第二次世界大戦開戦直後に「死の鉄道」として知られるタイ・ビルマ(ミャンマー)国境の泰緬(たいめん)鉄道建設に携わった元英国陸軍兵士の日記が残されていた。事故で犠牲者が多発する過酷な作業実態が記されている一方、日本軍の軍医に励まされたエピソードも書かれている。兵士の孫にあたる徳島市のカナダ人男性が、近くカナダで英語版を出版。日本語版の出版先も探している。
日記の主はイギリス南部出身のアルバート・モートンさん。1942年、31歳の時にシンガポールで日本軍の捕虜となり、鉄道建設に従事させられた。約10センチ四方の薄い手帳3冊には同年11月から帰国直前の45年末まで、収容所での生活や過酷な建設作業の様子が細かい鉛筆書きの文字でびっしりと書かれている。モートンさんは終戦後、カナダに移住し、83年に73歳で亡くなった。
アルバートさんの孫で徳島文理大客員講師のデイビッド・モートンさん(39)は祖父が亡くなって20年後の03年、日記を預かっていたおじから初めて実物を見せられた。祖父はまったく戦争を語らず、デイビッドさんにとって初めて知る祖父の戦争体験だった。
険しい谷間での作業に死者が相次ぐ記述に「よく生き残ったな」と驚いた。祖父はマラリアに悩まされたが、日本人軍医は熱心に治療に当たり「この戦争はもうすぐ終わる。家族に会えるように体を大切に」と励ました。欧米で知られる「無慈悲な日本軍兵士」のイメージとは異なっていたという。
デイビッドさんは徳島市で外国人の生活支援活動をする女性5人に協力してもらい、06年から2年間かけて200ページ弱の和訳を終えた。協力者の一人の徳島大非常勤講師、山田多佳子さん(52)はビルマに出征した父親を持ち、「父が戦った土地を知りたかった」と作業に加わった。
厳しい捕虜生活の中でもあった日本兵との交流。四国巡礼の「遍路」を研究するデイビッドさんは、遍路のもてなしの文化に通じるものがあると感じている。「体験者の書いた真実を多くの人に知ってもらいたい」と話した。【林哲平】
毎日新聞 2008年11月18日 13時06分(最終更新 11月18日 13時16分)