この世界で「やっていけてるな」と思ったのは40歳を過ぎてからかなあ。不安よりもやりがいのほうが大きくなったっていうかね。そのころから自分の色ができた気がしますね。番組で言うと「F1グランプリ」のオープニングのナレーションをやったあたりからかな。
F1の仕事は自分で探したり売り込んだわけじゃなくて、フジテレビのプロデューサーから依頼が来たんです。ちょうど前任者の城達也(※1)さんが仕事が続けられなくなって後任者を探していたらしいんですよね。番組のプロデューサーと僕の所属していた事務所も何のつながりもなかった。これも縁・出会いなんですよね。
※1 城達也──テレビ、ラジオ等で絶大な人気を誇った名ナレーター。代表作はラジオ「ジェットストリーム」(初代パーソナリティ)、テレビ「F1グランプリ総集編」、吹き替え「グレゴリー・ペック」「ロバート・ワグナー」。1995年食道がんのため65歳でこの世を去った。2008年3月に発表された「第二回声優アワード」で特別功労賞を受賞。受賞理由は「グレゴリー・ベックやロバート・ワグナー等の外画の吹き替えなどで絶大な人気を集めた。アニメ作品では「忍風カムイ外伝」「妖怪人間ベム」などのナレーションを担当。ラジオ番組「ジェットストリーム」の初代パーソナリティとして、その美しく心安らぐ声で、多くの人を魅了した」
だけどあの城達也さんの後任ですからね、そりゃあプレッシャーでしたよ。僕にとって城さんは大先輩で本当にあこがれの人だったから。クリスタルボイスといわれるようなとてもきれいな声で、品があって、かっこよくて、二枚目で。その城さんの後にやるんだからどうしようと。とても城さんのマネはできないし。
だからやっぱり荷が重いなと思いましたが、最後はもう開き直るしかなかった。「一所懸命やってダメならいいじゃないか」「ベストを尽くしたら後はテレビ局が判断してくれればいいよ」って。
そうやって覚悟を決めて頑張っていたら段々自分の色が出せてきて、格調高い原稿を読みながら「なんて心地いいんだろう。気持ちいいんだろう」って思えるようになりました。そして「俺がやりたかったのはこれだよな」とまで思いました。このF1の仕事が自分に自信がもてるきっかけになったのは確かですね。いわゆる一皮向ける仕事というやつですよ。だからF1のオープニングナレーションは僕にとっては大きかったですね。局のスタッフや視聴者にも好評をいただいて、いまだに年末年始のF1総集編のナレーションを担当させてもらっています。
それから少し経って、同じフジテレビから「ツール・ド・フランス」のナレーションの依頼が来ました。深夜放送だから視聴者の数は限られるのですが、コアなファンの人が「窪田のナレーション、いいね」と言ってくれて。うれしかったですね。
そして1998年に「情熱大陸」がスタートするとき、毎日放送からナレーションのオファーが来たんです。そもそもは「情熱大陸」のプロデューサーがF1好きで、僕のナレーションを聞いていた。それで「1年間だけ窪田をナレーターとして使ってみたい」と思ったらしいんですよ。F1やツール・ド・フランスのような緊張感のある世界で仕事ができたことが、「情熱大陸」へとつながっていった、そしてそれが10年経った今も続いているわけです。 |