桜井淳所長の最近の講演内容-theologyについて 6-
テーマ:ブログ【講演要旨】日本には、神社があり、それは、まさに、"神"の"社"ですから、歴史的にも、社会的にも、大きな意味があるわけで、ここで言うところの"神"とは、神道の"神"であり、日本では、この神が最も当たり障りなく、具体的な表現として、いくつかのところで見かけ、たとえば、産業施設の安全を司る要の制御室、より具体的に言えば、原研材料試験炉や関西電力美浜原子力発電所2号機の制御室の制御パネル盤中央の目の高さに、幅5cm高さ30cmくらいの天照大神のお札が張ってあり、それらは、一例であって、日本のありとあらゆる産業施設のそのようなところには、同様のことがなされているものと推察しますが、それは、エンジニアの単なる洒落の世界ではなく、究極の安全の拠り所として、そのようなところにすがっているのが現実であり、そのような光景は、欧米の産業施設では、絶対に目にしなかった光景であり、それでは、それに代わるキリスト像や十字架が掲げられているかと言えば、そうではなく、ただ、欧米先進国、特に、英仏、デンマーク、スペイン、イタリアで見学した教会・カテドラル(講演では約30分間説明)、その中でも、特に、私(桜井淳所長)がお祈りに出かけたデンマークやスペインの最大級のカテドラル、より具体的には、後者のカテドラルには、大きな幻想的な空間に、3000席もある礼拝堂があり(講演では約30分間説明)、信仰の深さと威厳を感じ、日本の教会のイメージとは、まったく異なり、日本の教会は、具体的には、桜井所長の一時的に住んでいたマンションの近くのサレジオ教会(本欄バックナンバー参照)のような比較的立派な教会でも、カテドラルに比較したならば、あらゆる意味で比較にならないくらいの施設であって、そのような教会を見ても、喜びはこみ上げるものの、最高の歓喜は、経験できないでしょう(日本には、残念ながら、桜井所長が満足できるほど立派な教会は、ひとつもありません)。