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ジンバブエ:コレラに苦しめられるベイトブリッジ

2008年12月18日掲載

ジンバブエコレラ対応に緊急支援を!
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「少し気分が悪いです。」汚い床に横たわった中年男性のヘンリーは、礼儀正しくクララの方を見上げながら静かに言った。脱水症状が激しく、頬はげっそりとこけ、丸刈りの頭の下から目が飛び出ている。国境なき医師団(MSF)のベイトブリッジにおけるプログラムの第一陣として派遣された看護師であるクララ・シャミゾは、この言葉がいかに不条理であるかを感じていた。彼女の立っている場所はベイトブリッジの中核病院の裏庭で、周囲には数十人のコレラ患者が土の上に横たわっている。コレラは南アフリカと国境を接する人口約4万人のこの町を襲い、感染が野火の如く急速に広がった。

「通常、コレラは数名の症例が出てから数週間後に感染のピークを迎えます。」とMSFの緊急対応コーディネーターであるルイス・マリア・テロは説明する。彼は最初の症例が報告されてから数日後に現地入りしたが、患者数のあまりの多さに驚いている。まだ調査が必要であるとはいえ、彼は「おそらく多くの人びとが同じ感染源から同時にコレラに罹患した」のであろうと考えている。

ベイトブリッジの地方保健当局がMSFに対して初めてコレラの症例を報告した11月14日の時点で、症例数は5件であった。2日後にその数は既に500件を超え、その後1週間で1500件を超えた。

患者らは当初ベイトブリッジの中核病院の中に収容された。ほとんどの患者は劣悪な衛生環境の中、コンクリートの床の上に寝かされた。清掃スタッフは1~2名しかおらず、この状況に対処して衛生面での管理や消毒を行うことは不可能だった。また、適切な用具、化学薬品、水も不足しており、さらに病院のトイレはすべて長い間詰まったままであった。

11月23日の朝、病院はすべての患者を裏庭に出す決定を下さなければならなかった。排泄物が地面に吸収されるようにするためである。

それはすさまじい光景だった。患者たちは焼けつくような45度という気温の中、乾いた地面の上に横たわっている。誰もが命をつなぐ点滴(乳酸リンゲル液)を必要としている。しかし彼らに与える水さえなかった。病院も町の至るところと同様、ほぼ毎日給水が止まっていたからだ。

この緊急事態が発生した時にベイトブリッジにいたMSFの海外派遣スタッフは、シャミゾ看護師と、ベイトブリッジにおけるプログラム責任者であるヴェロニカ・ニコラ医師だけであった。アルゼンチン人の小児科医であるニコラは、これまでに幾度かMSFの活動に派遣されているが、1日のうちでこれほど多くのカテーテルを挿入した経験はかつてなかったと言う。

ニコラ医師はこう回想する。「最も難しかったのは、1人の患者に集中することでした。炎天下で、いくつかある手押し車の隣に、一人の男性が横たわっていましたが、私が彼のところにたどりついた時には既にショック状態に陥っており、私たちは静脈注射のために10回も血管を探しましたが、やがて喘ぎ始めて私たちの目の前で亡くなってしまいました。もしあと30分早く対応できていたら、何とかできたかもしれません。しかし助けを求める人びとの数があまりにも多すぎました。それでも、何かはできたはずです。気の毒なことをしました。」死者の数は1週間で54人に達した。

ベイトブリッジ病院には乳酸リンゲル液も経口補水液のタブレットも備蓄されていなかった。MSFは活動開始初日に800リットルを超える乳酸リンゲル液を発送し、それ以降も供給を継続している。医療物資や物流資材を含む12個の積み荷は10日後に到着した。医師、看護師、ロジスティシャン(物資調達管理調整員)、アドミニストレーター(財務、人事管理責任者)を含む海外派遣スタッフ16名からなるチームがベイトブリッジに派遣され、100人を超える医療従事者、清掃員、日雇いスタッフを現地で採用した。

3日のうちに、MSFは特殊ベッド(中央に穴があり、その下にバケツが備えられて排泄物が直接容器に放出できるベッド)130床を備えたコレラ治療センター(CTC)を設置した。

コレラ菌は体内に入ると毒素を排出し、この影響で腸が体中の水分を吸い上げてしまう。腸は集まった多量の水分を処理できず、拒絶反応を起こす。唯一できることは、通常約5日間といわれるコレラ菌の寿命が尽きるまで生き延びるために、十分な水分を体に与えることである。これができなければ、感染者は感染から数時間で死に至る場合もある。

実際に効果のある予防法は良好な衛生状態を保つことのみである。コレラの大発生から2日目に、ジンバブエ環境衛生局(EHOs)の職員2人を乗せたMSFの車が町を周回し、人びとにコレラ感染を避ける方法についての情報提供を行った。

ベイトブリッジの町は、出稼ぎ労働者、トラック運転手、売春婦、身寄りのない子ども、そしてより良い生活を求めようと必死な人びとたちが、主に南アフリカ共和国にむけて国境を越えようと集まってくる、流動性の高い町だ。現在、ジンバブエ国内は危機的状況にあるため基本的な行政サービスが不足しており、特にベイトブリッジのような野放しの拡大を見せている町ではその傾向が顕著である。至るところにゴミが散らばり、ほとんどの通りでは汚水がそのまま垂れ流されている。ほぼ毎日、断水や停電にみまわれる。

MSFの車がゆっくりと町内を回り、環境衛生局の職員が拡声器でスピーチを行おうとすると、どこでも怒りに震える群衆が集まり口々にこう叫んだ。「水もないのに、どうやってコレラを抑えろと言うんだ!」「こんな近くに流れている汚水を見ろ!」「なぜこの通りのゴミを片付けないんだ?!」

ベイトブリッジを横断する主要幹線道路上には、国境を超える前にすべてのトラック運転手が止まるエリアがある。事務手続きに数日かかる場合もあるので、彼らは乗客や身内と共にこの場所でキャンプをする。MSFの車がそこに止まった際、周囲に集まったトラック運転手たちは地元住民と同じように腹を立てていた。彼らは手を洗っているという汚水だめや、すぐ隣の人糞で覆われた埃っぽい野原を示した。「いったいどこへ行けばいいのか」とある男性が訴えた。

問題は長期的だ。給水所にはポンプを修理するための適切な部品がない。もしあったとしても、次には給水塔から町中まで水を送るための電気が問題となる。電気は炭鉱の稼働状況に左右されるが、炭鉱では1年以上も賃金が支払われず、もはや石炭を供給できない状態にある。そのため、ゴミ収集車を走らせる燃料もない。ゴミを収集するスタッフに給料を支払うための金もない。下水網を整備するための設備や備品もなく、その工事人に支払う金もない。そしてこうした事態に対する早急な解決策もない。

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