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【コラム】英語狂時代(上)

 「哲学」とは日本で作られた言葉だ。啓蒙(けいもう)家の西周(にし・あまね)が明治時代の初期に『百一新論』という著書で、西洋の概念である「philosophy」を「哲学」と翻訳したのが始まりだった。

 「社会」も同じだ。新聞記者の福地源一郎が1875年に東京日日新聞(現在の毎日新聞)で使用し、西洋の概念である「society」に当たる東洋漢字圏の言語として定着した。

 西は海外留学組だった。オランダで学び、ヨーロッパの知識人たちの結社「フリーメーソン」にも入会した。西は「国語(日本語)をローマ字で表記しよう」と主張した。そのため、初代文部大臣の森有礼(もり・ありのり)と共に急進的な英語使用論者とされている。米国留学組の森は「日本の独立を守るには、国語を英語にすべきだ」とし、1885年に小学校での英語義務教育を貫徹した人物だ。

 二人の「英語狂」が生涯かけて力を注いだのは、西洋の近代的な概念を国語にすることだった。西と森は福沢諭吉ら当時随一の教養人と共に、1873年に明六社という学術団体を結成し、韓国をはじめ東洋の近代意識に決定的な影響を与える言葉を生み出した。

 「社会」という言葉を作った福地は非留学組だった。江戸幕府使節団の一員としてヨーロッパを視察した経験があるだけだ。福地は森山栄之助という通訳に2年間師事し、英語の専門用語を翻訳できる水準にまで達した。森山も日本でラナルド・マクドナルドという日本初の「ネーティブスピーカー」教師に英語を学んだ後、1854年に日本に上陸したペリーの通訳を務めたほどのスペシャリストだ。

東京=鮮于鉦(ソンウ・ジョン)特派員

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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