映画化されるムンバイ同時テロ インド同時テロが起こってからもう3週間近く立つと思うが、私はしばらく経った後、漠然にも「ああ、こういうのがまた映画化されるのだな」と思っていた。それは否定的でも肯定的にも、私は思っていた。
しかし、今日になってBBCのニュースをたまたま見ているとこんな記事を見た。''Mumbai on film; bad taste or true drama?''、「悪い風潮かそれとも本当のドラマを作ろうとしているのか? ムンバイの映画に関して」ともので、最初はこんなことが書いてあった。
「タジのテロ」「タジからオベロイへ」「タジの48時間」「5つ星ホテルでの作戦」「11月26日 ムンバイはテロに襲われた」「オベロイの銃撃戦」「サイクロン作戦」
ニュースのタイトルのようだが、これが全部映画のタイトルで現在20ぐらいの映画のタイトルの許可申請待ちだという。
記事の中で、よく知られているドキュメンタリー映画の監督であるアナンド・パトワルダン(Anand Patwardhan)は「こういうのはいつもある。人々は悲劇を乗り越えて、救急車をあたかも追いかけているようだ」(これはたぶん、悲劇があった後の救急車をあたかも車で追いかけて撮っているみたいな意味だと思う)「この中のいくつかの映画の監督は誠実かもしれない。映画は慎重に扱ってありのままに描くべきだ。もしこの映画が暴力や地域社会の憎しみ、つまり暴力の原因であるものを減らしてくれるのであれば、それらは作られるべきだし、社会にもいいだろう」
「しかし、この映画を作るということは、その試みは人々の不幸を食い物にしているということだ」
この監督はそう危機感を表していた。
私が覚えている限りは「ホテルルワンダ」や「ブラッド・ダイヤモンド」が映画化された頃から、ハリウッドがアフリカの悲劇をエンターテイメント化している、というような話を聞いていた。しかし、私はそれは表現されるべきものだし、映画化されるべきなのではないのか、と思っていた。
しかし、インドでこの映画ができるというのはどうだろう。イスラム教徒の感情を変に高ぶらせないように、またその背後にあるものまで撮ることができればいいとは思うが、果たしてインドでそれができるのだろうか。私はヒンドゥー後はまったくできないが、インドにいたときにテロがあり、そのときの報道の仕方は非常にインドのイスラム教徒のイメージをワイドショー的に扱い、変に怖く映らせているものだった。そのような映画ができなければいいのだが、と私は思う。
コメント一覧
1. すりじゃ〜 December 14, 2008 16:54
インドでは、確か、映画における政治的表現は禁止されている筈。だから「踊るマハラジャ」みたいな毒にも薬にもならない暇ツブシ作品ばかりが制作される・・・らしい。
だから、ムンバイテロのドキュメント映像を、インド人の手で創ったとしても、インド政府の公式発表にトコトン準拠した内容になるだろうし・・・そうでなければ「外国人に見せてもいい」テロ当時の騒ぎを切り張りした、ダラダラと退屈なシロモノになるだろう。
最近、レッドなんとか(題名も忘れた)っていうインド製の戦争映画を借りてきて観たんだが・・・最後まで観るのに大変な努力が必要だったよ。
うん。
マサラ映画の一本や二本では、大衆は動かない。
2. 数吉 December 14, 2008 22:26
現実を映画化することは大切な働きであり大切な働きは清い利潤を生む。
大いに映画化するべきである。映画化発案から多い名調査が始まり真実が解明されていく。映画がジャーナリズムになっていくのである。その最先端に立てるのはイラクで死の間際にいた君なのだ!
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