『服従の心理』 スタンレー・ミルグラム著、山形浩生訳、河出書房新社、3200円(税抜き)
先日テレビを見ていると、食肉偽装の会社の元幹部が顔をだして、告発までの経緯を語っていた。会社はなくなり、世間の非難を浴び、親戚縁者から縁切りされ、妻とも別れ、生まれ故郷に戻ってひとり暮らしをしているという。
百貨店に勤めていた彼は定年後、問題の食肉会社の社長に請われて転職。営業に精力を傾け、業績は日に日に向上した。ここまではよかったのだが、社長はワンマンで、腐臭のする肉を消毒して混ぜたり、うさぎの肉を豚と偽ったりの裏ワザを用いて、利益をだすうまみを覚えてからはその道をまっしぐらだったらしい。
元幹部氏は、工場での偽装に気づいて、悩んだという。監督官庁を訪ね、自社の食品に問題があるから調べてほしいと申し出たこともあったが、役人は「匿名」を理由に動こうとはしなかった。会社は当時、低迷を続ける北海道の産業界の中では、希望の星のひとつにあげられていたことも関係していたのだろう。
新聞のスクープによって事件は発覚するのだが、告発者となった彼は同時に、仲間を売った裏切りもの扱いを受け、顔を隠すことなくマスコミにも出たことで、家庭は崩壊する。その様子を、再現フィルムを交え、淡々と語っていた。
番組のゲストコメンテーターたちから貰い泣きや同情が寄せられるなか、ひとりのゲストは厳しい口調で、こう問い詰めた。
「告発の前に、社長に直接、問いただそうとしたんですか?」
彼は黙っていた。
「幹部だったのに、なぜ社長に意見ができなかったのか。そのことが問題だ」
レストランチェーンのオーナーだというゲストの詰問に、彼は涙をためた目を伏せもせず唇を結んでいた。
社長に意見をしても聞き入れるようなタイプではないと言うのが精一杯。言外に、意見するのは、会社を辞める覚悟をともなうことが含まれていた。だから言えなかった。
だったら同罪ではないかとの指摘は間違ってはいないが、同じ状況に置かれたとき、自分ならどうしただろうか。
ワタシは、指弾したゲストほどには自信をもてなかった。
長い前置きになったが、そんなことを考えているときに、この本に出会ったのはショッキングだった。
良心を試す「アイヒマン実験」
人は、良心に反する命令に服従するものか。1970年代に「アイヒマン実験」と称され、注目を集めた心理実験記録の新訳版だ。
実験は、アメリカの権威ある大学で行われた。公募に応じた一般の協力者が「学習者」と「被験者」に別れ、「学習能力の向上と懲罰との関係性」を探る試験を行う。実験室にいるのは、基本的には「被験者」と実験の監視をする「実験者」、そして壁を挟んで「学習者」の3人。
「被験者」が出題する問題に、「学習者」が不正解、あるいは答えない場合は、身体に電流を流す。15ボルトから450ボルトまで、電撃は30段階に別れ、間違えるたびにレベルはアップされる。
通電のスイッチを操作するのは「被験者」で、「学習者」が苦痛を訴えても「実験者」は続行を指示する。たとえ学習者が「苦悶の絶叫」をあげようとも、実験者は「この電撃は後遺症を残さない」と、被験者のためらいを一蹴する。
300ボルトに達すると学習者は壁を叩き、激しく抗議するが、315ボルトを超えると反応がなくなる。
「ええい、もうこんなのやってられないよ、いやこれってよくないですよ」
「中で叩いている。オレ、ケツまくるわ。続けたいけどさ、人にそんなことできないって。あの人の心臓がダメになっちゃうよ」
被験者たちはその都度、実験者に確認したりしながら、戸惑いを見せる。しかし、一回目の実験では、40人中26人が最後までスイッチを押したという。