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銀座、秋山祐徳太子展。
年配の東京都民なら誰でも知ってる秋山祐徳太子。「あきやまゆうとくたいし」と読む。今でいうパフォーマーのはしりである。
「先生、熊澤天皇みたいですね」
「最近はね、ショーン・コネリーって言われてるんだよ」
「先生、本当の天皇は途絶えそうだから、先生が(天皇に)なったら」
「フフン」
「先生、作品撮っていいですか」
「写真はねぇ、著作権があるから、ちょっとまずいね」
「じゃあ、衣装はいいですか」
側らのスタッフを振り返って「衣装はいいだろ、衣装はいいよ」 |
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秋山祐徳太子は、この衣装でランニングしながら東芝のデザイン課へ通勤した。グリコのパッケージを模したのである。当初は「グリコ」と標していたが、さすがに具合が悪くなり、棒を足して「ダリコ」にした。毎日この衣装で通勤したと思われているが、実際は週に2、3回だったそうである。
芸大を40浪。都知事選出馬。全裸で万博反対運動。いったい何に成りたかったのか。
秋山先生、ポリシーを貫くのは立派だが、残念ながら才能に恵まれなかった。どのパフォーマンスも、常識の延長線上でこねくり回しているだけの印象だ。天才に感じられる、エアポケットのような「抜け」がない。
また、発言や行動がわざとらしくきわどく、テレビに敬遠されるという、今で言う「空気が読めない」鈍さと、さらに加えて「テレ」を克服できないという致命傷があった。 |
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八王子市八日町。
ユーミンこと松任谷由実(52)の生家「荒井呉服店」。平成18年2月2日に会長で父の荒井末男氏(93)が他界された。現在は、長男邦彦氏が経営している。
本来タレントの実家なぞ掲載するものではないが、ユーミンの場合は自ら「荒井呉服店」という情報をトーク中で発し、パーティはほとんど和装で通すなど、家業を引き立てる気持ちがあるようなので、構わないだろう。店側もチラシの中で「ユーミンの実家」と刷り込んでいる。 |
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初めて画像を見た人は、こじんまりとした店構えや、周辺の寂しさに意外の感を持たれたかもしれない。ユーミンのイメージに引きずられると分からないでもないが、呉服の個人商店としてはむしろ大店だ。亡くなった会長も、長らく地元の有力者であった。
ただし、八王子市自体が衰退傾向で、大手デパートの撤退が相継ぎ、JR駅前に残っているのは「そごう」と「ダイエー」という状態だ。 |
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西武バス長円寺行き、「貯水池下」下車10分。
無職渋谷博仁(57)が、女性11人女児1人と不自然な同居をしている、東大和市芋窪2の民家である。
周囲は、わりと立派な住宅が並び、家の裏手は雑木林、10分も歩けば多摩湖という、理想的な環境である。文字通り「庭さーきゃ多摩湖〜」だ。問題の民家も95年に建てられたもので、特に大きいということはないが、ちゃんとした建物である。
家に近づくには、他家の私道を通らなくてはならず、現在は警察と住民以外は通行禁止である。このため、報道陣はインターホンをしつこく鳴らすといった得意技が使えず、ただただ公道で手をこまねいている。 |
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渋谷容疑者の逮捕から2日しかたっていないが、報道陣も野次馬も少なくなっている。
報道陣といっても、30歳前後のフリーの下請けのようで、家庭用ビデオや携帯電話、使い捨てカイロくらいの装備でブラブラしている。時折タクシーで交替要員が来る。トイレはどうするのかと思って見ていると、道をはさんだ向かいの民家と話がついているらしく、一声かけてトイレを借りている。
はたして事件性があるのかないのか、よく分からない騒動である。 |
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東京駅、丸ビル7F。
ナベプロといえば、クレイジー、ピーナッツ、小松政夫、中尾ミエ、布施明、木の実ナナ、梓みちよ、ドリフ、ジュリー、小柳ルミ子、天地真理、アグネス・チャン、キャンディースあたりが自然に浮かぶ。
新春かくし芸あたりから思い出すと、マルシア、中山秀征が加わる。
あれっ君らもそうなの、という感じで、森進一、アン・ルイス、太田裕美、吉川晃司、松本明子、ホンジャマカ、ネプチューン、なすび、ふかわりょう、いつもここから、小泉孝太郎、びびる大木がいる。
意外ね、という感じで、飯島愛、吉田栄作、青木さやか、成宮寛貴、アンガールズ、波田陽区がいる。
どうでもいいやで、マイケルがいる。 |
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吉川晃司が、キャリアの割りに大きく扱われている。パネル展の「年表」を目にして、ふと気づいたことだが、吉川以前と以降でナベプロの方針が大きく転換している。
吉川以前はタレントの貸し出し業であったのに対し、吉川以降は発掘から育成までのトータル戦略を取っている。要するに稚魚から育てるマネジメントを採用したのだ。そしてその第1号の成功例が吉川である。このため、一種のシンボルとして吉川は特別なポジションにいる。
アイドル戦略でジャニーズ、ホリプロ、サンミュージックらに遅れをとり、ロートルタレントを大勢抱え凋落の一途だったナベプロが、ここにきて吉川の成功で目覚め、底を打ったのである。
おしマイケル。 |
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JR南部線矢野口駅5分。
駅から多摩川へ5分。川沿いの道路と多摩川原橋がクロスする角地に立っている。駐車場で洗車している主婦がいて、気軽に近づけない。裏手のベランダに布団が干されていて、あたりまえの日常生活がある。
自転車に乗った60代と思える野次馬が、マンション名のプレートを確認しようと、自然を装って何度もマンション入口に接近していた。
この稲城の物件の建築主はヒューザーで、耐震強度が33%しかない。ワースト4の一つで、姉歯秀治1級建築士の告発対象に選定された。
24戸のうち、すでに3世帯が自力で退去している。 |
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八王子インター付近。
1160坪、総工費20億。奥さんの「富士山が望める所」でここに決まった。視界に入るだけで車が5台。どう見てもゴルフ場のクラブハウスにしか見えない。
八王子インターから新宿まで高速で30分。前後を含めると1時間で新宿コマに入れる。
タクシーで「北島三郎のお屋敷」というと、市役所に行くかのような自然さで連れてってくれた。 |
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国立市某所。
国立駅前通りは、磁器専門店や高級食材の紀ノ国屋が並ぶシャンゼリゼである。
やがて一ツ橋大の並木と重なり、スカイラークガーデンズまで国立の異国情緒が支配する。そこの角からしばらくいって、国立の雰囲気が途切れた、まあまあの場所に百恵邸がある。
三方をガソリンスタンドと隣家と駐車場で固め、勝手口だけ下界に通じさせている。特別な段取りを踏まないと、正面玄関すら拝めないように要塞化している。 |
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国立市某所
女性週刊誌に買い物途中の百恵ちゃんが載るのは、この近所で映されたものだ。
百恵邸ということは三浦友和邸ということでもある。郵便受けにもMIURAと小さく書いてある。
三浦友和は何を演じても清潔感や正義感みたいなのが邪魔をする、つぶしの効かない役者だ。韓流スターがそのまま歳だけ取ったみたいでもある。NHK大河「利家とまつ」でも、重要な役どころにもかかわらず、あの存在感のなさはいったいなんであろう。早く演技に開眼して欲しいものだ。 |
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JR武蔵野線北府中駅5分。
府中刑務所は、主に麻薬などB級という凶悪犯までいかない者が収監されている。定員2,598名のところ2,400名ほど居るらしい。余裕がありそうだが、実はそうではない。必死に各地に分散させているのだ。
塀は一見すると樹脂ボードに見えるがコンクリートである。
写真の場所は、昭和43年に発生した、3億円事件の犯行現場でもある。刑務所でもあり事件現場でもあるという、重複史跡である。 |
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立川駅南口ラーメンスクエア。
ラーメン店「我聞」店主の河相我聞(30)。もちろんタレントの我聞くんご本人である。ラーメン好きが嵩じ、テレビの企画かなにかを経て、とうとうラーメン事業にのりだしたらしい。
店内は白を基調とした、小洒落たつくりになっている。我聞くんは暇が出来ると店に出て、厨房で腕をふるったり、店先で客入れをやるなど、地道に取り組んでいる。 |
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立川駅南口ラーメンスクエア。
ラーメンスクエアというのは、全国有名ラーメン7店が出店する、マンハッタンがコンセプトのフロアである。なんだそれ。
我聞くんは、意外にもスラッと背が高く、声が低い。さすがにかっこいいが、意図的にか芸能人オーラを消している。
東京の人は、握手をしたり、携帯で撮ったりする程度で、特にサインをねだることもなく、群がることもない。我聞くんの芸能界でのポジションが微妙なだけかな。 |
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国分寺駅西1分。
東京なら有名人がいくらでもいると思っていたら、誰にも遭遇しない。しかたがないので、こちらから出向く。自転車でも30分くらいだ。
ガッツ石松が、ガッツの思うタレント的処理を行ない、視聴者はガッツなりの「してやったり」を汲んだ上で笑う構図に対し、輪島功一は釣られた魚そのままの天然物として観賞される。
輪島は33歳で引退後、東村山市のだんご店で修業を積み、所沢市で1号店を開いた。義弟の大場一三雄氏が脱サラしてここ国分寺にも開店し、所沢の方は閉めたため、今ではこちらが本店となっている。
「だんご3兄弟」の頃は、「だんご3姉妹」がバカ売れした。目の覚めるような便乗ぶりだ。
名物の「ファイト最中」は、輪島のイラストで包装されたグローブの形の最中である。
輪島の不思議は、引退後、他店で修行してまでだんご店を開いたことである。
普通、引退後の事業に自信がなければ、とりあえず「ジム経営」からスタートするのではないか。
ジム経営すら危ぶんだ自分の能力に、「だんご」ならなんとかなると踏んだ判断は、チャンピオンの冷静を感じさせる。 |
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