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【萬物相】新羅の仏像

 1980年代初頭、京都大学の学生が京都太秦の広隆寺で国宝第1号の弥勒菩薩半跏思惟像に見とれていた。彼は感情を抑えきれず、いつのまにか台座に上って仏像を抱きしめてしまった。そのためこの仏像の右手薬指が損壊し、彼は壊れた指を持って逃げ去った。日本全国が大騒ぎになり、多くの人たちが法会に参加したり神社に参拝して、行方不明になった指が無事に戻ることを祈った。

 この仏像を愛した犯人は数日後に指を持参して自首した。復元作業が行われる前に材質の精密な分析を行ったところ、韓国慶尚北道の奉化郡や栄州市などの赤松、春陽木だった。その後この仏像は新羅で作られたという説が学会で多数を占めるようになった。広隆寺を創建した新羅系豪族の秦何勝が、病で倒れた推古天皇の快癒を祈って新羅にこの仏像を注文したとの記録も日本書紀などに残っている。

 ドイツの哲学者ヤスパースは京都の半跏思惟像を見て、「地上のあらゆる束縛を超越し到達した、人間存在の最も清浄で円満かつ永遠な姿」と絶賛した。彼が韓国の国宝83号「金銅製弥勒菩薩半跏像」を見ていれば、さらに驚いていただろう。この2つの仏像は非常に酷似している。どちらも3つの山のようにそびえる三山冠をかぶり、右腕を左ヒザの上に置いた半跏の姿勢で、蓮の台座に座って指を頬にあてながら思索に耽っている。

 京都大学の学生からヤスパースに至るまで、世界の人々を魅了してきた京都の半跏思惟像の微笑みは、われわれの国宝78号であるもう一つの「金銅製弥勒菩薩半跏像」にも刻まれている。崔淳雨(チェ・スンウ)はこの仏像を見て、「悲しんでいるのかと思えばそうでもないようにも見え、微笑んでいるのかと思えば峻厳な雰囲気も口元にわずかに表現されている。何か笑みを無理に抑えつけているようでもあり、何とも表現できないほど神々しい」と表現した。口元にわずかに刻まれた優美で奥深しい微笑みは、まさに崇高さと慈悲深さそのものだ。

 国立中央博物館で一昨日から開幕している統一新羅彫刻展には、東京国立博物館の「小倉コレクション」から8世紀の新羅仏像4点が送られてきた。わずか20センチほどだが、専門家が「鑑賞のロマン」とまで表現する精巧さと生命力、気品が漂っている。左足に力を入れ尻の右側をやや上にあげた金堂観音菩薩立像は、官能的な美しさまでも漂わせている。この仏像は来年3月1日まで展示された後に再び日本側へ返される。日帝時代に実業家の小倉武之助が持ち去った文化財1000余点のごく一部であるという点を思い起こすと、胸がさらに締め付けられる。

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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