きっかけは私の実力以上に大きな仕事が来てしまったことです。例えばスペシャル番組の司会。そういう場では大勢のゲストを仕切らなきゃいけないわけですよね。それが私にはできませんでした。元々人当たりもしゃべりも、そして仕切りもうまい方ではなかったので。そこで、アナウンサーってこういう仕事だったんだと初めて気がついたんです。「しまった。これは苦手な商売に来てしまったぞ」と思っていました。
トチるし、トンチンカンなことをいうし、司会としてはダメダメでした。それでも「DORA」で顔が売れていた分、バラエティの司会には途切れることなく声がかかりました。さらに当時、平行して深夜のニュース番組『きょうの出来事』でお天気コーナーも担当していたのですが、そこでもミスを連発して、たびたびお天気コーナーが台無しになることもありました。
やはりアナウンサーとしての力が全然付いていなかったんですね。もちろん私なりに努力して、司会として、お天気キャスターとしてうまくしゃべろうと頑張りました。でもなかなかうまくはなりませんでした。努力すればできるというものではなかったのです。
頑張っても頑張ってもミスの連続。だから毎日、つらくて苦しくて……。現実逃避から、毎日お酒を浴びるように飲んでました。ほとんど依存症に近い状態だったと思います。
決定打となったのが、あるバラエティの特番での香港ロケ。ゲストに大物タレントさんがいたのですが、私の度重なるミスで「よくそれでアナウンサーやってるな」というキツい言葉を浴びせられたのです。そこをうまくかわしてこそのバラエティなのですが、それをいちいち真に受けて萎縮して、またミスをするの悪循環……。それまでに蓄積されていたものがそこで爆発したというか、パニック状態になってしまって。帰国したときには完全に壊れていました。ある種の適応障害だったのかもしれませんね。
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