高校3年生のときに、飛行機の整備士になりたいという思いは固まっていたので、日本航空の入社試験を受けました。ところが僕の人生ってダメ出しの人生で。身体検査の結果、腎臓から蛋白が検出されたんです。腎臓の病気の恐れがある、これは大変だと、すぐ入院させられたんです。それで日本航空はダメになった。しかも、入院中に全日空の応募期間も終わってしまった。僕の人生そんなもんかとかなり落ち込みましたね。学科や実技で落ちるならともかく、身体検査ですから。挑戦すらできないわけですからね。
しかも、20日間入院したのですが、そのときの細胞検査などでは尿蛋白は検出されていたのですが、腎臓は悪くなかったんですよ。そのうちに「普通に生活していけば生きていけるでしょう」と言われて退院させられました。入った病院が悪かったのかどうかわからないですけどね(笑)。
退院後、学校の先生から、「富士通って会社があるから受けてみたらどうだ?」と言われました。どんな会社かあまりよく分からなかったけれど、他にやりたいこともないし、このままでは行くところがないので受けたら受かっちゃって。それに入ってみたらすごくでかい会社で。やっぱり富士通ってすごく社員がいるわけですね。何千人レベルですから。すごいなあと。
入社後、どういう職種を選びたいか聞かれました。設計、調整、製造の中で何をやりたいかと。そのとき調整がいいなあと思ったんです。図々しくも出張が多そうだなと思って(笑)。調整は日本全国各地、あるいは海外へ飛び回って無線装置の調整をする仕事なんです。
それで希望を出したら通って調整ができる試験課に配属されました。でもまあ……やっぱりいろんなところへ行けて楽しいそうだなという甘い考えはいきなり吹き飛びましたね。
配属が決まってほんの少し教育期間があっただけで、すぐに現場に出されたんですよ。まだ業務のことがよくわかっていないのに。山と山にアンテナ立てて、テレビ回線や電話回線を通すために、先輩とふたりで2箇所に別れて、それぞれの無線装置の調整作業をするわけです。もう不安でねえ。故障をしたらひとりで対処できるかと。「世間ってこういうものか、会社ってこういうものか」って衝撃を受けましたね。でも始めたばかりで逃げるわけにはいかないので「なんとかやらなきゃいけないよな」という思いでやってました。厳しいけどなんとかなるだろうと思いながらね。
そしたら本当になんとかなるんですよね。まあ働くこと自体嫌いじゃないし。少しずつ仕事を覚えていって慣れていったら、おもしろく感じるようになってきました。 |