【破邪顕正】創価教義検証館
【宗教法人創価学会の教義を検証する】
創価教義の検証と破折
〜破門独立後の池田名誉会長による独自の法義解説を破す〜
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《管理人=やまさん40@山下 (法華講員)》
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− 第二回 −
1・「凡夫こそ本仏」の大宣言を破すA
・邪説の文証を挙げる
法華経の智慧 〜二十一世紀の宗教を語る 第五巻 (池田大作著/聖教新聞社 1999.9/20刊)
如来神力品@ 地涌の菩薩への「付嘱」―― 広宣流布への荘厳な儀式
全民衆よ!汝自身の尊貴さに目覚めよ!
「凡夫こそ本仏」の大宣言 (P171〜)
(P172〜)
名誉会長(池田大作創価学会名誉会長) 「凡夫でしかない」 ――
そういう言い方は、とんでもない間違いです。
そういう錯覚の黒雲を、大いなる涼風で吹き払ったのが法華経です。「凡夫でしかない」どころか「凡夫こそ仏なのだ」と。「人間こそが最高に尊貴なのだ」と。
この「法華経の心」を究極まで表現されたのが日蓮大聖人の次の御言葉です。
『凡夫は体の三身にして本仏ぞかし、仏は用の三身にして迹仏なり、
然れば釈迦仏は我れ等衆生のためには主師親の三徳を備え給うと思ひしに、さにては候はず返って仏に三徳をかふらせ奉るは凡夫なり』 (全集P1358)
『本仏と云うは凡夫なり迹仏と云ふは仏なり』 (同P1359)
まさに「それまでの仏法がひっくり返ってしまった」御言葉です。凡夫が「本仏」、仏はその“影”である「迹仏」にすぎないと言われるのだから。
“仏があって凡夫がある”と思っていたら、そうではなく、“凡夫があって仏がある”のだと。
仏法だけでなく、全宗教史上、驚天動地の宣言です。
どんな宗教でも、神仏などの「絶対なる存在」が上、人間はその下と考えるのが通例です。それを否定して、絶対者と思われている神仏は、
実は凡夫=人間の「影」であり、「用(働き)」であり、「人間のための手段」にすぎない ――こんな宣言は他にありません。
まさに「人間のための宗教」の大宣言なのです。
歴史上、「人間のため」のはずの宗教が、いつのまにか「権威のため」の宗教に変貌してきた。その思想的な根っこは「神仏が上、人間が下」としたところにある。
そう言えるのではないだろうか。
須田(須田晴夫副教学部長・墨田区副区長) 聖職者が、「ふつうの人間よりも上」とされてしまう構造も、そこから生まれると思います。
神仏が人間よりも「上」にいるから、神仏の「そば」にいるはずの聖職者は、一般の信徒より「上」にいるように錯覚いてしまう。
斉藤(斉藤克司教学部長・副会長) その意味では、大聖人の仏法では、本来「出家が上、在家が下」などという発想が出てくるはずがありません。
名誉会長 それはそうだが、「思想」と言っても、すべて「人」で決まる。
日蓮大聖人の仏法といえども、「人」が師弟の心を忘れれば、「人間のため」どころか、「人間抑圧のため」に使われてしまう。それは皆がよく知っている通りだ。
ともあれ、大聖人の御言葉が、全宗教史上、画期的な宣言であることは、いくら強調してもしきれない。仰ぎ見る対象であった「仏」が「迹」にすぎないというのだから ――。
では、なぜ、そう言えるのか ――。じつは、ここに神力品の“急所”もある。
釈尊から「地涌の菩薩」への「付嘱」とは、「凡夫こそが本仏」という意義を含んだ儀式なのです。
しかし、あまり先走っても、皆よくわからないから(笑い)、段階を追って、学んでいこう。
・創価学会の教義を検証する
前回に続いて、[法華経の智慧] 〜二十一世紀の宗教を語る 第5巻から如来神力品@より、「凡夫こそ仏」の大宣言 を俎上に挙げる。
この対談講座集・第5巻の中で池田名誉会長と教学部幹部は、「如来神力品第二十一」における釈尊から地涌の菩薩への付嘱を題材にとって、
仏と九界の衆生との垣根を取り払い、「凡夫でしかない」という従属的な信仰的立場から、
「凡夫こそ仏なのだ」「人間こそが最高に尊貴なのだ」という主体的な信仰への変革こそが法華経の心 であるとしている。
池田名誉会長は、その文証として日蓮大聖人御書全集から『諸法実相抄』の 『凡夫は体の三身にして本仏ぞかし、仏は用の三身にして迹仏なり、
然れば釈迦仏は我れ等衆生のためには主師親の三徳を備え給うと思ひしに、さにては候はず返って仏に三徳をかふらせ奉るは凡夫なり』(全集P1358)
同じく、『本仏と云うは凡夫なり迹仏と云ふは仏なり』(全集P1359) を、その究極の表現として挙げ、
「信仰実践者である衆生・凡夫こそ本仏であり、教えを説く仏は衆生の影(迹)の役割となる。
であるから、仏は我等衆生にとって主師親三徳を備えているのではなく、実は我等衆生が主師親三徳を被らせることによって仏を尊貴たらしめているのである。」
「凡夫こそ本仏。仏は迹仏にすぎない。」
という、まさに「仏法だけでなく、全宗教史上、驚天動地の宣言」であると宣揚している。
さらに、「絶対者と思われている神仏は、 実は凡夫=人間の影であり、用(働き)であり、人間のための手段にすぎない」として「人間のための宗教」の大宣言であるとし、
「人間が上、神仏が下」とする創価学会独自の法義解釈を展開した上で、「仰ぎ見る対象であった仏が迹にすぎない」 と強調し、
その根拠として神力品の付嘱を挙げている。
・創価教義の妄説を破折する
池田名誉会長独自の法義解釈は、【凡夫至上主義】 とも 【凡夫本仏論】 とも呼べるものであろう。
創価学会員は「大聖人直結」「御書根本」を自己正当化の口実にする。余談になるが直結は自動車泥棒の古典的な手段であり、御書は他の日蓮宗も所依としている。
ここで池田氏は『諸法実相抄』の御文を挙げて自論の根拠としているが、今回は御書に短絡直結した盗用の手口と悪訳を破していく。
『諸法実相抄』(平新P665)の
『凡夫は体の三身にして本仏ぞかし、仏は用の三身にして迹仏なり。
然れば釈迦仏は我等衆生のためには主師親の三徳を備へ給ふと思ひしにさにては候はず、返って仏に三徳をかぶ(被)らせ奉るは凡夫なり。
其の故は如来と云ふは天台の釈に「如来とは十方三世の諸仏・二仏・三仏・本仏・迹仏の通号なり」と判じ給へり。
此の釈に本仏と云ふは凡夫なり、迹仏と云ふは仏なり。』
の御文について、池田名誉会長は 「驚天動地」「凡夫こそ本仏の大宣言」 だとして我田引水な曲解をぶちあげているのが、これは『四菩薩造立抄』に
『私ならざる法門を僻案せん人は、偏(ひとえ)に天魔波旬の其の身に入り替はりて、人をして自身ともに無間大城に墜つべきにて候。つたなしつたなし』
(平新P1370) と制誡された計我謗法(自分自身の執着による我見をもって仏法を計ること)であり、御書の盗用・御聖意の悪用である。
池田氏は 「仏に主師親の三徳を与えているのは凡夫(衆生)である」 「凡夫・凡俗こそ本仏であり、聖者・仏は迹仏にすぎない」 とした
【俗本仏迹論】ともいうべき謬見と錯誤を解説しているが、
貪(貪欲・とんよく)瞋恚(瞋恚・しんに)癡(愚癡・ぐち)の三毒充満の荒凡夫が、覚者である仏に主・師・親の三徳を被らせているというのだから、
「驚天動地の宣言」 と言うよりも 「天地顚倒(てんちてんどう)の妄言」 といった方が適切であろう。即身即仏を説く仏教各派にも過ぎる僻見である。
宗祖日蓮大聖人は『観心本尊抄』の中で、 『今末法の初め、小を以て大を打ち権を以て実を破し、東西共に之を失し天地顚倒せり。』(平新P660)と仰られているが、
「それまでの仏法がひっくり返ってしまった」 などと天に唾する愚か者の大言壮語には、ただ呆れ返るばかりである。
また、『御講聞書』の『等雨法雨の事』(平新P1841)には、
『等とは平等の事なり。善人・悪人・二乗・闡提・正見・邪見等の者にも、妙法の雨を惜しまず、平等にふらすと云ふ事なり。』
との御聖訓があるが、天地顚倒した悩乱者の頭を妙法の雨が濡らすことはない。大慢心にそっくり返って、頭と足とがひっくり返ってしまっているからである。
日蓮大聖人は『就註法華経口伝』(御義口伝)の『寿量品二十七箇の大事 第八 擣簁和合 与子令服の事』に、
『されば妙法の大良薬を服する者は貪瞋癡の三毒の煩悩の病患(びょうげん)を除くなり。』(平新P1768)と仰せであり、
貪瞋痴三毒の悪重病を治療する方途は、 『此の時地涌の菩薩始めて世に出現し、但妙法蓮華経の五字を以て幼稚に服せしむ。』(観心本尊抄・平新P660)と、
末法出現の御本仏日蓮大聖人が御建立あそばされた三大秘法の南無妙法蓮華経の大良薬を、信をもって服する以外にはないのである。
また、斉藤教学部長の言う 「大聖人の仏法では、本来
”出家が上、在家が下” などという発想が出てくるはずがありません。」 についてだが、
「日興遺誡置文」から弟子と檀那の筋目を記した二十四条を示しておく。「一、若輩たりと雖も高位の檀那より末座に居くべからざる事。」(平新P1885)
大聖人様も 『例せば儒家の本師たる孔子・老子等の三聖は仏の御使ひとして漢土に遣はされて、内典の初門に礼楽の文を諸人に教へたり。』
(下山御消息・平新P1138) と御教示のように、仏道もまた礼に始まるものなのである。
てん どう せつ き
・御聖意を拝し、顛倒説の根を伐る
『諸法実相抄』に曰く 『凡夫は体の三身にして本仏ぞかし、仏は用の三身にして迹仏なり。』(平新P666)
この御文は、無作三身・示同凡夫のお姿である御本仏日蓮大聖人ご自身と、三十二相八十種好の方便を体する色相荘厳の釈迦仏とを相対された御言葉であり、
日蓮大聖人(即 久遠元初自受用報身仏)に対すれば、久遠実成の釈迦仏は用の仏・迹仏であることを明かされている重要な御文です。
『就註法華経口伝』(御義口伝)『常不軽品三十箇の大事 第十三』にも 『末法の仏とは凡夫なり、凡夫僧なり』(平新P1779)との御妙判がありますが、
末法の本未有善・三毒強盛の衆生を教化するためには、色相荘厳の方便仏では化導の力が及ばず、示同凡夫の本仏でなければならないからです。
総本山第26世日寛上人は「文底秘沈抄」に、
「若し外用(げゆう)の浅近に拠(よ)れば上行の再誕日蓮なり。若し内証の深秘に拠れば本地自受用の再誕日蓮なり。
故に知んぬ、本地は自受用身、垂迹は上行菩薩、顕本は日蓮なり」(六巻抄P49)
と御指南されています。日蓮大聖人の御内証は久遠元初自受用報身如来の再誕であり、法華経の経文上に現れた上行菩薩は仮りの姿であって、
久遠元初自受用報身仏(即 御本仏日蓮大聖人)が仏法の付嘱の上から、過去に上行菩薩として御出現あそばされたのである、という御指南です。
『然れば釈迦仏は我等衆生のためには主師親の三徳を備へ給ふと思ひしにさにては候はず、返って仏に三徳をかぶらせ奉るは凡夫なり。』(平新P666)
ですから、釈迦仏は我等末法の衆生にとっても主師親三徳を備えていると思うのが仏教の常識であるが、そうではない。
真実には、釈迦仏を成道に導き三徳を被らしめたのは久遠元初無作三身の仏なのである。 との御指南です。
ここで大聖人様の仰る『凡夫』『衆生』の語には、総じて『日蓮が弟子檀那』『日蓮等の類』(就註法華経口伝などに曰く) と一門全体に亘る義を含んでいますが、
池田氏は 「“仏があって凡夫がある” と思っていたら、そうではなく、 “凡夫があって仏がある” のだ」 として、
『凡夫』の語の核となる 『末法の仏とは凡夫なり、凡夫僧なり』 の別しての義を故意に無視して、凡夫を(仏に対する)衆生のみにあてはめ、
宗祖日蓮大聖人をも迹仏として貶めています。これでは御本仏日蓮大聖人を”大菩薩”と呼称する身延等と同類であり、
『種種御振舞御書』(平新P1066)の 『かゝる日蓮を用ひぬるともあしくうやまはゞ国亡ぶべし。』 との誡めに背く謀反者の戯言、亡国の一凶であります。
(更に言及すれば、創価学会は釈迦仏をも侮蔑していますから身延以上の大謗法とも言えます。)
『本仏と云ふは凡夫なり、迹仏と云ふは仏なり。』(平新P666)
池田氏が「凡夫こそ本仏」の結論としているこの一節は先程の『返って仏に三徳をかぶらせ奉るは凡夫なり。』の後に続く一節の一部分で、
『其の故は如来と云ふは天台の釈に「如来とは十方三世の諸仏・二仏・三仏・本仏・迹仏の通号なり」と判じ給へり。
此の釈に本仏と云ふは凡夫なり、迹仏と云ふは仏なり。』
と、仏の総別・本迹を論じた法華文句の釈を引かれて、本仏とは凡夫僧・日蓮であり、釈迦仏は迹仏である。と、仏の中における差別・勝劣を示された御妙判です。
そもそも、「凡夫が本仏、仏はその “影” である迹仏にすぎない」 のならば創価学会という宗教は、
「本仏(学会員)が、迹仏(日蓮)の教えによって成仏を目指す」 という矛盾した信仰になるのではないでしょうか?まるで、影に体が随うというような世迷い言です。
このように相伝の仏法に随って御聖意を正直に拝するならば、諸法実相抄の御文は 「凡夫こそ仏」の大宣言 などという顚倒・倒錯した妄説の依文とはなり得ない。
つまり、池田名誉会長の放埓尊大なる自論 「凡夫こそ仏」の大宣言 は、証拠なき口から出任せの妄言に過ぎず、『真言天台勝劣事』に、
『然る間法華は真言より三重の劣と釈し給へるが大なる僻事(ひがごと)なり。謗法に成りぬと覚ゆ。
次に覚鑁(かくばん)の法華は真言の履(はきもの)取りに及ばずと舎利講の式に書かれたるは舌に任せたる言なり。証拠無き故に専ら謗法なるべし。』
(平新P447)と弾劾破折されるように、法盗人真言宗の弘法が構えた下克上の暴論の如くでありましょう。
池田氏はこの後、信仰の対境である本尊にも言及し、
「ともあれ、大聖人の御言葉が、全宗教史上、画期的な宣言であることは、いくら強調してもしきれない。仰ぎ見る対象であった ”仏” が ”迹” にすぎないというのだから」
として、かつては信仰帰命の対象であった御本尊すらも 「迹にすぎない」 と放言する。
そして、「じつは、ここに神力品の “急所” もある。」 として対談を奈落の淵へと進めて行く。
次回は創価学会完全独立への重要な段階 【脱・日蓮本仏論】 を明らかにしていく。
H19.2/18
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