革命的非モテ同盟 このページをアンテナに追加 RSSフィード

KAMPANIA Vol.1 12/30 コミケ75 三日目 西な12b

2008-12-14

火力の歴史的発展と現代のRMA―間接アプローチを超えて―2

補遺

火力の歴史的発展と現代のRMA―間接アプローチを超えて―1 - 革命的非モテ同盟の続き

ゲリラ戦争の登場とRMA

毛沢東の理論とアルカイダ

前章では第一次世界大戦におけるエポックメイキングを論じた。間接、直接、阻止、支援と四つに抽象化された火力と散兵を一般化した浸透戦術、そしてそれを有機的に結合する訓令式統帥法に始まる現代的統帥法という思考が確立しここに現代戦の基礎が出来上がった。これらの現代的な戦争様式の特徴をベイリーは以下のようにまとめている。

a 戦域が拡大し、完全に立体化された戦闘である。

b 迅速性――軍事活動における相対的速度という意味での――そして同時性という点で時間が最も重要である。時間と空間における速度と兵器の組み合わせは、敵の意思決定能力を凌ぎ、荷重負担を与える。

c 情報は目標設定および機動の鍵である。

d 利用出来る兵器類は陸上戦等が別々に起きても、同時に起きても、敵の所在場所のいたるところで重要度の高い目標に対して正確に射撃が可能である。

e 指揮官たちは、特定の効果を達成するために火力量の適用を調整することができる。

f 指揮・統制・通信システムと右記の特性を融合させるような指揮方法は、敵の団結と意志を決定的に破壊し破滅させることができる。*1

前章の最後で触れたように、第一次大戦に生まれた諸概念がベイリーがまとめたような現代的立体的作戦の基礎となっていることは明白である。そのような意味でこれらの思考は成功しているのであり、現代的な戦争を思想的に統べているのである。

しかし、このように一定の成果を見た現代的な戦争術に対してRMAという概念が今大きな影響を与えようとしている。現代叫ばれているRMAは情報RMAとも呼ばれ情報化による影響を重要視しているが、これはいかなる影響を与えようというのか。

筆者はこの問題を新たな戦争様式としてゲリラ戦に焦点をあてながら最近の研究を批判的に再検討をしてみたいと思う。今、私達に求められているのは第一次世界大戦に始まった現代的戦争様式を情報によって補強することではなく、RMAの名にふさわしいように革命的に変革することである。

ここで本章では毛沢東の遊撃戦論を検討しゲリラ戦について考え、そして現代の新たな軍事組織とも言えるアルカイダについて考えてみたい。そしてこの第一次世界大戦以降の現代戦を基礎にこれの再検討をしてみたい。

毛沢東の遊撃戦論ではゲリラ戦の重大な戦略思想における概念の整理が簡潔に行われている。それは遊撃戦論の章のタイトルにも用いられているが「主導的に、弾力的に、計画的に、防御戦のなかで進攻戦を、持久戦のなかで即決戦を、内線作戦のなかで外線作戦を実行すること」*2という言葉に代表される。矛盾した言葉が散りばめられ一見すると意味のわからない文章であるように見えるが、矛盾と混乱の真っ只中にある戦場における原則を示すという意味では非常に重要な言葉である。この矛盾する言葉は以下のように解説される。

戦略的防御戦のなかで戦役上、戦闘上の進攻戦をおこない、戦略的持久戦のなかで、戦役上、戦闘上の即決戦をおこない、戦略的内線作戦のなかで戦役上、戦闘上の外線作戦をおこなうことが可能であるし、かつ必要でもあるということである。*3

ゲリラ戦においてそれぞれのゲリラ戦の部隊は小さく、弱い。そして毛沢東の置かれた状況は外国の侵攻軍に対して自国でゲリラ戦を展開するという状況である以上、戦略的には防御的である。また、ゲリラ部隊は総体において正規軍に対して弱いために決戦に訴えることは出来ない以上、それは戦略的には持久戦になるし、また要所と道路を確保した正規軍に対しては内線に位置しなければならないだろう。これらは絶望的と言えば絶望的な状況である。

しかしながら、ゲリラ部隊は分散している。このような状況では敵に対して隠れながら要所で奇襲、襲撃をかけることは容易であるし、隠れなければならない以上、持久ではなく即決の戦いを求めることになるだろう。また、それぞれの道路や町を確保する正規軍に対して周囲の村落や山岳から攻撃をするゲリラは外線的な作戦を用いることになる。このような作戦環境の中で毛沢東は主導権をとって戦闘を行うことを主張したのである。

このような環境下での最も重要な前提はゲリラ部隊が分散しているという点である。ゲリラが分散しているからこそ、個別の局面において優位を発揮するのであって、ゲリラが集結していればそれは正規軍にとって良い目標になってしまう。あっという間に包囲され拘束されて決戦を強要され殲滅されてしまうだろう。問題はこの分散とそして個別の局面での集結である。そして、この分散と集結の問題をこの文章では弾力性という言葉で示している。

弾力的に兵力を使用することは、敵と味方の形勢を逆転して、主導的な立場をかちとるためのもっとも重要な手段であるということを、遊撃戦争の指導者に理解させなければならない。遊撃戦争の特徴にもとづいて、任務および敵情、地形、住民などの条件におうじて兵力の使用を弾力的に変えるべきで、主要な方法は分散的用兵、集中的用兵、および兵力の転進である。*4

この兵力の分散と集中は作戦において主要な問題であると言える。現代にも影響を残す作戦理論の一つであるジョミニ*5の戦争概論においては以下のような主張がされている。

戦争におけるすべての作戦の基礎には、一つの偉大な原理が横たわっている。それはすぐれた計画を立てるに際し、必ずやこれに準拠せねばならぬものであって、以下の原則の中に包含されている。すなわち、

1 軍の主力を戦争舞台の決勝点に、または可能な限り敵の後方連絡線に向け、自己自身と妥協することなく、戦略的移動により、継続的に投入すること。

2 わが兵力の大部を以て、敵の個々部隊と交戦するよう機動(maneuver)をおこなうこと。

3 戦場においては、部隊主力を決勝点か、または打倒することの最重要な敵線の一部に向け投入すること。

4 これら主力は、単に決勝点に向け投入されるだけでなく、しかるべき時期に十分な力で戦えるように措置しておくこと。*6

主力を決勝点に投入することをジョミニは主張したわけだが、その決勝点がどこにあるかを横に置けば、この問題は兵力集中のそして集中の裏側にある分散の問題であると言える。いずれにせよ、戦闘において勝利を得る可能性を高める一番の方法は、その局面において相手よりも優越した戦闘力を投入することである。であればこそ問題は兵力の集中、そして分散の問題となるであろう。

そしてこの問題は前章で取り扱った大モルトケにおいて大きなエポックメイキングを産み出していたことを忘れてはならない。それは分進合撃と呼ばれる作戦であるが、訓令式統帥法はこのために生みだされたといっても過言ではないぐらいに重要な問題である。

ジョミニはこの兵力の集中という問題に対して内線作戦を用いることを作戦線の概念から導いた。対する大モルトケはそれとは正反対に外線作戦から兵力の集中という問題を解き、そして大成功を収めたのである*7

敵戦闘力を撃滅するのには我が戦力を集中しなければならない。しかし「大軍の集結はそれ自体が大失策であり、当然破滅へとつながっていく。一地点に集結した軍の給養は困難であり、宿営は不可能である。行軍も運動もさせることはできない。長期間集結した状態を維持することは絶対にできない。ただ集結した大軍が行えるのは攻撃のみである」とすれば、「運動間は可能な限り分かれて進み、決戦にいたれば適時に集結すること」である。つまり補給の点から分散して行軍し、決定的時機にのみ集結するということ、すなわち大量動員した兵力を、敵の態勢が整う前に迅速に展開し敵に衝撃を与えるのがモルトケの考えた勝利の基礎であり、それには集中のタイミングを図ることと、鉄道の活用がポイントになるのである。*8

この思考が産み出したのが分進合撃であり、普仏戦争におけるセダンの戦いでの勝利である。この鉄道による分進合撃によって突如大兵団が出現するという考えは、遊撃戦論での毛沢東の議論と基本的な意味では変わりない。もちろん、ゲリラ戦を行う側は総体において正規軍に劣るのでセダンであったような集結は出来ないが、しかし小さな勝利を積み重ねる手法にせよ、一回の会戦で決定的な勝利を得る手法にせよ、兵力を求心的に集中させるという意味では何ら変わらないと言える。

モルトケはその分散の理由を補給のためとしたが、毛沢東の場合は以下の理由をあげている。

(一)敵が守勢をとっていて、当面は集中的に攻撃してくる可能性がなく、敵に対して正面からひろく威嚇をくわえるとき。(二)敵の兵力が弱い地区において、いたるところで騒動をひきおこし、破壊をおしすすめるとき。(三)敵の包囲攻撃を打ち破ることができず、目標を小さくして敵からのがれようとするとき。(四)地形もしくは給養の面で制限を受けているとき。(五)広大な地区で、大衆運動を進めるとき。*9

(四)はモルトケの意図とまったく同じである。(一)と(二)は積極的な理由であるが、消極的な敵に対応した抵抗という意味で決定的な意味が薄い。(五)については政治的理由なので軍事上の考慮としては今回外に置く。ここで、筆者はこの中でとくに(三)に注目したい。

何度も言うようにゲリラは正規軍に対して明らかに質的に劣り、場合によっては数的にも劣る場合がある。集中して闘う場合は正規軍が有利になるであろうことは想像に難くない。その意味でゲリラはそのような敵の有利を避けるためにも、つまり正規軍に叩きつぶされないためにも分散をしなければならないのである。

先程引用したジョミニの議論では主力を決勝点に投入することをジョミニは主張していると論じた。では決勝点とは何であろうか。ジョミニはこれを作戦線の概念から導こうとしているが、その思考はやや一面的に過ぎるだろう。しかし確実に言えることは敵の重要な後方地域や弱点となる地点、交通の要衝、そういったところに大きな戦力を投入することは勝利により近づくであろうことである。

ここで現代に大きく影響を与えているリデルハート理論を紹介してこの問題を検討してみよう。リデルハートは戦略において「撹乱」が戦略の目的であり、そのために敵の「最小抵抗線」と「最小予期線」に対して向かっていくことが「間接アプローチ戦略」であるとして、これを戦略の指針として主張した。

このように敵の前線の側面を迂回して敵の背後に向かう運動は、運動の途中で敵の抵抗を回避することだけが目的なのではなく、同時にその結果自体を目的としている。このことをより深く考察すれば「最小抵抗線」を用いるということになる。心理の領域でこれと同義なのは「最小予期線」である。これら二つの概念は同じコインの表と裏であり、この価値を認めることができれば戦略に対する理解も深まるであろう。たとえば、味方が明白な最小抵抗線を選択しようとすれば、直ちにそれは敵に見破られ、この最小抵抗線は、もはや真の最小抵抗線とは呼べないのである。

物質的領域だけを検討し、心理的領域に対する考察を忘れることがあってはならない。この両者が結合された場合のみ、戦略は敵のバランスを撹乱すべく計算された真の「間接アプローチ戦略」(インダイレクト・アプローチ)となり得るのである。*10

この、リデルハートの考えを卑近な言い方で説明してしまえば、敵の弱点を狙えということに他ならない。ここで先程の毛沢東の主張である「(三)敵の包囲攻撃を打ち破ることができず、目標を小さくして敵からのがれようとするとき。」を検討すると、この毛沢東の主張が極めて重要なことを言っているということが理解できる。

つまり、このゲリラが分散し敵の攻撃を逃れるという行為は弱点を無くすという行為であると考えられるのだ。軍隊の弱点を考えてみよう。まず軍隊の最大の弱点は兵站である、陸上部隊は長大な後方連絡線と補給部隊を引きずりながら行動をしている。弾薬と燃料の消費が大きくなった現代の軍隊においてこれを切断されるということはすぐさま命取りとなる。また、リデルハートが「撹乱」を狙った指揮命令系統も大きな弱点である。上級の司令部が突然に壊滅すれば下級部隊は混乱に陥るであろうし、通信線を切断されるだけでも脅威である。総じて言えばこれら後方域に存在する諸々に脅威を受けると地上部隊は「撹乱」され、その戦闘力を大いに減じ場合によっては敗北へ直結するわけである。しかしながら、十分によく分散したゲリラ部隊にこのような弱点は無いか、もしくは極小化されていると言える。

元来、小規模なゲリラ部隊はある程度独立的であり、上級部隊の細かい指揮によって機動するといったことがない。もちろん全般的な指導は受けるにしても、それは上級司令部が無くなったとしてもすぐさま混乱に陥るような性質のものではない。また、後方連絡線も食料等はもともとが現地での調達を基礎としているし、それほど重火器を有していない上に兵器を大量消費するような決定的な戦闘を回避する傾向にある。燃料についても必要量はそれぞれ小規模で後方連絡線の遮断がすぐさま悪影響を及ぼすような性質にない。つまり、間接アプローチ戦略が企図するような「撹乱」に対して非常に抗堪性が高いのがゲリラ部隊の特徴なのである。分散化した独立的な小部隊というのはそれ自身が個々では非常に脆弱であるものの、軍全体としてみれば非常に抗堪性の高い、潰すべき頭も、断ち切るべき臍の緒も持たない怪物なのである。

このような思考は現代においてアルカイダが非常によく実践しているように観察出来る。

組織の実態についてははっきりしないことが多い。というのも、アルカイダは組織というより、緩やかに結びついた“国際ネットワーク”だからである。つまり、組織構造の特徴に着目するかぎり、無数の“細胞”とその“統一戦線”によって形成される共産主義運動に近いといえるのである。

実際、アルカイダには軍隊のような顕在化した指揮命令系統はなく、各地で発生した反米主義者の中小集団が緩やかに繋がりを持っているだけという説が内外のイスラム研究者達から唱えられている。この説によれば、各集団はそれぞれ自立的であり、必要に応じて協力をしたりされたりという関係に過ぎない。従って、中心となる総本部も最高指導者も存在しない(ビンラーディンは精神的シンボルに過ぎない)ため、頂上作戦は不可能である。上記の説に則ると、各集団がなぜ武装闘争を始めたのかその動機となった根本的要因を解決しない限り、アルカーイダの壊滅は困難であるとされる。*11

このようなゆるやかなネットワークを壊滅させることは困難であろう。またネットワークという観点から見れば昨今発達しているPeer to Peer*12の概念に基づくネットワークソフトウェアからも重要な示唆を得ることが出来る。

Peer to Peerモデルのソフトウェアは従来のクライアントサーバモデル*13ソフトウェアと比べて抗堪性が高い。もし何か問題のある情報を提供するサーバがあった場合、クライアントサーバモデルであればサーバ管理者に対して強権を発動することによってその情報を削除させることは容易である。そうでなくても、物理的にサーバを破壊することによってデータの提供をやめさせることは出来る。しかしながら、Peer to Peerモデルではそのような事は不可能である。何百、何千におよぶノードに情報が分散している状態ではそれぞれ個々のノードを破壊することは非常に困難である。現実にWinny*14ネットワークには様々な企業や官公庁――その中には自衛隊も含む――の秘密情報が流出しているが、これらは回収も消去もされずにいまだネットワーク上で自由に手に入れる事が可能な状態におかれている。もちろんそれぞれのファイルを意識的にせよ無意識にせよ保持しているノードの管理者にそれぞれ接触し削除をさせることは不可能ではないが、非常に困難と言えるだろう。

そもそもインターネットそのものが、そしてインターネットで使われているTCP/IPというプロトコルDARPA*15の研究から始まったものであり、その意味で軍用の抗堪性の高いネットワークという意図が――その多少は議論の余地があるとはいえ――あったことは言えるだろう。即ち我々は最早その手で抗堪性の高いネットワークアクセスし、そしてその果実を手にしているのである。そしてまた、このような抗堪性の高いネットワークというあり方はゲリラ戦の思想と非常に大きな類似点があり、軍事的にそのような観点から検討する価値があると言えるのである。

改めてここでRMAに話を戻すと、情報RMAの価値はまさにここに見えるのではないかと筆者は考えるのである。現代においても正規軍の指揮統制の基本は大モルトケ訓令式統帥法に求められる。

モルトケにとって様々な予想外の状況に対応するためには柔軟性が不可欠であり、固定した方式は排斥されるべきものであった。(中略)操縦しにくい大兵団という図体に張り巡らされた神経系が参謀組織であり、頭脳はモルトケを総長とする参謀本部である。*16

これは先程のネットワークの例にとるならば典型的なクライアントサーバモデルと言えるだろう。クライアントで処理させるべき事項はクライアントソフトウェア、この場合は参謀将校に処理させ、サーバである参謀本部がこれを指揮していたのである。そしてときにサーバ側からの要請でクライアントソフトウェアアップデート、つまり人事異動させられ、ユーザである指揮官はこの中で思考し闘ったのである。このようなモデルは確かに効果的であったが、RMAはこのような組織のありかたというのを根本から覆すのではないかと考えられるのである。

情報化された軍隊

前節では近代的な軍事組織と別の指揮統制の論理を持つ組織としてゲリラ部隊について議論をした。そこで、この節では既存のRMAに関する議論を参照しながら、これを批判的に検討し、ゲリラ型の組織の優位性と、そこにおける火力の運用について議論をしたい。

軍事アナリストの中村好寿は2001年に「軍事革命RMA)」*17という本を上梓した。この本では情報化によって、それまでの工業化時代から戦争が大きく変化することを論じているが、その中で非常に大きく扱われている概念が「麻痺戦」と、そのための「要打撃」「同時打撃」である。

この「麻痺戦」という考え方について中村はそれがリデルハートミッチェル*18に求められることを示している。

麻痺戦」論者、たとえば、リデル=ハートやビリー・ミッチェルは、部隊の指揮・統制機能が無能化すると、指揮下の部隊は、組織的な行動がとれなくなると考えた。情報化時代の「麻痺戦」はリデル=ハートやビリー・ミッチェルの流れを汲んでいる。つまり、軍隊は、指揮・統制機関から適時適切な命令がなければ、組織的な戦闘ができないから、敵の指揮・統制機能を無能にすることによって、戦闘機能を効果的に麻痺させることができる、という考えである。*19

確かにリデルハートらの指摘は非常に重要である。中村は工業化時代の戦争を「消耗戦」と評し、敵戦闘力の撃滅を目指したクラウゼヴィッツらの議論を批判しているが、これはリデルハートも同様に指摘しているものである。確かに、このような消耗戦の方法論は金銭的にも人命という意味でも割高で時間もかかるが、クラウゼヴィッツがそれを求めていたとは言えないだろう。クラウゼヴィッツも戦争論において「敵の無力化が軍事行動の目標である*20」と論じているのであり、しかしその為の当時における適当な方法論が敵戦闘力の撃滅であったというに過ぎない。翻って言えば、敵の主力を打倒すべき目標と設定する思想は、可能であれば中村の言うようなより損害の少ない方法をとりたいがそれが出来ないというに過ぎないのである。

このような状況で中村の議論の核心がどこにあるのかと考えると、それはそのような理想的な「麻痺戦」を本当に展開することが出来るのであろうかという部分になる。それに対して中村は前述の「要打撃」「同時打撃」という概念を示すことによって説得的に議論を展開する。中村は工業化時代において、その攻撃すべき「要」が情報収集・情報処理能力が低かったために把握することが出来なかったが、情報化によって情報収集・情報処理能力が向上し、目標となるべき部隊や施設等がいかなる地位・役割を持っているかが把握可能となり、よって攻撃すべき「要」が把握できると論じている*21。脆弱な指揮所や補給処、通信所を破壊することは、関係する部隊の麻痺を産むであろうことは想像に難くない。

そして中村はこの「要」に対する打撃を「多目標同時打撃」「連続同時打撃」とすることによって敵の指揮統制機能を無能とすることを主張している*22

「多目標同時打撃」によって、相手の指揮・統制機関は、同時に多数の脅威に晒されるため、適切な対応策を「見出せない」状態に陥るのである。*23

このような連続同時打撃を、敵の脆弱で「要」となる地点に加えると、敵司令官は、主力部隊や強力な予備隊を保持していても、それらをどう動かせばよいのか判断できないか、もしくは動かしても間に合わない状態に陥る。*24

このように、二つの同時打撃の手法を紹介し、敵に対応策を見出せない、かつ、対応する暇を与えないという状況を作ることを提案しているのである。

中村のこのような主張に弱点は無いのだろうか。確かに、近代的な工業化時代の軍隊中央集権的な指揮命令系統に対する依存度が高く、このような「要」に対する「多目標同時攻撃」「連続同時攻撃」を受けることによって麻痺し組織的な反撃や逆襲の機会を失ってしまうであろうという議論に説得力はある。中村が例としてあげている湾岸戦争では確かに指揮命令系統を破壊されたイラク軍は適切な反撃を出来ず、多国籍軍によるワンサイドゲームとなってしまった。しかしながら、このような情報化された軍隊による「麻痺戦」はゲリラをはじめとする非対称戦に対して有効性を減じるということを中村自身が指摘しているのである。

広域に分散した小規模な拠点を一つ破壊してもその影響は非常に小さくなり、また指揮・統制の権限が分散しているために司令部の破壊の意義が極小化するという問題が存在していることを中村は指摘している*25。しかしながら、これに対しては同時打撃により、それぞれの拠点を分断し封じ込めることによって対処できると論じているが*26これは本当に正しいのであろうか。

確かに、これが装備の劣悪な第三世界ゲリラ兵であればある程度説得的な議論となるであろう。ヘリコプターや固定翼機、機動性の高い装甲兵器に搭乗し、誘導爆弾や長射程のミサイルのような精密火力、対戦車ロケットに対抗できる第3世代戦車、人工衛星やUAVのような偵察機器、様々な火力と連接が可能な情報通信システム、こういった先進的な装備を有する軍隊AKRPG携帯電話を装備するゲリラ兵であれば、このような同時打撃によって封じ込めることは不可能ではない。しかしながら、同等の装備を有する軍隊ゲリラ敵な方法を用いた場合はどうであろうか。これは同時打撃によって封じ込めることは困難になるであろう。

中村の議論の問題点は、いくらIDAサイクル*27を高速化し、情報化し、高性能な兵器を有していても、その基本が中央の司令部の指揮に依存しており、統一的な補給処の補給に依存しており、一元的な情報通信システムに依存している限りにおいて、同等の情報化された軍隊と対峙した場合は、相手がより速い場合において容易に麻痺させられてしまうということである。一連の議論で敵を打倒するために行うべきであると論じられた行動は、いつ自らに向けられるかを考えれば安易に賞揚することは私には出来ない。むしろ、情報化によってこのような「要打撃」「同時打撃」が容易になった状況においては、いかに「要打撃」「同時打撃」をするかを思考するよりも、いかにして「要打撃」「同時打撃」を受けないか、ないし受けても意味がないようにするかを議論すべきであると言えるのではないだろうか。その意味で中村の議論はあまりに楽観的過ぎると筆者は強く考えるのである。

情報化された軍隊においても、下級部隊に対する権限委任の範囲は増えるにしても、むしろ上級司令部にかかる負荷は増大しているのであり、大モルトケ訓令式統帥法から本質的な部分では進歩していないと言える。中抜きによって中間結節が減少し下級部隊の裁量権が増大するとしても下級部隊が情報を集め報告し、上級部隊が判断し命令するという方式そのものに何ら変更は加えられていない。コンピュータネットワークの発達によって収集・処理可能な情報が増えただけであって、指揮統帥の本質は変わっていないのだ。

このような中で着目すべき事項はどういった事項であるのか、ここで陸上自衛隊幹部である藤島明宏の論文RMA軍隊同士の陸戦様相と海戦原則の適用」*28を参考に考えてみよう。藤島はRMA軍隊同士の陸戦について、遠距離火力が力を発揮し、部隊が広域分散化することによって従来の防御線の価値が大きく減じ、このような中で戦闘は機動戦が中心となり、遭遇戦が戦闘の基本的な様式となるということを主張している*29。そしてそれは防御の存在しない海戦と類似し*30陸戦のフェイズが大きく変わると論じているのである。

機動任務グループ同士の戦い方を基本的戦闘フェイズにモデル化すると、それらは、「索敵/探知」、「機動」、そして従来の陸戦と異なり『拘束』という段階を経ずに「火力打撃」及び「防空戦闘」(これらは、同時に行われる)、最後に「敵残存部隊の掃討及び要域の占領」という流れになると考えられる。*31

このような状況において、藤島は従来の集中の原則ではなく分散の必要性を論じ*32、敵の打撃に対する抗堪性の向上を重視している。藤島はこのような状況を海戦にあてはめて海戦原則の適用という形で論述したのであるが、この議論は前節で論じたゲリラ戦の理論に適合的ではないかと考えられるのである。

将来戦においては、部隊の物理的な集中の代わりに、分散した火力部隊と航空部隊からの集中攻撃が行われることになる。攻勢作戦であれ、防勢作戦であれ、そうした打撃の成果は、機動部隊に「前進は各個に、戦闘は協同して」の行動原則に従い、分散した隠掩位置から迅速に短時間の集中を行わせることによって利用しなければならない。それ以外のときは、敵の打撃による損害を最小限とするため、頻繁な移動及び隠密理の分散を行うことが必要となろう。*33

ここで藤島が論じていることは毛沢東の遊撃戦論によく重なる。

遊撃戦争では一般に、襲撃という形態をとって侵攻する。(中略)遊撃戦争にあっては、即決性がひじょうに要求され、戦役や戦闘において、敵を包囲する外線の範囲はひじょうに小さい。*34

通常において敵の打撃を避けるために分散し、襲撃時に短時間の集中を行い敵を撃破していくという方法論という意味では両者は同様の様相を呈している。前述の中村の議論の問題点が自らが「要打撃」「同時打撃」を受けた際に脆弱性を露呈するのではないか、という部分にあるとすれば、この藤島の議論と前節で論じたゲリラ戦の理論を考慮すると一定の解決策が見出される。

つまり、RMA環境下における陸戦は情報化と長射程精密火器の発達によって、お互いの発見が即火力の集中に至る状況である以上、部隊や兵器、兵站、指揮系統を可能な限り分散化し抗堪性を極限まで高めなければならないのである。

火力戦とゲリラ戦

これまでの議論によっていくつかの重要な示唆を得ることができた。

第一に火力は阻止と支援、機動の阻害と直接撃破という機能別に抽象化し、抽象化された火力はプラットフォームと分離されたということである。抽象化された火力はどこに何を投入すべきかという問題を火力調整の問題として一元的な処理を可能にし、プラットフォームが分散しながらも統一的な火力運用を可能とした。

第二に従来の上意下達型の訓令式統帥法を用いた現代的軍隊に比べ、部隊と指揮統制の権能が分散したゲリラがより抗堪性が高いという事実である。これは集中して攻撃し突破を図ったりする従来型の陸軍脆弱性を示し、その限界を示したのである。

このような、火力が高度に抽象化され、全ての前線の兵士がFO*35やFAC*36となり火力調整を行うシステムと直結した状況において、それまで歩兵の武器が自動小銃だけだったそれまでの世界から一人の歩兵が両手に誘導爆弾とミサイルにりゅう弾砲を疑似的に持つという恐怖の世界がここに現われたのである。このような状況では分隊や小隊程度の小部隊や兵員個人がそれまでの1コ連隊にも及ぶような戦闘力を手にしているのである。

そして、索敵プラットフォームと火力プラットフォームが有機的に結合した状況下ではゲリラ戦の理論の適用が極めて重要な意味をもってくる。前述した通り、ゲリラ部隊は非常に抗堪性が高い。同時に分散しているが故に弱かったそれは、今やネットワークと接続し強力な火力を背中に背負うことを可能とした。このような状況では従来のように大部隊を結集し戦闘をすることはもはや自殺行為であると言わざるをえないだろう。

このような状況は立体化した作戦の極限と把握することもできる。エア・ランド・バトルに代表される縦深にわたって火力を投入し三次元的な作戦を展開する立体的な作戦は、その極限において戦線の存在意味を損ねていると言えるだろう。そのような観点にたてば戦線によった防御が不可能となった情報化された軍隊の戦争というものは究極的に立体化した三次元的な戦争と言える。その意味では第一次世界大戦的な思考の上に作り上げられてきた現代戦の理論が形を変えて発展したとも言える。

RMAによって情報化された軍隊にとっての脅威として提唱された非対称型の組織による戦争は情報化された軍隊にとっての脅威ではなく、むしろ情報化された軍隊にとってのよい参考になる。もちろん私達はこれらの組織を敵に回す可能性がある以上、これに対する対応策を検討しなければならないが、同時に彼らの思考、彼らの方法が情報化された先進国軍隊にいかに対抗していくのかを注視しなければならないのである。

モルトケは戦闘力集中の手段として分進合撃という作戦を提唱したのであるが、このようなゲリラ戦の論理を導入し、分散した小部隊の有機的な結合を武器とする場合ではこの思考はむしろ「分散合撃」となる。このような分散した小部隊の思考こそ情報化の進んだ軍隊にとっては必要であると考えられるのだ。

そしてまた、そのような情報化し分散化した部隊による戦争が行われた場合、中村が言った「麻痺戦」はむしろ「消耗戦」へと転化してしまうことも考えられる。つまり、有効な打撃を加えられる点を分散化によって極小化した軍隊同士の戦いにおいては「要打撃」「同時打撃」は達成されず、接触する敵小部隊に対して強力な火力を投射しこれをしらみつぶしに潰し合うという消耗戦が展開されることになると考えられるのである。

いずれにせよ、このような状況において、将来の陸軍は従来の指揮統制法、集中した部隊運用を破棄しなければならないだろう。そしてゲリラに範をとって、テクノロジーを研究し抗堪性の高い組織を作り上げなければならない。同時にそこでは、従来の上意下達に縛られないフラットなネットワーク型組織を作り上げなければならない。課題は多いが本論文で示した状況はそう遠くない将来にやってくるだろう。私達は未来を見据えて戦力を醸成し次の戦いに備えなければならないのだ。

おわりに

論文ではルネサンス期の火器の発明から、その発展の系譜を追い、第一次世界大戦で示された現代戦のあり方を考え、そして現代戦の克服と情報化された将来の戦争の抱える問題を論じた。しかしながら、本論文ではいまだ解決の道筋すら立てられていない重大な問題が残っている。それは指揮統制法の問題である。

論文では結論的に情報化された軍隊は増大した火力のためにゲリラ戦の形態を取り入れなければならないということを示した。そして、そこにおいては従来の訓令式統帥法に繋がる上意下達的な統帥法では脆弱であり情報化された作戦環境下では不可能であるということを論じた。しかしながら、本論文では有効な新しい指揮統帥法の具体的な案を提出することが出来なかった。指揮統制の権能を分散すると言っても、これは統一的に作戦を主宰し組織的に戦闘をする軍隊にとって、単純に分散化しただけでは烏合の衆となるだけで、かえって軍隊はその意味を喪失してしまうだろう。これは本論文最大の欠陥であり、今後の大きな課題としたいと思う。

そこでここではこの課題に対応する方法論についてアイデアをアウトラインとして示したい。

まず考えられるのは現状の指揮統制法を多重化し強力な隠掩蔽、様々な技術を利用した物理的・論理的防御を施すことによって対応する方法である。しかし、この方法は根本的には何の解決にもなっておらず、相手の技術力が上であったり、または何かしらのミスや不運があった場合に問題を大きくしてしまう危険性がある。その意味で従来型組織を発展的に改良するという方針はとりえない。

それではいかなる方法が考えられるだろうか。例えば各種部隊の機能を抽象化しサービスとして切り出して、これをリクエストに応じて配分するという方法などが考えられるだろう。現在の軍隊は自己完結性を有しているということになっているものの、現実的には様々な物品の調達は言うに及ばず、輸送や警備といった細かい業務について役務契約を締結してこれを調達している。このような方式と同様に火力が抽象化し前線部隊の要請に応じて射撃をするかのようにリクエストを中心とした戦闘力の配分といったアイデアが考えられるのである。意志を持たないアリが獲物に向けて行列を作るかのように、それぞれのユニットが独立的に動く中で秩序を産み出していくような手法が検討に値するのではないかと考えられるのである。戦闘力を抽象化しアウトソースし、これを要求に応じて配分するという方式は有望な方法論になりうると思われる。同時にそのリソースの配分の最適化にマーケット・メカニズムを応用するといった方法論も考えられるであろう。

現在、民間において短期の派遣労働者による労働といった問題がとりざたされている。多くの問題としてあげられているのは、その労働条件の悪さでありそれは筆者も問題であると考えている。しかし、この短期の派遣労働者携帯電話の電子メールによって仕事が斡旋され、それに対する参加の可否を派遣労働者が自ら決定し、そして特定の時間・場所である仕事場に必要数の労働者が集結している状況は示唆を与えるであろう。確かに、軍隊においてミサイルや野砲を操作したり射撃を行ったりすることはある程度の訓練を要する。しかしながら、コンピュータやマン・マシンシステムが発達し業務のマニュアル化が進めば工場で未熟連の派遣労働者が仕事に適応するように軍事的業務に適応することは可能であろう。軍用無線技術であったCDMA*37アダプティブアレイアンテナ*38を用いた携帯電話を用い、そこに届く指令によって適切な時間、場所に集結する派遣労働者は次世代の軍隊の姿の一端を示しているように見えるのである。

このゲリラ戦術を応用し高度に情報化と抽象化を行った軍事組織というアイデアはいくつかの課題を残すであろうが、しかしそれでも筆者はこのアイデアの有効性を、その分散化せざるをえない状況下において有効であると考えるのである。

最後に、本論文の執筆にあたって以下の通り各方面から協力を得た。この場を借りて感謝したい。まず、指導をしていただいた権鎬淵教授に感謝をしたい。論文の方向性についての指導がなければこの論文を完成させることは出来なかっただろう。また、本論文を執筆するにあたって、その基本的な構想に取り組むきっかけとなった電子掲示板での議論「軍事学革命と日本の防衛*39」及び「軍事革命と日本の防衛 2*40」の参加者の皆様に感謝をしたい。私がここでの議論に参加することがなければ、この論文を書くことは無かったであろう。また、著者に軍事学の基礎と軍隊の実相を見せた陸上自衛隊にも感謝をする。この論文が何かしら陸上自衛隊に良い影響を与えることを切に望むところである。他にも何人もの方との議論や意見交換、情報の紹介がなければ本論文は完成しなかった。個別に名前を挙げることは避けるがこの場を借りて感謝をしたい。

なお、本論文の責任はすべて著者である私にある。何かしら反論や疑問がある場合はfurukatsu_himote@yahoo.co.jpまでご連絡頂きたい。

参考文献

バート・S・ホール著、市場泰男訳「火器の誕生とヨーロッパの戦争」1999年、平凡社

ジェフリ・パーカー著、大久保桂子訳「長篠合戦の世界史 ヨーロッパ軍事革命の衝撃 1500〜1800年」1995年、同文舘出版

ピーターパレット編、防衛大学校「戦争・戦略の変遷」研究会訳「現代戦略思想の系譜 マキャベリから核時代まで」1989年、ダイヤモンド社

マクレガー・ノックス/ウィリアムソン・マーレー編、今村伸哉訳「軍事革命RMAの戦略史」2004年、芙蓉書房出版

マーチン・ヴァン・クレヴェルト著、佐藤佐三郎訳「補給戦――ナポレオンからパットン将軍まで」1980年、原書房

デーブ・グロスマン著、安原和見訳「戦争における「人殺し」の心理学」2004年、ちくま学芸文庫

ジョミニ著、佐藤徳太郎訳「戦争概論」2001年、中央公論新社

ハインツ・グデーリアン著、本郷健訳「電撃戦 上 ――グデーリアン回想録」1999年、中央公論新社

戦略研究学会、片岡徹也編著「戦略論体系?モルトケ」2002年、芙蓉書房出版

戦略研究学会石津朋之編著「戦略論体系?リデルハート」2002年、芙蓉書房出版

戦略研究学会、瀬井勝公編著「戦略論体系?ドゥーエ」2002年、芙蓉書房出版

毛沢東著、藤田敬一/吉田富夫訳「遊撃戦論」中央公論新社

中村好寿著「軍事革命(RMA)―“情報”が戦争を変える」2001年、中央公論新社

石津朋之編「戦争の本質と軍事力の諸相」2004年、彩流社

*1:ベイリー(ノックス/マーレー、2004年、206〜207頁)

*2毛沢東著、藤田敬一/吉田富夫訳「遊撃戦論」中央公論新社、2001年、21頁

*3毛沢東著、藤田敬一/吉田富夫訳、2001年、22頁

*4毛沢東著、藤田敬一/吉田富夫訳、2001年、29頁

*5:Antoine-Henri Jomini, 1779〜1869年、ナポレオン戦争でのフランスに従軍した軍人、軍事理論家。のちにロシア軍スイス出身。

*6ジョミニ著、佐藤徳太郎訳「戦争概論」2001年、中央公論新社、66頁

*7:戦略研究学会、片岡徹也、2002年、261〜265頁を参照せよ。

*8:戦略研究学会、片岡徹也、2002年、291〜292頁

*9毛沢東著、藤田敬一/吉田富夫訳、2001年、30頁

*10リデルハート著「戦略論―間接アプローチ戦略」(抄訳)(戦略研究学会石津朋之編著「戦略論体系?リデルハート」2002年、芙蓉書房出版、29頁)

*11http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%A4%E3%83%80

*12P2Pとも略される。「定まったクライアントサーバを持たず、ネットワーク上の他のコンピュータノードとも言う)に対してクライアントとしてもサーバとしても働くようなノードの集合によって形成されるものを指す。」(http://ja.wikipedia.org/wiki/Peer_to_Peer

*13:サービスを提供する一ヶ所の固定したサーバと、そこからサービスを受ける複数のクライアントによるシステム。一般のWebサイトなどはこの方式が用いられる。

*14:日本製のP2Pを利用したファイル共有ソフト。コンピュータウイルスによる情報暴露の温床となった。

*15:国防高等研究局、アメリカ国防総省の研究機関。

*16:片岡徹也「モルトケの用兵思想――軍事革命RMA)への警告――」34〜35頁(雑誌「陸戦研究」平成11年12月号、陸戦学会、27〜54頁に収録)

*17:中村好寿「軍事革命RMA) 〈情報〉が戦争を変える」2001年、中公新書

*18:William (Billy) Mitchell,1879〜1936年、アメリカの陸軍准将。空軍力の重要性を論じた。

*19:中村好寿、2001年、69頁

*20クラウゼヴィッツ著、日本クラウゼヴィッツ学会訳「戦争論 レクラム版」2001年、芙蓉書房出版、25頁

*21:中村好寿、2001年、67頁

*22:中村好寿、2001年、89頁

*23:中村好寿、2001年、101頁

*24:中村好寿、2001年、108頁

*25:中村好寿、2001年、156頁を参照せよ。

*26:中村好寿、2001年、160〜164頁

*27:情報、意思決定、行動のサイクル。一連の行動はこのサイクルのくり返しである。

*28:藤島明宏「RMA軍隊同士の陸戦様相と海戦原則の適用(2-1) ――野外令が海戦要務令になる日――」(雑誌「陸戦研究」平成13年3月号、陸戦学会、1〜17頁に収録)及び「RMA軍隊同士の陸戦様相と海戦原則の適用(2・完) ――野外令が海戦要務令になる日――(雑誌「陸戦研究」平成13年4月号、陸戦学会、23〜44頁に収録)

*29:藤島明宏(雑誌「陸戦研究」平成13年3月号、12〜17頁)を参照せよ。

*30:藤島明宏(雑誌「陸戦研究」平成13年4月号、26〜29頁)を参照せよ。

*31:藤島明宏(雑誌「陸戦研究」平成13年4月号、33頁)

*32:藤島明宏(雑誌「陸戦研究」平成13年4月号、37頁)を参照せよ。

*33:藤島明宏(雑誌「陸戦研究」平成13年4月号、37頁)

*34毛沢東著、藤田敬一/吉田富夫訳、2001年、22頁

*35:前進観測員、砲兵の弾着の観測や修正を行う。

*36:前線航空統制官、近接航空支援の統制を行う。

*37:デジタル変調方式の一種。スペクトラム拡散によって広帯域に情報を分散し通信する。秘匿性が高い。

*38アンテナの一種。指向性を持たせることができる。

*39http://yasai.2ch.net/army/kako/999/999179001.html

*40http://yasai.2ch.net/army/kako/1013/10133/1013365064.html

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/furukatsu/20081214/1229169820