「芦原英幸伝・我が父の魂」(新潮社)の制作を巡り、「協力者」である芦原英典氏には随分と迷惑をかけた。
「芦原英幸伝」は英典氏が自らの父である芦原英幸との触れ合いなどを語る、文章技法的には「語り降ろし」スタイルで書かれている。厳密にいえば「語り降ろし」とは「インタビュー集」とは異なる。あくまで「1人語り」の体裁で描いていく手法であり、「語り」がイコール「語り手」の言葉ではない。そこには物書きの意向が加えられて、初めてひとつの「作品」となる。
だが、この手法を成功させる為には最も重要なポイントがある。それは物書きと「語り手」の間の密なコミュニケーションである。「芦原英幸伝」ではそれがうまくいかなかった。芦原先生と80年代から親しくさせてもらってきた私にとって、当時の英典氏はまだ小学生の低学年であり、芦原先生の前で英典氏が蹴りを放つと(それは見事な上段回し蹴りだったが)、気軽に「英典君、凄いね」などと話すような関係だった。
だが、気がついたら英典氏は30を超え立派な芦原会館館長になっていた。しかし、どうしても昔の思い出が抜けず、私も英典氏もなんとなくぎこちない感じで付き合ってきた。そんななかで甘えも生まれる。
「英典館長なら分かってくれるだろう…」
ひょっとしたら英典氏は英典氏でなかなかストレートに私に話難い微妙な心理もあったかもしれない。結局、私は英典氏との関係に緊張感を忘れ、文章の内容に対する打ち合わせが疎かになっていった。
英典氏を「語り手」としながら、私は生前の芦原先生から託された幾つかの言葉を入れようとした。だが、今考えるならば、芦原先生の言葉を英典氏を「語り手」として入れるにしても、それなりの配慮や互いの理解がなくてはならい…これは物書きとして初歩の初歩ともいえる作業である。それを私は怠った。病気云々は理由にならないだろう。
その結果、「語り降ろし」と「インタビュー集」の境目が曖昧になった。私が英典氏を「語り手」としながら「芦原先生から託された言葉や逸話」を入れる。
しかし英典氏としては、全く自分では知らないことが自分の言葉として書かれている。当然、当惑するし疑問や怒りもするだろう。そして自ら語ってないこと には、たとえ父親の言葉だといっても「責任」は取れない…それは至極当然のことだ。
このようにして起きたトラブルではあるが、互いの歩み寄り、特に英典氏の配慮により、英典氏自身が預かり知らぬ部分を英典氏が納得する形で修正すること、そして英典氏は「著者」ではなく「協力者」となることで収集がつくことができた。
ところが、この私と英典氏の間のトラブルを待ってましたとばかりに大騒ぎする輩たちがいる。いわゆるNetの住人と自称する人間たちだ。
「特定の団体や特定の人物をあたかも自分が語ったとされているが、自分は一切語ってない~」
そんな意味の英典氏の言葉尻をとって「芦原英幸伝」全てを否定する連中。
「芦原英幸の息子がいってないと宣言した。この本は捏造でありトンデモ本だ」
「小島は今度は芦原会館を敵にした」
「インチキ本を出した新潮社は小島に騙された。英典も小島に騙された」
名前も顔も見えないところから好き放題、理屈にもならない理屈を「バカ、死ね」などの侮蔑語を交えながら跳梁する人間たち。
今回の「芦原英幸伝」についても同様だ。私と英典氏のトラブルをとって鬼の首を取ったように「芦原英幸伝」の内容を全否定する。さすがの私もそれを聞いて唖然とするばかりだった。
私は突然、盧山初雄の言葉を思い出した。
半年ほど前、盧山初雄(極真館)が著者となる空手技術本の発売が迫っていた。ちょうどそんな時、その技術本の内容を批判する、否誹謗中傷する声がNet内を駆け巡った(探偵社の調査で、のちに犯人は判明したが)。
それを聞いた私もさすがに影響力を心配した。勿論、盧山の弟子や極真館支部長たちも色めき立った。ところが盧山初雄は豪快に言い放った。
「全然、問題ない。空手の『か』の字も知らないような人間がワイワイ騒いだり、盧山の悪口をふれ回ったり、極真館を批判したりするのは、それだけこちらに影響力があるからなんだよ。だからドンドン騒がせておけばいいのよ。宣伝をしてくれると考えればいい。わざわざ極真館の宣伝をしてくれてありがとう」
私は盧山の太っ腹と豪胆さに脱帽した。そして、Net騒ぎの影響かどうか分からないが、盧山著の技術本は売れた。
既に15000部を超えた。出版不況といわれ、格技・空手界が冬の時代を迎えた今、殆どの空手家の著書は総倒れである。増田章、長谷川一幸、大石代悟…、最近出したこれらの技術本はたった数千部しか売れていない。
だが「芦原英幸伝」は正式発売を前にして新宿紀伊国屋では半日で殆ど完売状態。実は今日正式発売日だが、既に増刷は数日内は必然的だ。
何をいわれようが「勝てば官軍」のたとえ通り「売れたものの」勝ちである。
21日現在、既に「芦原英幸伝」初版は完売状態だ。
「芦原英幸伝」は英典氏が自らの父である芦原英幸との触れ合いなどを語る、文章技法的には「語り降ろし」スタイルで書かれている。厳密にいえば「語り降ろし」とは「インタビュー集」とは異なる。あくまで「1人語り」の体裁で描いていく手法であり、「語り」がイコール「語り手」の言葉ではない。そこには物書きの意向が加えられて、初めてひとつの「作品」となる。
だが、この手法を成功させる為には最も重要なポイントがある。それは物書きと「語り手」の間の密なコミュニケーションである。「芦原英幸伝」ではそれがうまくいかなかった。芦原先生と80年代から親しくさせてもらってきた私にとって、当時の英典氏はまだ小学生の低学年であり、芦原先生の前で英典氏が蹴りを放つと(それは見事な上段回し蹴りだったが)、気軽に「英典君、凄いね」などと話すような関係だった。
だが、気がついたら英典氏は30を超え立派な芦原会館館長になっていた。しかし、どうしても昔の思い出が抜けず、私も英典氏もなんとなくぎこちない感じで付き合ってきた。そんななかで甘えも生まれる。
「英典館長なら分かってくれるだろう…」
ひょっとしたら英典氏は英典氏でなかなかストレートに私に話難い微妙な心理もあったかもしれない。結局、私は英典氏との関係に緊張感を忘れ、文章の内容に対する打ち合わせが疎かになっていった。
英典氏を「語り手」としながら、私は生前の芦原先生から託された幾つかの言葉を入れようとした。だが、今考えるならば、芦原先生の言葉を英典氏を「語り手」として入れるにしても、それなりの配慮や互いの理解がなくてはならい…これは物書きとして初歩の初歩ともいえる作業である。それを私は怠った。病気云々は理由にならないだろう。
その結果、「語り降ろし」と「インタビュー集」の境目が曖昧になった。私が英典氏を「語り手」としながら「芦原先生から託された言葉や逸話」を入れる。
しかし英典氏としては、全く自分では知らないことが自分の言葉として書かれている。当然、当惑するし疑問や怒りもするだろう。そして自ら語ってないこと には、たとえ父親の言葉だといっても「責任」は取れない…それは至極当然のことだ。
このようにして起きたトラブルではあるが、互いの歩み寄り、特に英典氏の配慮により、英典氏自身が預かり知らぬ部分を英典氏が納得する形で修正すること、そして英典氏は「著者」ではなく「協力者」となることで収集がつくことができた。
ところが、この私と英典氏の間のトラブルを待ってましたとばかりに大騒ぎする輩たちがいる。いわゆるNetの住人と自称する人間たちだ。
「特定の団体や特定の人物をあたかも自分が語ったとされているが、自分は一切語ってない~」
そんな意味の英典氏の言葉尻をとって「芦原英幸伝」全てを否定する連中。
「芦原英幸の息子がいってないと宣言した。この本は捏造でありトンデモ本だ」
「小島は今度は芦原会館を敵にした」
「インチキ本を出した新潮社は小島に騙された。英典も小島に騙された」
名前も顔も見えないところから好き放題、理屈にもならない理屈を「バカ、死ね」などの侮蔑語を交えながら跳梁する人間たち。
今回の「芦原英幸伝」についても同様だ。私と英典氏のトラブルをとって鬼の首を取ったように「芦原英幸伝」の内容を全否定する。さすがの私もそれを聞いて唖然とするばかりだった。
私は突然、盧山初雄の言葉を思い出した。
半年ほど前、盧山初雄(極真館)が著者となる空手技術本の発売が迫っていた。ちょうどそんな時、その技術本の内容を批判する、否誹謗中傷する声がNet内を駆け巡った(探偵社の調査で、のちに犯人は判明したが)。
それを聞いた私もさすがに影響力を心配した。勿論、盧山の弟子や極真館支部長たちも色めき立った。ところが盧山初雄は豪快に言い放った。
「全然、問題ない。空手の『か』の字も知らないような人間がワイワイ騒いだり、盧山の悪口をふれ回ったり、極真館を批判したりするのは、それだけこちらに影響力があるからなんだよ。だからドンドン騒がせておけばいいのよ。宣伝をしてくれると考えればいい。わざわざ極真館の宣伝をしてくれてありがとう」
私は盧山の太っ腹と豪胆さに脱帽した。そして、Net騒ぎの影響かどうか分からないが、盧山著の技術本は売れた。
既に15000部を超えた。出版不況といわれ、格技・空手界が冬の時代を迎えた今、殆どの空手家の著書は総倒れである。増田章、長谷川一幸、大石代悟…、最近出したこれらの技術本はたった数千部しか売れていない。
だが「芦原英幸伝」は正式発売を前にして新宿紀伊国屋では半日で殆ど完売状態。実は今日正式発売日だが、既に増刷は数日内は必然的だ。
何をいわれようが「勝てば官軍」のたとえ通り「売れたものの」勝ちである。
21日現在、既に「芦原英幸伝」初版は完売状態だ。