その後は警視庁クラブに配属。生活経済、少年犯罪などを扱う生活安全部担当を命じられ、捜査員宅を早朝や深夜に回り、ネタを収集して記事を書く日々。これも1年間務めました。
記者になってからは、モーレツに働きました。それこそ土日なんてあったもんじゃなく、月の残業時間は200時間に迫ることもざらでした。とにかく早く仕事を覚えたい。新卒から7年間ずっと記者をやってた人と私とじゃ、原稿を書くスピードも取材力も雲泥の差があった。それを埋めるために必死でやりました。
何よりアナウンサーでダメ、記者でもダメだったら、もうどうしようもない人間になってしまいます。だから、とにかくここで早く使える人間にならなきゃという切羽詰った気持ちでいました。
体力的にはきつかったのですが、目標があったし、修行の身なので精神的には苦にはなりませんでした。また日々やり方を覚え、原稿を書くスピードも次第に早くなっていく。そんな成長している手ごたえを感じていましたから。
それに、記者という仕事は、スクープやヌキ(※)といった分かりやすい形で成果を上げられることもよかったですね。アナウンサーのときの成果、評価って、画面写りだとか、人気度とか。そんなことで評価されても私にとってはつまらなくて、報道の中身、つまり原稿やできたもので評価されるのがうれしかったんです。
(※編集部注 ヌキ=多くのメディアが注目し、追いかけるようなニュースをどこよりも早く報道すること)
もちろん、いいことばかりではなく、気が重くなるような仕事もありました。例えば、事件の被害者、加害者の顔写真の収集。関係者に写真をくださいと頼みに行ったところ、激しくののしられたりもしました。そんなときは果たして本当に顔写真は必要なのだろうか? と悩みました。でも、いちいち立ち止まっていたら仕事になりません。葛藤している場合じゃなかった。これはやらなきゃいけない仕事だと割り切ってやっていました。嫌だといってやらなかったら単なるわがまま。仕事のできない、単に「使えない人」になってしまいますから。それだけは避けたかった。私には大きな目標がありましたから。
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