これまでの貯金や思いをすべて出し切ったこともあり、二度と監督をすることはないだろうと思って作った『CLOSING TIME』が、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭でグランプリ受賞したときは、本当にうれしかったですね。このときほど映画を作っててよかったと思ったことはなかった。ボクの人生を決定づけた一作です。
でもその直後、映画なんか作らなければよかったと後悔しました。映画を作ったとたん、テレビのシナリオの仕事がぱったり来なくなってしまったのです。シナリオの仕事は生活の糧でしたから、きつかったですね。
肝心の賞を獲った映画の方でも、配給などで苦労しました。どこの配給会社も作品の良さは認めてくれたのですが、宣伝費もロクにない映画はなかなか劇場にかからず、その辺が大変でした。幸いテアトル新宿が、レイトでの公開に踏み切ってくれたので、作品ができてから、一年半後に公開にこぎつけました。
また、映画業界からのバッシングにもあいました。1000万円足らずの資金で、それも映画会社とは何の関係もない素人が自費で作った映画がグランプリを獲ったのだから、今思えば当然ですね。出る杭は打たれるということです。
ぐずぐずしてると潰されるか、映画を撮れなくさせられるという危機感を感じていました。だからデビュー作で描きたいことは全部吐き出して、もう何もない状態でしたが、とにかく一日でも早く2作目を作らねばと思い、動き出しました。
第2作の『海賊版=BOOTLEG FILM』を撮ったときが、経済的には一番苦しかったですね。なにしろさらに有り金はたいて作ってしまったので。予算オーバーで預金が5ケタから4ケタに減って、家賃の支払いにも四苦八苦してました。続く3作目の『歩く、人』も同様です。でもなにも考えずにただ突っ走っているわけではありません。
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