ヴァンデミエールの翼

鬼頭莫宏
講談社/アフタヌーンKC2巻完結


評価
☆☆☆☆


  ヴァンデミエール、それは魂を宿した自動人形。
  造り物の身体に生を受けた彼女は、自由と自立を求め、創造主のもとを飛び立つ。
  ある時は小さな村で少年に導かれ、ある時は興行飛行士の命の代償に自らをさしだして。
  19世紀のヨーロッパに似た世界を、少女人形が駆け抜ける。
  飛べない翼を、せいいっぱい広げて。

*一巻背表紙より全文掲載*


  評論を必要とする漫画があるとすれば、この作品がまさにそうである。
  ただ「ああ面白かった」だけで終わるには惜しすぎる作品、とでも言うべきか。
  いつものように、どこが面白いのかではなく「何を読みとり何を学ぶべきか」、それを語ってみたい。
  なお僕の評論内容については、「何を当たり前のことを言っているんだ」と言ってくる人もいるだろう。 だが、その「当たり前のこと」を言葉にして語るのは、かなり難しい作業なのだ。 嘘だと思うなら自分で書いてみるといい。「当たり前」にすらならないことに気づかされるはずだ。
  僕に書けるのは「当たり前のこと」だけかもしれないが、まあおつき合い願いたい。
  それだけの価値がこの「ヴァンデミエールの翼」にはある。




「人間のまがい物」
「天使のまがい物」
「機械のまがい物」


  ヴァンデミエールが自分自身を指して言った科白である。
  そもそも、ヴァンデミエールとは何なのか?わかっているのは「飛べない翼を植え付けられた、少女の姿と心を持った機械人形」ということだけだ。
  誰が造ったのか?何のため生まれたのか?何のため生きているのか?
  それらはヒントこそあれ、作品中に明確な答えは示されない。 つまり、これは作者の読者に対して「自分で読みとって欲しい」という意志、いうなれば挑戦状である。
  ヴァンデミエールとは何なのか?この謎を手始めに解読してみたいと思う。


  一話一話で姿の違うヴァンデミエール。
  「ヴァンデミエール」という名はただの記号に過ぎない。囚われたもの、悲しい運命を背負わされたもの、自由を夢見るもの。 偽物の翼を植え付けられたもの、中途半端に造られたもの。
  そういう存在の象徴として、「ヴァンデミエール」という名前が与えられている。 だから一話一話に出てくるヴァンデミエールたちは別の姿であって、同一の存在であると解釈してよい。 またこれは同時に、先の「ヴァンデミエールとは何なのか?」という謎の答えでもある。
  ヴァンデミエールは、つまりは人間の「不完全さ」の象徴なのである。

  結論から先に言ってしまえば、「ヴァンデミエールの翼」は不完全な存在としての人間のメタファー「ヴァンデミエール」が、 神=創造主に与えられた「借り物の翼」を焼き捨て、「自分自身の翼」を探しに旅立つまでの話、と解釈できよう。 そう考えれば、「誰が造ったのか?何のため生まれ何のため生きるのか?」というこの作品の明かされない謎は、そのまま人間のそれに置き換えられることに気づくはずだ。
  自分自身の存在の起源、そして「存在理由」。それは人類永遠の謎であり文学の抱える根本的な命題だ。
  「誰が造ったのか?何のため生まれ何のため生きるのか?」その答えは誰にもわからないし、 また、わかってしまっては面白くないのだと思う。あえてここでは触れずにおこう。



  ただ一点、この作品は19世紀ヨーロッパを意識した舞台で、とうぜん教会があり、 キリスト教的観念が多く登場する。どうやらこの作品は宗教や信仰についても言及しているようだ。 それはさかんに登場する「創造主」や「天使」などの単語、聖書の言葉の引用などからも容易にうかがえる。 それについては少し触れねばなるまい。

  キリスト教をはじめ宗教には何らかの形で「神」がいる。
  神は人を造ったもの。縛りつけるもの。逆らえないもの。畏怖すべきもの、依存すべきもの。
  しかしこの作品では神=創造主は徹底して「悪」の存在、立ち向かうべき存在として描かれている。 「創造主」は機械人形であるヴァンデミエールに本来必要ない「心」、 それゆえ必要以上に生まれる絶望や悲しみを与え、その呻く姿を弄んでさえいる。 そして背信を許さず、一度造った彼女を容赦なくばらばらに破壊してしまう。壊れればまた造ればいい、とでも言わんばかりに。 そしてまた悲しい運命を背負った新たな「不完全な存在」、ヴァンデミエールが生まれる。
  生まれてきたことそれ自体が罰である、という救いようのない真実がそこにはある。 そしてその彼女たちの哀れな姿は、そのまま神に与えられた人間の悲しい「運命」のことを暗示しているのである。
  いずれにせよ、この作品世界では神は「敵」だ。我々を苦しめる悪の存在だ。

  鬼頭莫宏は宗教や神への安易な依存、甘えを否定する。人の弱さそのものを否定する。
  7話までは徹底的に人間存在の不完全さを描き出した。 そしてそこから生まれるどうしようもない悲しみや絶望を描き、自由を求める報われぬ意志を描いた。
  その「パズルのピース」のようにばらばらなヴァンデミエールたちの物語は、単行本のために描きおろされた最終話で見事に収束する。 最終話「ヴァンデミエールの滑走」の一節、青年からヴァンデミエールに告げられたこの科白が、そのまま作者からの我々人間に対するメッセージであると思うのだ。

「あなたは何かに似せてつくられたのではない。
誰かの命令ではなく自らのために動くことができるのです。
自信を持ちなさい」




  「ヴァンデミエールの翼」はちょうど飛行機が登場した頃の19世紀ヨーロッパをモデルに舞台設定している。 それは人が科学で空を飛んでしまえる時代、ニーチェの言葉を借りれば「神の死んだ」時代である。
  そこではもはや人間に対する神の意志など何の意味もなさない。この作品中、ヴァンデミエールに与えられた「翼」はその「神の意志」の象徴とも言える。
  望んでいないのに勝手に植え付けられた飛べない翼。
  それは自分自身の逆らえない悲しい運命と同じだ。逆らえないものなら依存し、 服従してしまうほうが楽だ。全てを絶対的に受け入れたほうが楽だ。 神への信仰、運命への服従こそが19世紀までの人間の基本的な姿勢だった。
  しかしこの作品は違う。この作品のテーマは「自由」だ。それには運命からの自由、 いま自分の置かれている環境からの脱出という意味が多分に含まれている。 絶対的な力に対して服従ではなく反抗を選べと、そう言っているのだ。 最終話、心を閉ざし「人形」として永い眠りについていたヴァンデミエールに向かって話しかける青年(エイバリーだろうか?)の言葉が、 「神の死んだ」この時代を実に的確に言いあらわしている。

「さあ目を覚ましなさい、ヴァンデミエール。
上からの言葉ではなく、内からの言葉を聞く時です」


  上とはもちろん「神」であり、 自分に何かを押しつけるすべてのもの(親や学校や教師、世間の「常識」、宗教なども含むすべて)の集合体である。 それらに押しつぶされず、自分自身の内からの意志、「自分の翼」で飛ぶのだという熱いメッセージを僕はこの作品の最終話に感じた。
  それは最終話、ヴァンデミエールが自分を縛り付けていた翼を焼き払うシーンに集約されている。 彼女は大空を駆けるジャンボジェット機を見上げ、「なんて力強い翼」とつぶやく。 彼女の新しい自分の「翼」はまだ見つかっていない。依りどころを無くした彼女の「翼の痕」が疼く。 だけどとりあえず、彼女はバイクにまたがり旅に出ることを決める。 自分自身の新しい「翼」で、こんどこそ自由になるために。その遠ざかる小さな翼のない背中で、物語は余韻を残しつつ終わる。
  この新たなる旅立ちこそが、最終話「ヴァンデミエールの滑走」のタイトルが持つ意味だ。
  「滑走」(「火葬」と掛けているのだろうか?)とは、飛翔のための助走である。 いままさに空への第一歩を踏み出したヴァンデミエール。それはちょうど神の掌の上を離れ自分たちで空を飛びはじめた人類のその姿と重なる。
  そう読み解けば、この話が19世紀に始まり現代につながっている構成の意図が見えてくる。 つまりこの話は「人の心のあり方」の遷移を描いた年代記(クロニクル)でもあるのだ。かつては神こそが絶対だった。信仰が絶対、しきたりが絶対。
  しかし今、鬼頭莫宏は現代を指して「内からの言葉を聞く時」だと言う。
  内なる声とは自分自身の意志。それは個の意識、つまりアイデンティティのことだ。
  もう何者にも縛られることはない。自分は他の誰に似せてつくられたのでもない、ただ「自分」である。 借り物の翼なら焼き捨てて旅立てばいい。甘えてはいけない、 何かに依存して生きていてはいけない。「目を覚ましなさい」。
  この最終話のメッセージをごく大雑把に言うとすれば、「自分をしっかり持ちなさい」ということなのだろうと思う。
  当たり前と言えば、当たり前すぎるメッセージだ。 だがこの結論にたどり着くために、ヴァンデミエールたちの八話の悲しい物語は存在したのだ。僕はそう思っている。



  結局この物語は何度も言うように、機械人形ヴァンデミエールを人間の弱く脆い部分、 「不完全さ」のメタファーとして描いた「自立」の物語であったのだ。絶対意志からの、そして弱さからの。 それを見事に描ききっているこの作品、近年稀に見る傑作と言っていい。 文学色が強すぎて読み手を選ぶのが弱点で評価を下げざるを得ないが、それでも星四つはあげたい。こういう作品が描かれた「意義」を評価してだ。
  これだけ評論のしがいのある漫画も珍しかった。 これでこそ評論ページを作るかいもあるというものだ。こういう文学的に優れた作品があまりに少なすぎるということのほうが問題なのだ、とも思うけれど。



◆関連リンク◆
むくたま
  「なるたる」を中心とした鬼頭莫宏ファンページ。盛りだくさんの内容です。鬼頭氏直筆(?)のちょっとしたエッセイも読めます。僕も「なるたる」の一ファンとして、たまに見に行ってます。

SiNNa 1905
  鬼頭莫宏作のデジタルコミック「SiNNa 1905」が読めます。死にそうなくらい重いけどそれに見合うだけの価値がある美麗な絵。必見です。



update 99/9/1

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