■"死亡組"が小泉首相より怒りをぶつけたい人物■
事実、ある拉致被害者家族は、透氏らの"優先発言"によって、家族会は完全に分裂したと語る。
それだけではない、このような蓮池家・地村家とそれ以外の家族の確執は我々が考えるより遥か昔から芽生えていたというのだ。「拉致された五人が北朝鮮から帰国してからすべては変わってしまいました。子供が戻ってきた家族と、戻ってこなかった家族の間には、"勝ち組"と"負け組"という線引きがなされてしまったのです」(救う会関係者)
誰が呼びはじめたのか、蓮池、地村、曽我を「帰国組」、拉致は認めたものの死亡したと発表された家族を「死亡組」と陰で呼ぶようにもなった。そして、分裂した「ふたつの家族会」は、この二度目の小泉訪朝で天国と地獄を味わうのである。喜びの再会を果たし、安堵の笑みを浮かべた帰国組とは対照的に、死亡組は訪朝終了直後の会見で、「想定していた最悪の結果と言わざるを得ない」と暗く沈んだ面持ちを見せた。が、彼らの苦難はこれで終わらない。首相との会見で「全く子供の使いに等しい」「首相にはプライドはおありなのか。二回も金総書記にだまされているのに平気な顔をしている」などと痛烈に批判している様子が放映されるや、抗議電話数百件、五〇件以上のいやがらせFAXやメールが殺到したのだ。踏んだり蹴ったりとはこのことだ。
ちなみに、この「家族会バッシング」は官邸サイドが仕掛けたというのが定説である。帰国した首相と家族会が面会することは、訪朝前から決まっていて、当初の予定では冒頭三分間だけ、マスコミに公開されるということだったが、結果に死亡組が憤慨しているという情報を受けた官邸が、感情的に詰め寄る家族会と、その怒りを甘んじて受ける首相という構図を"あえて"見せつけるため、急遽全てを公開させたのだ。かくして、首相は多くの国民の同情を買い、利用された死亡組は多くの国民を敵にまわしたのである。会見の様子をご覧になっていれば覚えているだろうが、死亡組の家族たちは非常に激しく首相に怒りをぶつけていた。が、彼らが本当にぶつけたかったのは別にいたのではなかろうか。言わずもがな、他者には我慢を強いるくせに、我が身になると「優先」を口にするあの人物である。
■透氏が東京電力社員をマスコミに伏せた理由■
それでは、良くも悪くも家族会のキーマンである蓮池透氏とは、どのような人物なのだろうか。 透氏は一九五五年、父・秀量さん、母・ハツイさんの長男として新潟県柏崎市で性を受けた。二歳下の薫さん、四歳下の妹がいる。東京理科大学進学と同時に上京、三年後に中央大学に入学した薫氏と家賃二万七千円、六畳一間のアパートで共同生活をしていたことは、多くのメディアが報じている。共同生活は薫さんが三年生に進学する直前、八王子に引っ越すまで続いた。そして、この数カ月後に悲劇が起こる。夏休みで帰省していた薫さん(当時二〇歳)が、百貨店販売員だった奥土祐木子さん(当時二二歳)とデート中に忽然と姿を消したのだ。何者かにさらわれたのではないか、と訴える家族に対し、警察は「駆け落ちでしょ」と冷ややかに笑い、マスコミは「そのうち帰ってきますよ」となだめるだけであった。このとき、透氏は二三歳、どこにでもいる洋楽好きの青年ができることといえば、両親と共にただ途方に暮れるぐらいであった。どうして誰も我々の言葉に耳を傾けてくれないのだろう―。そんな理不尽への怒りが彼の人生に大きな影響を与えたのは想像に難くない。事実、彼自身も「私がこれほど深く拉致問題に取り組めるのは怒りです」(週刊現代二〇〇三年一月一八日)と語っている。卒業後、透氏は東京電力に入社して現在に至っている。一部報道によれば、近年は関係会社に出向し、主に核廃棄物再処理にまつわる仕事をしているというが、彼がマスコミに仕事の詳細を伏せているのは、これが原因ではないかと見るむきもある。日本の原子力施設といえば、様々なトラブルが絶えず、お世辞にもよいイメージではない。せっかく拉致問題を訴えているのに、自身が属する組織のせいで、言いがかりのような批判を受けてはたまらないからだ。また、彼の故郷・柏崎に柏崎刈羽発電所という、世界一の発電量を誇る原子力施設があることも関係しているという。「周知の事実ですが、電力会社は原子力施設周辺の者を積極的に採用します。地域住民に理解してもらうのに、雇用というのは最大の武器ですからね。透氏が東京電力という名を隠したがるのは、そのような"縁"を勘ぐられたくないという思いも強いのでは」(地元紙記者)もし入社の経緯がそうであったとしても、彼の能力に疑わしい点はない。事実、着々と出世街道を歩み、多くの責任あるポストに就いている。九七年三月、念願だった拉致被害者の家族会が結成され、代表・横田滋さんのサポート役でもある事務局長に就任したのも、その高い実務能力を買われたためであろう。
【文】 伊吹太歩