浅草下町の人情と不況
政治・思想とはまったく関係のない私的な話題です。
たまには気の向くままに思ったことを書いてみたいという心境に駆られることもあります。私的なことですが、昨夜の私の出来事を書いてみることにしました。
夕方携帯電話が鳴ったので出て見ると、かつて浅草のスナックでよく飲みながらカラオケをしていた人からの電話でした。着信音を消していたので気がつかなかったが、3人ほどから着信記録が残されていた。
皆さん、その店の常連の方でした。そのカラオケスナックが営業を止めてから、もう2年が経過していました。
実は昨年もその常連のメンバーが集まって夜遅くまで飲みました。
その時に「また来年もやりましょう」と声をかけられ、先々週にお誘いを受けていたのを思い出しました。
仕事が忙しいので実際出られるかどうか分からないので「後日電話をします」と言ったきり、忘れていたのを思い出した。
部屋に戻る途中だったので、急いでかつてのお店があった近くの居酒屋に向かいました。懐かしい顔ぶれが10人ほど待っていました。一年ぶりに会う人ばかりでしたが、今も普段から会っているような感覚で私を迎えてくれました。私も何事もなかったかのように席に着きました。
皆さん、私のことを待っていてくれたのです。私がこの店のママさんと知り合ったのは実はパチンコ屋でした。前に白状していますが、私はブログを書く前はパチンコが大好きでした。
浅草のパンドラという店で、私が遊びに行っていた頃は、スーパー・ダイエー配下の店で、経営母体が日本資本という珍しいパチンコ屋でした。私が行かなくなった2006年頃からは他の資本に買い取られたので、現在は朝鮮半島系の経営になっているかも知れません。
実はこのお店のママは私よりはかなり年上ですが、パチンコ大好きでお店で知り合い、この店に誘われて通うようになりました。10年ほどは通ったっと思います。
その間、このお店で様々な人と出会い、共に酒を飲みカラオケを唄って親しくなりました。私以外の人達はたまにパチンコ屋で会うことはあっても殆ど一緒に飲むことはないようです。私はパチンコは止めたので、皆さんと会うのは一年に一回だけです。
廃業した店のお客が集まってたまに飲むというのは、この浅草のお店の客だけで、これまでいろいろなお店に顔を出しましたが、このようなケースはこのお店だけです。
昨夜、一緒に飲んでいて何故だろうと、ふと思いました。普通であれば、お店が潰れてしまえば客などは散り散りになってしまい、年に一回でもお客が集まって顔をあわせるようなことなどは先ずありません。
「これが下町の人情と言うものなのか?」とも思いましたが、実はこのメンバーの殆どが浅草生まれではありません。整骨院を経営する方が生粋の浅草生まれの浅草育ちとは聞いていましたが、後はまったく違う人ばかりです。
ママは北海道出身で若いときは浅草のキャバレーで働き、後に独立してお店を持ったと言いますが、お店は38年間経営していました。他の人達は長崎県、熊本県、愛知県、千葉県など様々で、私は東北ですから、下町人情などとは無縁な人ばかりです。
しかし、皆家族のように仲良くお話が出来て歌を楽しむ、この雰囲気はどうして保てるのか? …考えていました。もう、店がなくなってから丸2年が過ぎ、その間は一回しかあったこともなく、昨夜は2回目でした。
飲んでいて思ったことは一つでした。お互い本音で語り合って飲んでいたんだなぁ〜ということでした。私は景気の良い時には銀座や赤坂のクラブで飲んだこともありましたが、そこは虚飾の世界であり、本音で語り合うことなどはありませんでした。
昨夜は本音の話がたくさん聞けました。
「今年は売り上げが昨年の4割減です。これまで経験したことのないような状態で、今後の営業には不安が一杯です」(飲食店経営者)
「私は売り上げが月35万円を下ったことなどなかったのに、今は25万以下に落ちてしまった。皆さんそうなので仕方がないですがね」 (タクシー運転手)
「午前中はホテルの布団の片付け、午後には厨房に入りますが、最近は体がきつくもたない。従業員が減らされて、その分余計に働かされています」(元ママさん)
「いいお客さんが減っています。最後まで飲んでタクシーで帰る人は少なくなった、皆さん電車が動いている時間帯に帰ってしまいます」 (ホステスさん)
「派遣社員だったけど、仕事がなくなって首になった、でも調理師の免許あったから、何とか住み込みで働き口を見つけた」(調理師)
言葉は悪いが皆さん社会の底辺で頑張っている人ばかりです。それにしても、今の不況はかなり深刻なんだと実感した。実際にそのような環境にある人のナマの声を聞かないと分からない。
今、巷では職を失い路頭に迷う人が数多く輩出されいます。ぎりぎりのところまで頑張ってきたのに廃業せざるを得ない人もたくさん出ています。
この不景気の中で皆さん、歯を食いしばって耐えていかねばならない。しかし、このような時に日本の政治や行政はどうなのでしょう? 昨日会った人達は、余りというか殆ど政治的な話をしたことのない人達でした。
私がこのような活動をしていることも知らない人が殆どです。政治に何かを期待するというような話はまったく出ませんでした。政治などは無縁な存在でしかないのです。
日本の政界では2世・3世の政治家ばかりが目につきます。このような政治家は本当の意味で、社会の底辺の人の暮らしと本音を知らないでしょう。
日本が現在どれだけ厳しい状況に追いやられているのか、その窮状を知る政治家が果たして何人いるのでしょう。そのような社会の窮状とはまったく関係のない別世界で生きている人達によってのみ社会は動かされている。
虚しさと怒りだけがこみ上げていました。
しかし、それを彼等と論じてもしょうがない。昨夜は全てを忘れ、楽しい夜を過ごすために用意された時間でした。夜遅くまで時間の過ぎるのも忘れカラオケで唄いまくりました。
私は小林旭の大ファンです。何曲唄ったか記憶にありません。思い出せないほど唄いました。よく2ちゃんねるで私の服装が派手だとか、テカテカスーツなどと書いている人がいますが、あれは全て小林旭のマネージャーから頂いたステージ衣装です。
昨夜も唄っている時の気分は最高でした。しかし、現実の社会を見つめた時に、それは浮かれている場合でないことは自覚しています。昨夜の友とは後一年会うことはないでしょう。
また、来年会う約束をして別れました。
人間、立つ位置によって見えるものが違ってくると言われます。私は己の立ち位置を間違わないように、これからも生きていきたいと思う。
↑↑ブログランキング応援クリックお願いします!
〜新風連ブログ〜