今昔の職人技が融合
梵釈寺の「石造宝篋印塔」
680年前の姿に
=ボランティアで復元=
▲慎重に塔を組み立てる県石材組合連合会青年部員(東近江市蒲生岡本町の梵釈寺境内で)
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◆東近江・蒲生◆
東近江市蒲生岡本町にある梵釈寺(熊倉実栄住職)の「石造宝篋印塔(せきぞうほうきょういんとう)」が五日、石材職人や研究者、地元住民らの熱意によって六百八十年前の姿を取り戻した。
●鎌倉時代に建立
梵釈寺の石塔宝篋印塔は、鎌倉時代末の建立を示す「嘉暦三年(一三二八年)」の刻銘があり、昭和八年に国の重要美術品建造物に指定された。
塔身の四面に金剛界四仏の梵字が刻まれ、基礎部分の格狭間には三茎蓮・散蓮・近江式装飾文と呼ばれる孔雀の文様が半肉彫りで表されている。
●相輪見つかる!
重要文化財級の価値があるものの、先端部分の“相輪(そうりん)”が紛失していた。紛失経緯について、廃仏棄釈(はいぶつきしゃく=明治新政府が神道による国家統一を目指し、神仏習合から仏教の分離を図ろうとして起こった仏具類の破壊運動など)の影響や現在地へ寺を移転する際に河川を利用して宝篋印塔を運び落としたのはではないかなど、さまざまな憶測が飛び交う。
平成十五年、蒲生岡本町のまちづくりを担う岡本夢プラン委員会は、地元住民に対して相輪の紛失事実を伝えた。それを聞いた同町の図司安博さんが、梵釈寺の南西約四百五十メートルの排水路の段差部分に、十年以上前のほ場整備後から置き去りになっている石の存在を報告し、相輪の発見につながった。
●ボランティアの力
本来の姿に戻したいという地元住民の思いに突き動かされ、県石材組合連合会青年部の部員十九人が、復元作業にボランティアとして自らの技量・知識を提供。
▲発見現場を指差しながら「橋の欄干にあしらう石だと思っていた」と振り返る図司さん(蒲生岡本町の排水路で)
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同青年部の岸田学部長は「石材業を営む者として、修復に携われるのはありがたい。材質の固い日野町蔵王産の米石(こめいし)が使われているため、加工跡が鮮明で巧みの技が感じられて非常におもしろい」と語り、地盤の突き固めから基壇欠損部分の補修、塔を組み立てる作業までを担った。
●先人の技 鮮明
東近江市教育委員会文化財課の森容子副参事によると、九月二十四日に塔を一旦解体して学術調査を行った結果、地中に埋没していた基壇部分から中世の技術を顕著に表す「矢穴(やあな=大きな石を割るために開けられた四角い穴を指す)」が見つかり、「工業・産業技術史にも新たな資料」が追加できるほどの成果を得たという。
午後三時過ぎ、同組合員が慎重に相輪を差し込み、高さ約二・四メートルの宝篋印塔が組み上がると、作業を見守っていた地元住民ら約四十人が「おー」と歓声をあげた。
●地域の宝を守る
岡本夢プラン委員会事務局の岡田文伸さんは「石に詳しい池本良一さんをはじめ、さまざまな方の協力があり修復までこぎ着け、先人たちの思いに報いることができてうれしい。地域を愛することは地域の宝を守ることにもつながる」と語り、熊倉住職も「梵釈寺と多くの人の縁がつながった。自然体のまま塔とともに暮らし、みなさんに見ていただくことが大事だと思っている」と話していた。
今後、市教育委員会は、これからの文化財保護に役立つよう修理工事記録などを作成する予定。
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