政府の教育再生懇談会が教科書を質、量ともに格段に充実すべきだとする第2次報告を公表した。懇談会は今後も教育委員会改革や公立校の学力底上げ策などを議論し、新たな提言をまとめるという。
しかし教育再生懇と聞いても、ピンとくる人は少ないだろう。麻生太郎首相に2次報告を提出した18日の全体会議は現政権になってから初めての開催だった。その存在感は薄く、文部科学省などと一線を画した活動が可能かどうか心もとない。
この機関は、かつての教育再生会議を改組して福田康夫政権下で今年2月に発足した。5月には1次報告を出したものの「子どもに携帯電話を極力持たせない」といった小粒な提言が目立っている。その後は麻生政権下で方向性が定まらず、開店休業状態が続いてきたのが実情だ。
そうしたなかでの2次報告も十分な検討を経た内容とは言い難い。
「国語、理科、英語の教科書のページ数は2倍増を」などと一見刺激的ではあるが、教科書の問題は教育内容や指導方法、学力のあり方などと不可分だ。首相直属の懇談会である以上、そんな本質的な課題にまで踏み込むべきではないだろうか。
こと教科書に限っても、最大のテーマである教科書検定制度についてはあまり言及していない。そもそも検定はどこまで必要なのかといった根幹部分には触れずじまいである。報告は記述分量の制限撤廃などをうたうが、この程度の方針は文科省の審議会もすでに打ち出している。
学校現場を活性化するためには、学習指導要領や教員養成システムなど文科省の画一的な統制を緩め、地方分権を進める必要もある。再生懇には国の文教行政の枠を超えてそうした問題意識を持ってもらいたいが、実際には文科省の影響力をはねつけるほどの力はないようだ。
再生懇は麻生政権発足後、一時は存続が危ぶまれた。しかし同省や文教族議員の意向もあって再始動する運びになったという。
本来なら官僚と対立してもおかしくない首相官邸の機関が、文科省の別動隊と化しているとすれば大いに問題だ。懇談会の役割が文教行政の後追いや補強、権威付けというのでは存在意義が問われよう。