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【コラム】英語狂時代(下)

 幕末から明治時代にかけての日本の英語ブームは、今の韓国のそれに匹敵するかもしれない。日本を代表する国語辞典「広辞苑」の編さん者、新村出(しんむら・いずる)は1889年に入学した静岡尋常中学(現在の静岡県立静岡高校)での授業について回想記にこうつづっている。「当時の英語教育はかなり進んでいた。地理や歴史などの教科書も平易な英語で書かれていた」

 島根県益田市にある医光寺では、寺子屋で1887年から3年間、住民たちに英語を教えたという記録もある。1905年の日露戦争時、益田海岸に漂流したロシア人兵士に、日本人漁師が英語で話しかけたというから、100年前の日本における英語熱は庶民にまで広がっていたようだ。

 しかし、当時の日本でも反論はあった。自由民権運動の政論家だった馬場辰猪(ばば・たつい)は英語国語化論に対し「英語ができる上層階級と、できない下層階級に国民が分裂する」と批判した。馬場の主張は過激な英語使用論に対するけん制理論として有名だが、馬場自身はイギリスに留学した経験があり、米国で客死している。

 先日、本紙「記者手帳」に掲載した、「日本のノーベル賞受賞者が、英語ができないことを後悔している」という内容の記事に対し、批判的な意見が多数寄せられた。「偉大な学者を引っ張り出してまで、異常な“英語熱”の肩を持っている」というご指摘だった。正直なところを言うと、批判の内容よりも、英語に対する韓国社会の過敏な反応にむしろ驚いた。

 「英語は話せるに越したことはない」。話題になったノーベル賞受賞者、益川敏英教授の言葉だ。自分のせいで「英語ができなくてもいい」という風潮が日本社会に広がるのを懸念してのことだ。

 韓国社会がどう反応しようと、日本と韓国の近代化を推し進めた主役たちは「英語狂」だった。そして、これからもそうだろう。

東京=鮮于鉦(ソンウ・ジョン)特派員

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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