用を作り出すに至っていません。
経団連にいたっては、ただのサロンと化し、農林水産業などのグローバル化で価値が上昇した新たな産業を受け入れようとする動きすら見せていません。
派遣従業者が「雇用の調整弁」であると嘯くのであれば、経済界は総力を挙げて産業全体の雇用の「調整」をすべきです。
なぜなら、流動している当事者である彼らが、定置された調整弁などになれるはずがないからです。
本来流動化された労働力の調整弁になるべきは、彼ら流動する労働力を出し入れする各企業であり、その企業の集合体である各経済団体であり、その企業と対になるべき労働組合なのです。
しかし、企業はリストラのときの甘えを残したまま、組合はいまだに生活闘争にしがみついたまま産別の枠を壊そうとせず、労働力を橋渡しできる横断的な組織を作ろうともしていません。
彼らが真の「雇用の調整弁」役を欠いたまま、目の前の派遣従業者を切れば済むと思っているのであれば、あのとき謳った「雇用の流動化」はすでに死んでいると言わざるを得ないのです。
ですから、私は、断じて派遣従業者の境遇を自業自得などとは言いません。
私たちが派遣従業者を憐みの眼で見つめる「今」は、間違いなくあのとき私たちが先送りした「今」なのですから。
*1:ここはわかりにくいところですが、個別の従業員の業績を積み上げていくうちに、出世した人や職能が上がった人の分として給与が上がる総額として、「賃金の自然上昇分」という概念(俗に「賃金カーブの維持」とも呼びます)があり、それはその当時の私の産別の賃上げ交渉の中には入っていなかったのです。
*2:当時は産別全体で賃上げやベア(ベースアップ)を要求しており、ひとつでも賃金が下がることは、よその企業組合の足を引っ張ると言って忌み嫌われた
*3:当時、パートタイマーは労働組合員の対象ではありませんでした。したがって、私のいた産別ではパートタイマーになった従業員は、組合員の資格を失っていました
*4:能力主義というのはある意味学歴主義と言ってもよく、「何をしたか」ではなく「何ができるか(何をしてほしいか)」で評価することです。したがってよく成果主義と混同されがちですが、あくまでも出来高で論功する成果主義とは対極にある人事評価です。
*5:これには経団連の強い要請があったとされています
*6:だからどうしたということはありません。私が正しかったと言うつもりもないし、ワークシェアを進めてればよかったというわけでもないでしょうし。
「雇用の流動化がおきた会場の中では、「あそこのテーブルのパイが余ってますよ、こっちのテーブルはもう一杯なので、一旦こっちの待機テーブルに来てください。すぐ見つけます」とやる案内役が必要となってきます。」
から派遣業者が出てくるロジックがよくわかりませんでした。少なくとも現在の米国式の流動的雇用環境(これはこれで問題を抱えているので手放しで称揚するわけではありませんが)では派遣業者のようなものは無くても回っているように見えます。リクルーティングエージェントはありますが、あくまで紹介業であって、雇用契約自体は雇用者と被雇用者の間で締結されます。したがって派遣業者の存在は雇用流動化から来る必然とは言えないように思います。
「配分と評価」が問題の本質です。
米国にも派遣業はあるようですが、私は海外事情に詳しくはないのでそのへんの議論についてはついていけません。
ただ想像できるのは、米国型の雇用環境だと、そもそも終身雇用制のない企業風土があったために、キャリアの変更がしやすいというのがありますね。
しかし、当時の日本型の雇用環境は、終身雇用制の風土が色濃く残っており、転職がキャリアとして尊敬されがたい風土があったのはご存じのとおりかと思います。
派遣業者とは、その二者間に入って、労働者を経営資源として企業に提供する契約を結ぶことで、その労働者個人を企業にえり好みさせない仕組みです。
要は、転職者に対して「こいつはひとつところに落ち着けない、ハンパな覚悟の人材だ」という極めて不当な色眼鏡をかけて採用面接に挑む企業の人事担当者がいるような社会だと、その人材を保証する第三者が要望されるわけです。
現に、派遣人材に対する派遣先の事前評価を許さない仕組みになっている派遣従業者ですらも、いまだにこうして「派遣社員にしかなれないような人」のような不当な色眼鏡で見られているのです。
派遣先企業対派遣従業者(企業対個人)ではなく、派遣先企業対派遣業者(企業対企業)となれば、日本の雇用慣習からして流動化がしやすいだろうと、そういう論理です。
ただ、当時そこ(派遣業について)まで議論していたかといえば、もっと原始的な非正規労働者の議論に終始して、正社員を非正規労働者にリプレースするための方便として使っていたような記憶もあります。
すいませんが、おっしゃる意図が読み取れませんでした。
企業内における労働者に対する評価と配分であるのか、産別内における正規労働者と非正規労働者に対する評価と配分であるのか、労働市場すべてにおける企業と労働者に対する評価と配分なのか、どれを読み取っても本質論にできそうなもので、少し混乱しました。
このエントリで書いたのは、派遣従業者の地位、ひいては非正規労働者の地位に関して、不当におとしめられてはいないですかという投げかけです。
総雇用を増加させることがおおよその解決になるのは当然ですが、具体的に不況時にそれをどうするかといえばニューディールくらいのインパクトでもって国策をなんて話になって、到底私の付け焼刃ではお話にならなくなりますから、どうかご勘弁いただければと思います。
ただ、夢のような話で恐縮ですが、産業の枠を取り払うというのはひとつ有効な策だと思っています。
一次産業従事者への流動化というのは、社会主義的な保護農政でよく嫌がられる話ですが、飲んだ席で一席ぶつことがあります。
事実、キヤノンへの派遣会社がおこなった大量解雇への大分県の対策はJAへの斡旋でもありましたので、少々鼻が膨らんでいるところでもあります。
もっともこれは脇道の議論であって、本エントリの主要な論旨に影響を与えるものではないと思います。
>現在の状況へつながる原因は単なる「雇用流動化」ではなく、「日本型雇用環境を維持する」という前提を保持したまま雇用流動化を進めようとしたこと、なのではないか
おっしゃるとおりではないかと思います。
まさしく日本型雇用環境とグローバリズムとの妥協の産物であるがゆえに、現在の諸問題を難しくしているというのもあるのでしょう。
たとえばあのとき組合が全面敗北し、正社員保護の枠をはずして、例外なく労働者を流動化していれば、もっとドラスティックに雇用環境が動いたか、あるいは失業率10%社会を迎えていたか、少なくとも今のような正規非正規の階層化はおこっていないあるいはもっと小規模だったのかもしれません。
かといって、現状の企業経営者の姿を見るに、正社員保護の枠を外すのがいいのかどうかについては、難しいところです。
たしかにそこのところへの言及が、私のエントリにはまったく足りていませんでした。
ありがとうございます。
派遣会社が労働力を貸してやってんだぞ!ぐらい
派遣会社による搾取的労働環境の話は留意するとしても、たしかに派遣先企業の人材供給源を失うことに対する危機感のなさは怖いですね。
たとえば内定取り消しの話にしても、企業の論理ばかりが持ち上げられ、そのわりに内定取り消し企業を一覧にして求人欄広告面に掲げる新聞も見当たらないんですよね。
企業から、終身雇用的労働観がなかなか抜けきらないように、就職氷河期のころの「雇ってやってる」観もまた沁みついて癖になってしまったのかもしれませんね。
一方で、正社員囲い込みに走った企業もあるので、それこそ「企業が」とはひとくくりに言えないことはもちろんですが、経営諸氏にはヒト・モノ・カネに向かっては等しく接してもらいたいと思いますね。