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【蹴球探訪】レフェリーの実像に迫る(上)2008年10月4日 試合を成り立たせるために必要不可欠な審判が、今季は批判の的にされている。3月の「ゼロックススーパーカップ」で警告を連発し、PKのやり直しをさせた主審への批判が集中した一件を皮切りに、選手が審判に「死ね」と言われたとする「暴言騒動」まで起きた。だが、批判を受ける審判側の思いはなかなか伝わってこない。審判に対する無知が不信感を生み、さらなる批判を呼ぶのではないか。試合をコントロールする彼らの一端を知るべく、トップレベルから「金の卵」までさまざまなレフェリーたちを訪ねてみた。第1回は、日本ラグビー界で初のプロレフェリーとなった平林泰三氏(33)を通して、違った角度から審判の実像に迫った。(占部哲也) ラグビーとサッカーサッカー取材で、なぜラグビーのレフェリーなのか。まず、東京中日スポーツで6月に掲載したあるコラムを紹介したい。本紙でラグビーを担当する麻生記者が、トヨタ自動車の麻田一平主将を通して感じたラグビーの選手と審判との関係を記している。(以下の「」内はコラムの要旨)。 「ラグビーでは、サッカーや野球と違いレフェリーは絶対的な存在ゆえに選手が異議を唱えることはほとんどなく、トラブルも起きない。偏った判定に見えた試合で、負けた麻田主将が『僕らがレフェリーとうまくコミュニケーションをとれなかった』と自分たちに問題があったと認識していた」 このコラムで如実に表れているように、同じ起源ながらサッカーとは違い、ラグビーではレフェリーに威厳があり、選手との間にしっかりとした信頼関係があるようだ。ラグビーとの対比を通じて、サッカー界における審判の実像が浮かび上がるのではないか。そこで、日本ラグビー界初のプロレフェリー・平林氏を訪ねてみた。平林自身は5歳でラグビーを始め、その後は宮崎大宮高、宮崎産業経営大でプレー。大学卒業後は、豪州にラグビー留学している。7人制ラグビーで活躍すると同時に、レフェリーの資格も取得。現在は6カ国対抗で笛を吹くのが目標だ。 歴史、文化的な背景の違いさわやかな笑顔と鋭い眼光を持ち合わせる平林氏はまず、こう切り出した。「ラグビーは、格式の高いラグビー高で誕生した。大衆文化の中で生まれたサッカーと違い、アカデミックな中で生まれたのが一番の違いかな」。レフェリーに対する尊厳は歴史的背景から来ているという。そして、国際ラグビー連盟(IRB)や各国協会の審判に対するバックアップ体制が違うことを強調した。 平林氏が具体的な例を挙げてくれた。昨年の6カ国対抗で、イングランドの監督がマスコミの前で「レフェリーのミスで負けた」と不満をぶちまけた。すると、IRB側はすぐさま「レフェリーの判定は守るべきというラグビー憲章に反し、ラグビーそのものを傷つけた」として、その監督に制裁を下したという。そもそもが「レフェリーは絶対で、それに対して異議を唱えるのはラグビー文化を否定することになるのだ」というのだ。平林氏は「野球もサッカーも、審判がやっていることはラグビーと同じ。でも、協会の考え方が違う。ラグビーは協会が守ってくれる」と指摘する。 歴史的な土壌があるとはいえ、そうした良き伝統がどうやって受け継がれていくのか。それは、やはり少年期の教育に起因するようだ。平林氏は5歳の時、宮崎少年ラグビースクールで楕円球と出会った。「僕らの時代のラグビースクールでは、ボールをたたきつけただけで張り手を食らった。トライした後は、次のキッカーに手渡しする。そういった精神を大事にする。審判に文句を言う雰囲気はなかった」と、当時の厳しい指導を振り返った。その平林氏にも中学時代にサッカー部に入った経験がある。好きな選手は、ロベルト・バッジョ。だが、ラグビーとは違い「サッカーでは、先輩やJリーグを見てよく審判に食ってかかったな」と苦笑いした。 また、ラグビーには試合後に風呂や食事をともにする「アフター・マッチ・ファンクション」という慣習もある。「レフェリーと選手は役割が違うだけで、同じゲームをつくる仲間。試合が終われば風呂も一緒に入るし、食事もする。お金がないといっている協会だが、文化のため、そこにはお金を使う。試合のこと、ジャッジのことから世間話もする」。試合以外では敵も味方もないというノーサイドの精神。互いの健闘をたたえ合う。その中から信頼関係も生まれるのだろう。冒頭のコラムの「僕らがレフェリーとうまくコミュニケーションをとれなかった」という主将の発言も十分理解できる。 審判と選手との信頼関係を築く理想的な慣習のように映るが、平林氏は「(アフター・マッチ・ファンクションは)解決法にならないと思う。規律や文化のないところでやったら、選手にレフェリーが付け込まれるだけになってしまう」とのサッカー界での導入には厳しい見方を示した。 共通する審判哲学サッカーとラグビーでは「文化」が違い過ぎるようにみえるが、平林氏が唱える審判哲学には、サッカーにも通じるところがあった。 「ルールのグレーゾーンの部分を判断するのはレフェリーだけ。審判はそこの指針を示す人。多くのメッセージを伝えて、選手自らがグレーゾーンの中まで判断できるようにするのが優れたレフェリーだ」 「見方によっては間違いと思われる場面もある。2、3つの反則が同時に起きたとき、1つを抜き出す。客観性を持ってみんなが一番納得できる反則をとる技術が一流のレフェリー。厳密にやれば、試合の中で100ぐらい反則は取れる。でもゲーム、プレーへの影響度を考えてやっている」 そして、平林氏が試合前にいつも、両チームの主将に声をかける言葉がある。「ゲームはキャプテン同士がマネジメントすること。でもコントロールできなくなったら介入するよ」と。これらの信念はサッカーの主審にも共通していえることだろう。ルール通りに笛を吹くのは難しくはない。試合の流れを止めず、見逃すわけにはいかないファウルだけを抽出する確かな目が必要なのだ。そこで、11枚のイエローカードが飛び交い、3選手が退場した3月1日のゼロックススーパーカップに話が及んだ。「(選手、観客)みんなにストレスを与えてしまった」。これが主審を務めた家本氏に対する平林氏のシビアな評価だ。 だが、家本主審だけの責任ではないことを強調した。家本主審が、06年に「メンタリティーが病んでおり、判定に影響している」と審判委員会から1カ月間の研修を受けた経緯も含め、「自分が家本さんの立場だったら(ゼロックススーパーカップを担当するのは)厳しい」と語った。同大会は、ドイツW杯の3位決定戦で主審を務めた上川氏でさえ、00年には9枚の警告を出すなどゲームコントロールの難しい試合なのだ。 「ゼロックスは、シーズン開幕の難しい試合。そこに家本さんを当てたのは(協会が)優しくない。ハイリスクで大きな試合は気をつけないと」と厳しく指摘した。何かと批判されやすいレフェリーという職業。協会には最大限の配慮が必要と力説した。 不可欠なバックアップ体制「ゲームより審判が取り上げられてしまっては、審判にあこがれる人も出てこない」。審判への批判が目立つサッカー界の現状に、平林氏がため息混じりに漏らした。同じルーツを持つラグビーとサッカーでは、確かに文化も競技の性質も違う。だが、サッカー界もラグビーから多くのことを学べるはずだ。ラグビーのように選手とレフェリーが互いに尊重し、互いをゲームをつくる仲間と感じられるように、幼少期から徹底した教育をするのは少々現実離れした理想かもしれない。しかし、まず第一歩として、レフェリーの能力を最大限に引き出すように、サッカー協会がバックアップ体制を整えることは、すぐにでも手を打てる現実的な方策だろう。安心してレフェリングに集中できる環境を整える。それが審判への批判を和らげ、そして結果的にはレフェリー自身の成長を手助けし、さらには若者たちが職業として審判を目指すことにもつながっていくはずだ。
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